こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

見事に

2017-08-13 05:30:00 | 我が家


こういう形の納屋が 重機と人の手により 徐々に姿を変えていきました。こうしてみると 大きい・・納屋のようです。

解体する前に ご近所に少しうるさく、ほこりも出ます・・と伝えに行ったら「え?納屋ってどこ?」と言われ

「いやぁ、普通納屋って言ったら納屋のイメージでしょ。凹さんちの納屋って、家サイズあるでしょ」と言われてしまった(笑)

たしかに こうして壁だけ見れば大きいな・・と60年近く見てきた私も思うけど 後日 「意外とこれだけしかなかったのか」と

思ったのでした。いよいよ 重機で 小窓のところを切り、そこからまずは農具などのゴミを外に運び出し、そうして屋根、

二階へと進めていくようです。わたしとおばあちゃんはただ 母屋から それを見守る?だけです。こんなときにもおばあちゃんは

「最後くらいは 見といてあげないと」とまるで ホラー映画の「ハウス」みたいに家の悪霊に憑りつかれるとか思うのか?



見比べてもらうとわかるけど、屋根瓦を外され 小窓が人が出はいりできるほどの大きさに広げられました。作業中は近寄れないので

私は翌朝の撮影となっています。作業には 2トントラックが解体現場に横付けできるのでよかったそうで、そうでなければ人手に

頼る運びだしとなるのでまた人件費が余分にかかるんでしょ・・・。しかし、納屋の中の荷物は 私たちで出したはずだったけど

まだまだ出さなかった、出せなかった、そんなものまであったの?ということで結構時間がかかりました。しかし、明治時代に

建てた家の屋根に こんなに赤土が乗っているなんて・・今ではどんな工法かしらないけど赤土を乗せるのかな・・・

解体作業が始まって雨らしい雨も降らず よかった。



屋根の土をどうやって取り除いたのか、見ていなかったのでわからないけど 気がつくと今度はこのように変貌していました。

二階天井の梁は太い 丸太で面取りをされ作られている。いまでなら 重機で吊り上げ組み立てられるけど、200年くらい前?だとすべて人力で

相当な時間と労力がかかったでしょう。そう思うと私も家の悪霊とかなんとか 茶化してしまうのは失礼だな・・と思いました。

この納屋から始まって 先祖さんは真面目に働き財を成し 今の母屋へと広げていったのでしょうか?

古い納屋には 一階に三つの部屋 二階に二部屋と分けられて 農具などは下に わらやゴザのようなものは二階に そして漬物や醤油などの

保存物は専用の部屋にとしていたわけです。



だんだんと建物の柱や壁が撤去されていき いよいよ地面だけになってきました。

納屋の中には 芋ツボと呼ばれる 芋を保存しておく穴があり それを業者さんに説明しても私より若い人たちなので想像ができないらしく

「?」な顔をされました。その穴の底を割ってもらわないと 雨が降ると水が溜まるのでとおばあちゃんが懇願して割ってもらい 穴を

埋めてもらいました。



穴はコンクリートで固められ これは昭和ごろなんでしょうね・・。その周りは土で納屋の中は薄暗く室温が低いため 歴代のうちの

犬たちはこの納屋が夏場の天国でありました。もちろんこげも いつのまにか入って 土をかいてそのうえに寝転ぶので 土臭いわ

土を家の中にくっつけてくるわで 困りましたが、もうそれもできません。



納屋が無くなりました。庭の棕櫚竹(しゅろちく)の植え込みが 外から丸わかりです。子供たちの部屋である二階とも切り離しました。

この建物にあるお風呂とトイレも 母屋に新しく作りたいのですが・・・一気にすると 我が家の財布が 富士山ぐらいに吹き飛んで

行きそうです。まずは解体して ブロック塀を積んで お風呂を作って、いつかは二階もぶち壊して、そのうち 離れも壊して

そうなると 敷地ばかりで母屋だけになるってか?無理かな・・・



こちらの穴は おとうさんが応急処置で板を張って鳥やスズメバチが入らないようにしました。もちろん 雨が降りこまないように。

ここまできて 台風がやってきました。雨もそれほど降らず 風が強かったけど ゴミの撤去もすんでいたので 物が散乱することもなく

ご先祖様の見守りのおかげだと ちょっと思いました。






コメント (2)
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