歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

「北の零年」と「硫黄島からの手紙」

2007年01月07日 | 映画の話し
録画しておいた「ビデオ」を観ました。

兎に角『ホンマ! エー話しゃ  』関西弁になちゃいます。
「吉永小百合」綺麗です。泣けますネ!

「豊川悦司」いい役ですね。カッコイイです。こんな役をやってみたいですね。この映画で「感情移入」できるのは、五稜郭で「維新政府」と最後まで闘った、「幕府の残党」の「アシリカ」です。

しかし、最後が良くない。馬を「徴用」に来た、維新政府の「軍」と闘い、死んでいくべきだった。惚れた女が傷ついたぐらいで、戦闘意欲を失うなと云いたい。

捕まれば「国家反逆罪」で死刑は免れないのだから、潔く討ち死にすべきである。五稜郭で死にそこない、二度も死にそこなっては「哀れ」で「惨め」である。

どうも、この映画は「男」は「だらしなく」「惨め」に描かれ、「女」は「夢」を抱き「毅然」と生き「夢を叶える」・・・・・・。何か釈然としませんね・・・・・・男としては。

北海道の大地。やはり「母なる大地」ですかね。女。いや「母は強」ですかね。
行定勲監督は「マザコン?」ですかね。前作があの『世界の中心で、愛をさけぶ』だったんですね。

それにしても、歳のせいか「涙もろく」なりました。
志乃の娘「多恵」の「大後 寿々花」が良かった。許嫁が病に伏し、死が近づき「淡路島」の「花」を観たいと云ったとき、多恵が自分の花柄の着物を裂いて、「樹」に下げて、風に舞うシーンはボロボロ泣けました。

後半の「多恵役」の「石原さとみ」芝居が下手です。顔の芝居がなってないです。表情が硬く強ばるのです。微妙な感情表現ができないのです。大事な役なのにミスキャストですね。「興行収入」絡みで「組織動員」を狙った「営業重視キャスト」ですか?

「寿々花ちゃん」は云い役者になります。第二の「吉永小百合」になって下さい。


それとですね。最近は細かいことが気になるのです。

船が北海道に近づいた時に「陸が見える・・・島が見えるだったかな?」叫ぶシーンがあるのですが、当時、淡路島から北海道に行くのに、陸地が見えない沖を航行する筈はありません。

それと、ラストに近いシーンで、馬宮伝蔵役の「柳葉敏郎」が「ゼロから始めた仲間・・・・・・」と云う台詞なのてせすが、あの当時「ゼロ」とは云わないでしょう。

タイトルが「北の零年」ですが「零(れい)」を「zero」と英語読みする習慣はずっと後の事でしょう。

タイトルの英文表記は「YEAR ONE IN THE NORTH」 です。「0」から始めるのか、「1」から始めるのか? この違いは「面白い」ですよね。

それと、「日本アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞」の「吉永さん」に対して失礼なのですか、少女時代の「多恵」の「お母さん」には「無理」がありますね。はじめの頃のシーンで、「多恵」が「母上」と云うシーンで小さな「違和感」を感じました。小百合さんゴメンナサイ。

最後に作品の「テーマ」なのですが、ラストで「小松原志乃」の『生きているかぎり、夢見る力がある限り、きっと「何かが」私たちを助けてくれる』、この台詞なんでしょう。

内容は別にしても、最後のシーンで「台詞」で「こんな事」を「ストレート」に言わせるのは、稚拙な演出ですよね。ストリー展開の中で、観客に分からせる演出をして下さい。映画なのです、ラジオの朗読劇ではありません。

それにしても、この歳になると「こんなテーマ」は、「背中がこそばゆい」ですね。確かに、夢を抱けない時代に、敢えて「夢」の力を信じなさいと「呼びかける」のはいいのですが、夢だけでは「無理」がありますよホントに。

「何かが、私たちを助けてくれる」そう信じて、淡路島から北海道に来て、新たな「国=藩」を切り開く「努力と夢」を、「国=維新政府」の「廃藩置県」により、叶わぬこになる。

藩主が開拓地に来て「これも時代の流れ」と言って、家臣を置き去りして、さっさと帰ってしまうシーンは、個人の努力や夢が「いかに儚い」ものかを象徴するシーンだと思います。

監督の意図とは別に、個人と国の関係を考えさせる映画だと思います。
彼らは、幕末を薩長と闘い破れ、維新政府により北海道の地に「領地変え」され、「廃藩置県」の政策により、領地が消滅してしまう。

幕府のため、藩主の為に「仕える」ことが「正しい」として生きてきて、命を懸けて、「これが正義」と信じて闘い裏切られ、最後に「維新政府」にも裏切られる。

「何かが、私たちを助けてくれる」・・・・・・、これって最後は「神様」、「仏様」ですか? 何かを待っていてはいけません。 

何てことよりも、そんなに「息張って、力んで」生きないで下さいよ。

それで、渡辺謙がでていましたよね。渡辺謙といえば話題の「硫黄島からの手紙」ですね。

現在も続く「イラク戦争」、そして「ベトナム戦争」、そして「第二次大戦」。
「正義・民主主義・平和」を叫んで、国の為に闘った訳ですが、敵も味方も国からは同じ様なことを云われ、戦場で「双方の兵士達」が「国の命令」で戦い死んでいきました。そして、今も闘っています。

しかし、チョット待て「戦争」は「そんなきれい事」なのか? 戦争には別な目的が? 国が叫ぶ「正義」は絶対的なものか? 

『国のやることはあまり信じるな。戦争は、単なる政治の延長であり、単なる一時の政策選択の一つで、絶対的なものではない!』

その事に、「早く気付け!」と観客に向かって訴えている・・・・・・。これが「イーストウッド監督」の「テーマ」だと思いませんか?

「北の零年」も「そう云う」風にも読めませんか?

兎に角です。「最もらしい」ことを「最もらしい顔」して、「大声で叫ぶ」奴らは信用できません。

何か「力んで」しまった。焼酎が効いてきている。

頭冷やしてから寝よッ。   



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする