先日、新聞に載った「タチスボスミレ」の“群生”の文字を見て、「牛久自然観察の森」に行って来ました。
“群生”の文字に、視界一面を埋め尽くタチツボスミレの薄紫の花、花、花・・・を想像し、大いなる期待に胸膨らませ、弾ませ、踊らせて、ペダルを漕いだのです。
観察の森に到着です。ゲートをくぐり、左手の駐車場脇にあるトイレで用を足し、いよいよ、群生を目指します。
ここから園内になります。広い原っぱでは一組の家族が遊んでいました。
木立の間から“ネイチャーセンター”の屋根が見えます。あの辺りに“群生”がある筈です。
説明板もあります。
タチツボスミレは、確かに咲いています。
でも、これって、群生? これは、場所が違うの? 群生は別の場所?
園長の特製看板もありますし・・・・・・。
記事ではネイチャーセンター脇の斜面と書いてありましたから、ここで間違いなさそうだし・・・・・・。
でも、これを“群生”と云うの? もしかして、盛りを過ぎたの? でも、新聞掲載は2日前だし・・・・・・・。
これは、もう、関係者に確かめる必要があります。ネイチャーセンターに向かいます。入り口でスリッパに履き替え、中に入ります。カウンターには誰も居ません。
カウンター奥の事務所では20代の男性が机に座り、パソコンに向かっています。「すいませ~ん」と声を掛け、
「そこの脇がタチスボスミレの“群生”場所ですか?」群生にちからを込めて聞いたのでした。
「はぃ。そうですけど」
「そうすると、もう、盛りを過ぎってしまったとか?」
「いぇ、そういう、わけでもないですけど・・・・・・」
「はぁ~、そうなんですか・・・・・・」
「園内には、他にも何カ所か咲いている場所がありますから、見つけてみて下さい」
「はぁ~、そうですが、他にも群生している訳ですね・・・・・・、ふ~ん、判りました」
どうも、群生の解釈に、かなり開きがあったようです。あの疎ら咲きも、それなりに群生と云うようなのです。
先ほどの群生地に戻り、特製園長看板をもう一度、しみじみ眺めます。
芭蕉の詠んだ句、「山路来て 何やら ゆかし すみれ草」を眺めつつ、スミレに“ゆかしさ”を感じるには、やはり、群生よりも、ひっそり、寂しく、ポツリ、ポツリと咲く方が“スミレらしい”と思ったり・・・・・・。
夏目漱石の「菫程 小さき人とに 生まれたし」を眺めつつ、やはり、スミレは隅っこで、ひっそり、静かに、真面目に、けなげに、咲いてこそスミレだと思ったり・・・・・・。
派手で、賑やかな、“群生”は、スミレには向いていないのだと、ひとり、納得しつつネイチャーセンター脇の、群生地を後にしました。
それでェ、それがァ、帰り際に入り口の駐車場の反対側にある林を見たら、なんと、なんと、一面を被う薄紫。
これは、もう、群生です! 間違いなく、正しい群生です。
タチツボスミレです!
ひっそり、ポツリ、ポツリも、ゆかしくて良いのですが、派手で賑やかな群生もまた、タチツボスミレには似合います。
“牛久観察の森”いろいろな、タチスボスミレ、ヨカッタ!です。
それでは、また明日。
“群生”の文字に、視界一面を埋め尽くタチツボスミレの薄紫の花、花、花・・・を想像し、大いなる期待に胸膨らませ、弾ませ、踊らせて、ペダルを漕いだのです。
観察の森に到着です。ゲートをくぐり、左手の駐車場脇にあるトイレで用を足し、いよいよ、群生を目指します。
ここから園内になります。広い原っぱでは一組の家族が遊んでいました。
木立の間から“ネイチャーセンター”の屋根が見えます。あの辺りに“群生”がある筈です。
説明板もあります。
タチツボスミレは、確かに咲いています。
でも、これって、群生? これは、場所が違うの? 群生は別の場所?
園長の特製看板もありますし・・・・・・。
記事ではネイチャーセンター脇の斜面と書いてありましたから、ここで間違いなさそうだし・・・・・・。
でも、これを“群生”と云うの? もしかして、盛りを過ぎたの? でも、新聞掲載は2日前だし・・・・・・・。
これは、もう、関係者に確かめる必要があります。ネイチャーセンターに向かいます。入り口でスリッパに履き替え、中に入ります。カウンターには誰も居ません。
カウンター奥の事務所では20代の男性が机に座り、パソコンに向かっています。「すいませ~ん」と声を掛け、
「そこの脇がタチスボスミレの“群生”場所ですか?」群生にちからを込めて聞いたのでした。
「はぃ。そうですけど」
「そうすると、もう、盛りを過ぎってしまったとか?」
「いぇ、そういう、わけでもないですけど・・・・・・」
「はぁ~、そうなんですか・・・・・・」
「園内には、他にも何カ所か咲いている場所がありますから、見つけてみて下さい」
「はぁ~、そうですが、他にも群生している訳ですね・・・・・・、ふ~ん、判りました」
どうも、群生の解釈に、かなり開きがあったようです。あの疎ら咲きも、それなりに群生と云うようなのです。
先ほどの群生地に戻り、特製園長看板をもう一度、しみじみ眺めます。
芭蕉の詠んだ句、「山路来て 何やら ゆかし すみれ草」を眺めつつ、スミレに“ゆかしさ”を感じるには、やはり、群生よりも、ひっそり、寂しく、ポツリ、ポツリと咲く方が“スミレらしい”と思ったり・・・・・・。
夏目漱石の「菫程 小さき人とに 生まれたし」を眺めつつ、やはり、スミレは隅っこで、ひっそり、静かに、真面目に、けなげに、咲いてこそスミレだと思ったり・・・・・・。
派手で、賑やかな、“群生”は、スミレには向いていないのだと、ひとり、納得しつつネイチャーセンター脇の、群生地を後にしました。
それでェ、それがァ、帰り際に入り口の駐車場の反対側にある林を見たら、なんと、なんと、一面を被う薄紫。
これは、もう、群生です! 間違いなく、正しい群生です。
タチツボスミレです!
ひっそり、ポツリ、ポツリも、ゆかしくて良いのですが、派手で賑やかな群生もまた、タチツボスミレには似合います。
“牛久観察の森”いろいろな、タチスボスミレ、ヨカッタ!です。
それでは、また明日。