今朝のほうれん草はおいしかった

2007年01月27日 | Weblog

私が現役の頃は、主に両親と家内が畑の野菜を作っていました。特に両親が年を取ってきてからは家内が作ってきました。私は力仕事を手伝うくらいでした。しかし、退職してからはこの土地をどう管理しようか考え始めました。管理しなければ草ぼうぼうになってしまい、山は草に木が倒され荒れ地になって、道路際の木は道路に倒れたり、近くの民家にも被害をもたらされかねない状態になってしまいます。それで、野菜作りをしながら木こりのまねごとをしたりしてやってきました。

話が少し飛躍しまして、とれたてのほうれん草のことになりますが、今日の朝食に出たほうれん草のおひたしを食べながら感じました。このほうれん草の甘さは買ってきたほうれん草ではとても味わえない味です。ただ自分で作ったものだからおいしいという、それだけではなくてそれ以外のおいしさが確かにあります。これだからきっと家庭菜園はやめられなくなるんだなと感じました。

            

ほうれん草のお浸しは、たぶん蕎麦にたとえれば盛り蕎麦に相当すると思います。蕎麦だけのおいしさを味わうなら盛り蕎麦。水で食べるということもありますが、まあお浸しに醤油を多少かけるのは蕎麦につゆをつけて食べるのに相当するものと思います。おいしいねー。

さて、上の写真は鳥に先の方を食べられてしまったほうれん草です。これでもまだ緑でいますから、これがうまく行けば育って多少は食べられるかなと思っています。たぶん、鳥にとってほうれん草はキャベツや白菜に次いでおいしい野菜なんでしょうね。こうなったら、たぶん農家では撤去するんでしょうが、そこが家庭菜園との大きな違いとなるでしょうか。こちらは商品を育てていませんからね。食べられれば良いんですから。専業農家ではそれだけたいへんだなと思います。

                             

同僚が退職するときに、なんと500枚ものレコードを私にくれました。もちろん私がレコードプレーヤーを持っていて、レコードも時々聴いていると知っているからです。そのせいで、自分が持っていたものに加算されますから、たいへんな量になってしまいました。 

             

そのレコードは、ただ置いておくだけではもったいないので、時々聞いています。なかなかCDにはならないものもあって、懐かしい思いをしながら聞くものもけっこうあります。

レコードをターンテーブルにそっと置いて、神経をとがらせながらそっと針を落としていくのは儀式だと言った人がいるそうですが、私はそういう感想は好きではありません。ただ聞くだけのがさつな者ですが、音楽そのものはとても良いですね。

CDは見えないところで回転していますが、レコードはとても良く見えます。盤の汚れもみえるし、もちろん回転しているのも見えます。とてもアナログ的で一種の暖かみがありますね。これはこれでちょっと面倒な作業も伴いますが良いものです。

古いジャケットの写真を見ながら昔を思ったりしてけっこう楽しさがあるものですよ。