歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

NHK 「世界ふれあい街歩き」いいです 

2007年01月11日 | テレビの話し
知ってました? この番組? NHKBSで2005年の3月から放送してたんです。地上波の総合では、1年10ヶ月遅れで放送されていたんです。

我が家は「地上波」しか受信できません。最初に見たのは11月2日の「モロッコ」の「マラケシュ」でした。


  

たまたま、夜中の「0時過ぎ」にチャンネルを合わせたら「面白そう」なので最後まで見てしまいました。始まって5分位したところからです。(45分番組)

見ているうちに、「面白そう」から「すっごく面白い」に変わりました。自分が「マラケシュの街」を「ぶらぶら」歩いている、そんな気分にさせてくれるのです。

手持ちカメラで、小人数での取材の様で、街を歩く人、商売をしている人、ものを作る職人、佇む老人、遊んでいる子供、みんなが気楽に、質問に受け答えをしてくれたり、話しかけてくるのです。

脚本もなく、事前の取材、打ち合わせのない「ぶっつけ本番」らしいのです。見ている途中で気が付いたのです、これって海外版「鶴瓶の家族に乾杯」でした。

この時の語りが「大地康雄」で、興味の示し方が私の波長に合っていましたし、語りも自然で、「何となく、ぶらぶら」している感じが出ていました。

実際には、「大地康雄」が「現地」を歩いた訳ではなく、取材の映像に合わせた脚本がある訳ですが、細かな言葉の使い方については、語り手に任されている様に思えます。

語り手の映像に対しての受け取り方、表現する言葉の使い方の「自由度」が高いほど、番組は生き生きして「臨場感」は増してくると思います。

語り手は、知識と経験と、自分なりの生活感があり、自分の言葉を持ち、「余計なもの」を連想させない、邪魔にならない、そんな声の人がいい。この時も、後で調べて「大地康雄」と知りました。


この「おじさん」は生年月日を調べたら「ほぼ同級生」でした。やっぱり歳が近いと波長も合います。

その後、「桂文珍」の「麗江」と「タブリン」。「矢崎滋」の「杭州」。それに「山本太郎」の「チェコのチェスキー・クルムロ?」を録画しておいて見たのです。

どれも、「大地康雄のマラケシュ」ほど面白くなかった。
「文珍」の「声」は、これまでに「色」が付いていて、声から「顔」が連想され、邪魔になる。「麗江」はまあまあであったが、「関西弁」での「ダブリン」は頂けない。

「矢崎」は全ての条件をクリアーしているが、「杭州」という場所が私の好みでなかったので、番組としては「いまいち」でした。

「山本」は、もう「まるっきりダメ」、語り手としては「役不足」です。ロケ地は面白いところであったが、語りで失敗です。

ロケ地は「遠く感」のある国の街がいい。アジアは人の「顔かたち」、街の「景観」に「遠く感」がありません。しかし、「北アメリカ」は「歴史的」にも新しいのでダメです。

好みは、ヨーロッパそれも「外れの方」がいいです。それと「北アフリカ・中東」が、文化的にも人種的にも「遠く感」があり、面白いですね。次は「南アメリカ」ですかね。


この番組の面白さは『こんな遠くの、こんなところで、こんな顔をした、こんな人達が、こんなことをして毎日くらしている、そんな不思議感・・・・・・』です。


この番組は、深夜0時から、明け方の3時頃の間に見るといいのです。この時間帯は、日常から切り離された時間です。

録画して見るのが最高です。それと、録画時間なんですが、毎週水曜日の「深夜0時」放送となっていますが、水曜日の深夜0時は木曜日ですよね? 録画の設定で「アレ」何か変? これでいいのか? と思ったりして、不安なので水曜日の11時59分に開始設定をしました。私って変?

