おいとりがり

2009年12月10日 | Weblog

  曇という予報だったと思いますが、晴れてくれました。屋根に上げた風呂用の水は人肌くらい暖かくなりました。かなりの石油の節約になったはずです。石油の節約といういことは、Co2の排出も、その分だけ少なかったと言うことになります。これを30年以上もやってきたのですから、ものすごい節約になったはずですよ。

                            

 今日は、パソコンに暴れられてしまいました。パソコン自身が、電源を切るのに失敗したらしいのです。それで、うまく立ちあがらない状態になってしまいました。機械だけど、そういうことをしたい時もあるのかも知れませんね。

 とにかく、ダメなので、いっそのこと軽くするために買った時と同じ状態にセットアップをしなおしました。ところが、いろいろな設定をしなければならなく、もう面倒くさくなってしまいました。

 USB端子は5か所あるのですが、そのうち3つくらいはダメになっています。それにCDドライブも壊れてしまっているので、設定し直すなら新しいのを買ってしまおうかと迷い始めました。 とにかく使っていますからねー。


 

 今日は、近くにある史跡を紹介します。千束原追鳥狩本陣跡というところです。読み方は、「 せんぞくはら おいとりがり ほんじんあと 」 です。追鳥狩というのは、鳥獣の狩です。鷹狩は有名です。が、この場合、狩というのは名ばかりで、実際は軍事訓練です。

 水戸藩は海岸線が長く、幕末に水戸藩領の沖合に外国船が見え隠れするようになりました。そこで、水戸藩主の徳川斉昭(なりあき)という殿様が、外国の脅威に備えて、ここで軍事訓練をしたのです。斉昭は15代将軍の徳川慶喜の父親です。


 

 詳しくは、この説明板をお読みください。この狩をした場所が我が家の近くにあります。斉昭は、上の写真の祠のところ ( この社殿の裏に塚があり、そこが本陣跡と言われています ) に陣を張りました。


 

 千束原と言う名の通り、こ~~~んなに広いところです。ここは、昔は森があり、草地があり、森があり、草地がありというアメリカの国旗のように縞模様になっていたそうです。どうしてかと言うと、火がついたときに火が広がるのを少しでも防ぐためだとか。

 「坂の上の雲」というドラマが始まりました。、明治になる前に、いろいろな所で、大小いろいろなことがあったことでしょう。ここも、新しい日本になる前に、一つのことが行われた場所でした。


 


  この里に手まりつきつつ子どもらと
            遊ぶ春日(はるひ)は暮れずともよし     良寛


  この里に手まりつくよな子どもらは
            わずかになりてさびしくなりぬ         笑止

  この里はこどもらの数わずかなり
            あと4、5年は新入生無し           少子

  子どもらがうるさくてしかたなし
            静かにしてと言ひし頃なつかし        静子

  この里の子どもらの育つころ
            いまより住み良き世になりて欲し       期待

  きゅうおくえんそれをなにかに都合せば
            めぐまれぬ人すこしでも救わる        憎世(zouyo)

  めぐまれるひとのおこなうまつりごと
            ああとためいきつくばかりなり         嘆息