半月遅くなってしまったけど、先月15日付の読売新聞和歌山版に大きく掲載されていた記事です。
私たちの中高校時代には 通学圏内にあった県立古座(こざ)高等学校が今年度末で百年の歴史に幕を閉じるそうです。
長男君が通ったときは 県立古座高校でしたがその頃から生徒数が減少し、当時も学校を残そうと卒業生から在校生家族に
いたるまで 存続の署名活動をして 校舎は残ったけど校名が 私たちが通った県立串本高等学校とそれぞれ統廃合されて
県立串本古座高等学校古座校舎、串本校舎と名前を変えて存続していました。記事によれば 大正七年に串本高校・古座高校
(1918年 当時は串本実業学校、当時は古座実業学校)で開校され、生徒数減少で2008年に串本高校串本校舎・
古座校舎となって 校舎は残ったわけです。しかし、古座校舎に通う生徒数が激減したのでしょうか 2017年度から
古座校舎のみ募集停止になって、そしてとうとう今年度末で校舎の役割を終えるそうです。
私が通っていた頃は串本高校には一学年9クラスで一クラス40人前後でしたが 次男君が串本高校に通った時には
一学年たしか4クラスしかなかったと思います。いまは串本町になっているけど昔は古座町があって 古座町の
中学生はほとんどが古座高校に通っていたと思う。同じように串本町の中学生はほとんどが串本高校に入学していた。
それぞれの学校に由縁があれば親も子も同じ高校の卒業生のパターンが多い。私も串本高校だしおとうさんもそう。
おじいちゃんも実業高校のちの商業高校だった串本高校卒だ。長男君が中三の進路希望で 古座に行きたいと行った時は
「そういう選択もあったんだ」と思ったし、その頃から新宮市にある近畿大付属高校に通ったり 田辺市の田辺高校や
寮に入って御坊市の高専にいく生徒が町内でも見受けられるようになってきていた。高校から私立に行くのは
大学に行きたいと言いだした時に 親の負担もあるしべつに串本高校でなくても 古座高校でいいやん・・と思ったのです。
でも少子化の影響はすさまじいもので あれよあれよという間に 私は自分が卒園・卒業した幼稚園、小学校、中学校、
高校と統廃合されてまるで化石のような感じの、歴史に校名だけが残る卒業生となってしまった。それは長男君たちも
同じで 園舎や校舎だけ形が残っているなんともわびしい風景です。
新聞記事には、記念のメッセージボードに卒業生の≪青春の思い出を寄せて≫と呼びかけている・・・とある。
卒業生の長男君がそれに応えるかはわからないけど、私の卒業した串本高校はしばらくは存続するのではないかと思う。
紀伊半島の先端に隣り合った旧町それぞれに一校ずつあった高等学校。そこからそれぞれ田辺市、新宮市の高校に
通えるようになってきたから一つの高校を残す案が出るのもわかる。
古座高校には長男君が通っていたときや 自分が高校生の時に文化祭を見に行ったことがある。イメージは
古座高校生は真面目な優秀な生徒が多い。反対に串本高校生は やんちゃ?って感じの・・・
古座高の卒業生は約1万5,000人いるとされるんだって。どうする、長男君!メッセージはないのか?