我が家のビデオは古い手入力です、時々、失敗します。今回はすべて成功しました。正月には午前11時から何日間か毎日放送していたのですが、見落としてしまい、2本しか録画できませんでした。

語りは手は、「大地康雄」と「矢崎滋」が良さそうです。

今日は、南米ペルーの「クスコ」が放送されます。語り手が何処の番組表にも出ていません。怪しいぞ!これは。語り手が「視聴率」に影響する事を察知したNHKが、隠している可能性が・・・・・・。

しかし、この手の番組は「NHK」しかできませんね。

録画予約して寝ます。。。。。。。。。




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北条の街に「究極」の「歯科医院」を見た!

2007年01月10日 | 建物の話し
昨日の続き見たいのものです。

北条の町並みを紹介します。これは、昨日の「呉服屋」さんです、外壁は「黒漆喰仕上げ」風に見えたのですが、良く観察すると黒色の「ムラ具合」から「白漆喰」に「黒の塗装」したようにみえます。

それと、二階の窓回りの木製部分の「ペンキの色」は残念ですね。一階の「重厚感」と「正反対」ですね。実は、それで昨日の写真は「一階のアップ」を載せたのでした。二階はチョット「怪しい」です。


こちらは正真正銘の「黒漆喰仕上げ」です。北条の紹介には必ず出てくる、「宮本さんの家」です。1847年築の「登録文化財」です。


「黒漆喰」と云っても、ほとんどが剥げおちています。しかし、この「白」から「灰色」そして「黒」への変化。自然のグラデーションが「実にいい」味わいを醸し出しています。なかなか「モダン」です、面白いですこれは!

この「黒漆喰塗り」は「白漆喰」より、かなり「高価」だそうです。
「黒漆喰」は、白漆喰の上に「灰」を混ぜた「ねづ漆喰」を塗り、その上に「仕上げ」の「墨」を混ぜた「黒漆喰」を塗った、「三層構造」になっているそうです。
この「グラデーション」はその「証明」ですね。「宮本さん」はお金持ちだったのですね。


こちらの「お寿司屋」さんも「黒漆喰」なのですが、グラデーションを越えています。

白漆喰も剥がれ落ち、地の「土壁」が露出しています。「寂れ感」が漂う、私好み風景です。


そして、これです。どうですか? この「モダン建築」、石造りを模した、昭和初期?の木造モルタル二階建です。メインストリートから路地を入った奥にあります。

四方に石柱を模した柱をデザインしています。窓の形状が、通常の四角型に、アーチ型、そして尖った三角型と、多様なデザインになっています。



この「寂れ感」は素晴らしいです。外壁の退色具合に味わいがあります。ひび割れの補修跡に「哀愁感」が漂っています。

建物の入り口には「歯科医院」の看板があります。人の気配は感じませんでした。その時は、引退した「歯科医院」とかってに判断していました。

しかし、「驚いた」ことに、今回、つくば市の施設案内を調べたら、現役の「歯科医院」として記載されていたのです。

電話番号、住所を確認しました。間違いなく現役です。一度、中に入って診察して貰いたいですね。もしかしたら、若くて美人の「お医者さん」が居たりしてね。

何か「怖いもの見たさ」で一度は治療に訪れたい。皆さん、そんな気がしませんか? 私、先日、下の奥歯のブリッチ治療が終わったばかりで、悪いところがないので残念です。

「黒漆喰」の「土蔵造り」は日本全国どこにもありますが、この「モルタル二階建」の「モダン」な「現役」の「歯科医院」は、日本全国に「数えるほど」しかないでしょう。貴重ですね。

さァ。しっかり歯を磨いて寝ます。 







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春が待てない2!花のつくば道

2007年01月09日 | つくば市の風景
昨日、お花見をしたら、余計に「花」が恋しくなりました。

きょうは、去年の5月初旬に行って来た、「つくば道」の「花達」を紹介します。先に云っておきますが、花の名前は「あまり」と言うか、「かなり」詳しくありませんので悪しからず。

