雨のスコダ

2012年05月03日 | Weblog


 一日くらいなら、雨は歓迎です。もっとも、いまは黄金週間の最中、あるいは人によっては後半の始まりという時ですから、この雨はさぞや恨めしいことと思いますが。

 働いている時には、せっかくの休日に雨が降ると実に残念な気がしました。ましてや、家族を連れて楽しんでもらおうという大切な日に雨に祟られると、実に残念です。特に子どもには気の毒です。

  

 何となく見てはいたのですが、どうだんつつじがこんなに緑になっていたとは。「心ここにあらざわれば、見れども見えず」とはまさに私のことです。ほかの雑事に気を取られて、せっかく今年も揃って緑の葉を出してくれていたのに。

  

 そろそろチューリップもおしまいになってきました。気温が下がったり光りが弱くなると花を閉じます。だんだん閉じる力がなくなってくると、もう散る時分になります。

          

 今日は、この曲を聞いています。モーツアルトのピアノ協奏曲第21,22,24番です。ウィーンの今は幻に近い存在のパウル・バドゥラ・スコダというピアニストの演奏です。

 40年以上も前に知ったピアニストですが、なんだか気に入ってしまって彼の録音したものを多少探したりしています。このCD、ジャケットの絵も好きです。


  

 畑で取れたレタスです。とれたてですから、おいしいですよ。瑞々しさとぱりっとした感触がおいしさを増します。草取りは地獄ですが、食べる時は極楽です。畑仕事は極楽も地獄も味わえます。まあ、多少は大げさですけどね。

  

 前もって古い風呂桶を水槽に利用しているのですが、雨が降るというので前もって底にたまった汚泥などを掃除して水を抜いておきました。作業中に撮りました。今ごろはもう溢れていることでしょう。

 プランターやハウスの中の野菜に水やりをしたり、シャベルを洗ったりするのに利用しているので、汚れていても鍋はあるのですが、それでもやはり溢れるほど降るわけですから、きれいにして置いたほうが気持ちいいです。

   補) 汚れていても鍋はある 
          鍋はあるが釜は無い → (汚れていても)かまわない

  
     廃 句

        読んでいていつのまにやら夢の中
        しっかりと読めない癖がついにつき
        休日の日が貴重な日々恋し          忙しくても若返りたい
        明日のことなど考えず生きていた
        読書中後ろに侍る猫が居て