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いよいよ始まった解体作業。その前の姿が これなんだけど この姿が無くなるというのに私にはなんの惜別感もわいてきません。
それはもう 片付けるゴミの量ほどの疲労感よりほかには感じないからです。そして 解体作業後の費用の支払い、そのあとの整地、お風呂やトイレを
母屋に作ること・・・そしてその費用・・・そいつのほうが 解体してなくなることより切羽詰まった重大事項です。
私がそんな気持ちでいるのが ご先祖様に失礼だと思うのかその分 おばあちゃんが「これを建てた先祖さんはほんまに大変やったなぁ」と
カバーする(フォローする)。昔の納屋は 中二階のつくりだけど 役場に質問にいくと二階としての天井の高さがないので木造平屋として登録されて
いるのだとか。近所にも もう何軒か古い家があるけど 同じような中二階造りの納屋があるけど 使っているのか放置しているのかよくわからない。
ただ 都会と違って隣の家と接近することがないので 倒壊してもそう迷惑になることもないので壊れるまでそのまま・・・ということなのだと思う。
瓦屋根は古く、屋根瓦か鬼瓦部分が町内でも資産家の家と同じものだったとか、そんなことをおばあちゃんが言っていたけど 製造元が同じってことじゃ
ないかなと思う。突き出しているのが 古い証拠と言われても 「ふ~ん」としか返答のしようがない。
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紋のような三つ巴が彫られているから何かいわれでもあるのかとおばあちゃんに聞くと 「全然。一般的なものみたいな」というので
当時それが流行っていたのかもしれない。
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見なれた外観 おじいちゃんはよく私たちに 壁板をペンキで塗り直したらいいと言ってきたけど、剥げようが私は あまり気にもしないことに
していた。ペンキを塗る前に 塗られているペンキをはがすのが 塗装の破片が目に入ってくるので嫌なのだ。一度剥がすのを手伝って以来
剥がすのは私で 塗るのはおじいちゃんという あまりに楽しくない作業だけだったのでやらないことにしていた。昨年はこのハゲハゲな壁面の
前に朝顔のプランターをおいて 目隠しにした。今年もそのつもりで プランターとネットを設置したら 解体することになって朝顔は
物干しの下に移動し、花を咲かせている。
29日にやってきた作業の方は 足場を組み始め 防音シートを取り付ける・・ということを始めた。
中国では今でも 竹で足場を組んでいるという建設現場をテレビで観たけど 竹は乾燥したら軽いけど まぁ国が違うから材料費は格段の差だな。
二階の部分 雨戸がついている、ここは先代の(私の祖父)の子供時代が勉強部屋として使っていたそうだ。畳だったのかゴザを敷いていたのかは
聞いてないけど 私が子供時代に入った時には 大きな釜やらシュロの皮とかろくなものは無かったと思う。
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三十年ほど前にはこの窓から コウモリが飛び立っていったのをみたこともある。壊す前に入った時に壁に貼られていたのが
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天皇陛下・皇后陛下の写真・・もとい御写真。よく戦時中の映画やドラマで 額に入れられた天皇陛下のお写真などを見かけますが
あらまぁ~うちもにもあったのね!と少し微妙なカンドー。最初は 昭和天皇?とおばあちゃんと言っていたけど 部屋を使っていたのが
明治生まれの祖父だから 明治天皇か大正天皇・・?いろいろと検索してみても同じようなお写真が見つからない、見つけられないので
たぶん髭を生やしている天皇陛下なので明治天皇ではないかと・・・。大正天皇のお写真って少ないみたいだし・・・。しかしなぜ
天皇陛下のお顔が破られているの?当時が当時なら そんなことしたらどこかに連れて行かれて反体制派みたいな扱いになっていたと
思うから、たぶん平和な時代にちょっとしたミスで 破いてしまった・・・ってことだろう。祖父に詳しい話を聞いておけばよかった。
残しておいた心境もよくわからないが、解体にあたって私が剥がすこともないし、そのままにしておいた。でも、ポスターサイズでしょ、
不謹慎だが≪ファン≫?だったのかな・・・大きけりゃいいってこともないっしょ!
階下の≪醤油納屋≫から 昔の使っていたすり鉢が出てきた。ふんふん、子供時代に見た記憶がある。
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重ねている小さいほうで とろろ汁を作るのに鉢の両側を押さえさせられたことがあった。初めは楽しいのだけど 飽きてくるのよね
じっとしていないといけないし・・・。大きいほうの鉢は 魚肉をすりこ木でつぶして いまでいうミンチにするすり鉢で 上のすり鉢の様な
たくさんの細い筋目はないんだって。おばあちゃんは 結局これも業者さんに持って行ってもらいました。立派な いびつ餅(柏餅)を作るときに
使う鉢がでてきて、 陶器で白地なので「メダカを飼うのに欲しい」と私がもらったけど まだ移し替えていません。井戸のポンプも止めているので
井戸水を使えるようになってから…。この解体以降 おばあちゃんは「家を建つのもしんどいけど 家を壊すのもしんどい。出来上がっていく
楽しみはないし 壊すのに疲れしか残らない」と言うようになった。たしかに・・・そうだ。