歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

下山事件を考える!生体轢断?死後轢断?

2008年09月08日 | 下山事件

本日より、あの歴史的事件、戦後政治の転換点、戦後最大の謎、暗殺、謀略、恐ろしくも、興味津々の事件を、推理、推測、憶測を交えて、明らかにして行きたいと思います。

“シリーズ”になるか、途中で気が変わるか、やってみなければ判りません。兎に角、始めます。

今回は事件に、“あまり”興味も関心も無い“B氏”の多大なる協力?を得て実現しました。



それでは、始めます。


私・・・では、私から。この事件は、先ず“死後轢断”か“生体轢断”かの論争があります。

B氏・・・シゴレキダン?に、セイタイレキダン? 何それ?

私・・・死んだ人をひき殺したのが死後轢断、生きている人をひき殺したのが生体轢断。

B氏・・・死後とか、生体とか、轢断とか、言葉がスゴイねぇ。終戦直後の焼け跡の匂いが漂うねぇ。まぁ、終戦直後の焼け跡の匂いは嗅いだ事はないけど。

私・・・まぁ、そうねぇ。それで、死後轢断であれば、死体が自分で歩いてくる訳ないから、他の場所で殺され、線路上に運ばれた事になり“他殺説”

生体轢断は、本人が線路際まで歩いて、列車に飛び込んだと云う事で“自殺説”と云う事。

B・・・線路際まで、誰かに脅されて連れて来られ、突き飛ばされた可能性とか、誤って線路に落ちて轢かれた“事故”だったとか、そう云う事は無いの?

私・・・誤って線路に落ちる場所ではないのォ! 線路際で突き飛ばされた可能性はゼロでは無いと思うけれど、目撃証言や、現場の状況、物証から、兎に角、自殺か他殺かです。



B氏・・・現在は、他殺説、自殺説のどちらが主流なの?

私・・・当時の政治的状況から他殺説が主流で、それに、まぁ、単なる自殺では、ある意味で“面白くない”と、云うことも・・・・・・あったりして、他殺説では、占領軍の情報機関による犯行説が有力です。

当然、私は、死後轢断、他殺説、占領軍の謀略、この立場です。


B氏・・・・・・占領軍の犯行ですか、何で、そんな事を占領軍がやったわけ?

私・・・・・・当時のソ連や中国、そして朝鮮半島での共産主義の攻勢があり、それに、呼応して国内の共産党や、労働組合の左翼運動が高揚した時期だった。

それに、事件の前日に、国鉄の“大量首切り”が発表され、国鉄での労使対立が極限に達していたこと。

そんな時に、国鉄関連の事件が連続的に発生したんだ。1949年7月5日の“下山国鉄総裁死亡事件”、10日後の15日の“無人列車暴走の三鷹事件”、翌8月17日には“列車が脱線転覆した松川事件”が、短期間に連続して発生した。

この連続的に発生した国鉄関連事件で、すべての犯行が、共産党に指導された労働組合が犯人とされ、世論は共産党や労働運動から離れって行き、左翼運動はこの時期から衰退していった。

B氏・・・その事件によって、誰が利益を得たのか、所謂、状況証拠から占領軍の犯行と云うわけだ。

私・・・そう! あの一連の事件を契機として左翼は衰退し、翌年に朝鮮戦争が始まり、戦後の経済が復興し、高度成長が始まり、今に繋がっている。

B氏・・・それで、当時の警察の捜査はどうなっていたの?

私・・・そう何です。ここが、また、謎なのです。捜査は中途半端に終わり、正式の発表も無く、非公式の見解がマスコミに“リーク”されただけ。

B氏・・・捜査はそんな曖昧のまま終わっちゃたの?

私・・・そう何です。ここらも謀略の匂いがする処で、占領軍の圧力で捜査は終結させられた可能性が高いのです。

何と云っても、この当時は、日本は“占領軍が統治”していたのです。占領軍の命令は絶対です。

B氏・・・そうか。戦争に負けて統治権は日本に無かったんだぁ。それで、警察の非公式な見解では、自殺なの他殺なの?

私・・・それが、また、いろいろと、ややこしいのです。え~と・・・・・・・


この続きは、また、明日。



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