それでは、出発で~す。

ここが、つくば道の始まりの「北条」の市街です。この通りにも「登録文化財級」の建物がいくつかあるのですが、別の機会にします。

この店は「呉服屋」さんで、花屋さんではありません。重厚な建物です。手入れが行き届いていますね。



メインストリートの角に建てられた「石塔」です。ここ入ると「つくば道」がスタートです。

住宅が点在する緩やかな丘陵地を暫く歩くと、見通しのよい広い道路に出ます。
そこを少し行った、信号のある交差点の傍らに「ガイドマップ」が建っていました。

私、この前に立ち暫く考えました。辺りを何度も見回し、マップも何度も見直しました、「現在地」の表示がないのです。「ココは何処? どっちに行くの?」

『何なんだ!これは! 』 『責任者!出てこい!』と叫びたくなりました。 

結局、分からないまま「山勘」で方角を決め歩く事にしました。結果オーライでした。「勘が鋭い」と思ったのですよ、その時は・・・・・・。

しかしなのです。今回、写真を見直したところ、左下に「白のイラスト」と「案内板」の文字、マップの中央下に同じ「白いイラスト」を発見したです。

私はマップの中に「現在地」の文字を探していたのです。普通はこういう案内板には「現在地」って表示しますよね。思い込みって怖いですね。あの時、叫ばなくてよかった 

ここから、農家や住宅の点在する「集落」を抜けると、視界が開け正面に「筑波山」が迫り、道の両側は田圃になります。

田圃道から、緩やかな坂を歩くと「鳥居」が見えてきます。


ここからが、「急坂」の「登山道」のような道になります。

どうです、きつそうでしょ! 最初の5分は息が切れます。後は身体が慣れてきますよ。

それに、道端や、庭先に咲いた花達、趣のある素敵な建物が、疲労感を軽減してくれます。真っ白な塀が綺麗です。

この花、眩しいくらいに「色」が「鮮やか」でした。名前は・・・?


これは、「ツツジ」と下は「牡丹」かな? それとも「シャクヤク」かな?


これは「桐」の花?


これは、「アヤ目」か、それとも「花菖蒲」?


この黒塀の家、ナカナカでしょう。兎に角「手入れ」が行き届いて「綺麗」なんです。このあたりの家は、全て現役の住居です。

時代を感じるものの、「侘びしさ」や「寂れ感」がまったくないのです。昔の景観を残しつつ、相当に「手が入って」いますが、それは、それで素晴らしいです。


筑波山の「中腹」に近いので、風が当たり相当強いのでしょう。本瓦を漆喰で固めた屋根が美しいです。


この垣根に咲く花は???・・・・・・生まれて始めて見た気がします。綺麗ですね。


この花は、「ラン科」の花ですかね? 苔の付いた岩の間に咲く「赤い花」。


黒塀に格子戸、脇には刈り込まれた「つげの木?」、赤、白、赤紫のツツジ。白い壁に瓦屋根。素晴らしい! 


最終地点の「筑波山神社」です。北条の市街から約1時間の道程です。兎に角、良く整備されていましたね。車で行く方は、北条の市街中央に「無料駐車場」があります。

花の咲く季節、歩いてみては如何ですか?「日本の道百選」の「つくば道」でした。


2月になれば「梅」、梅が終わると桜、桜が散ると、ツツジが咲きはじめ、5月は「新緑」です・・・・・・、歳を重ね人生「秋」に近づいて来ると、花の季節「春」が待ち遠しくなりますね。

何か「しんみり」してきました。お湯割に演歌です・・・・・・


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春が待てない! お花見だ!

2007年01月08日 | 街の風景
先日の、「龍ヶ崎その3」に頂いたコメントの中に、桜の話しに触れられていた箇所があり、読み終わると、急に桜が観たくなってしまったのです。

そこで、去年の春に行った、神田川沿いの写真を眺め、一足先に、お花見気分を味わう事にしました。


『皆さんも  どうぞご一緒に如何ですか?』

この日は、三ノ輪橋から都電に乗り、「面影橋」で降りました。
都電に乗る時は必ずこの位置に乗り、運転手の動作を観察したり、進行方向の眺めを楽しむのです。

男の子ならば、一度は憧れる「電車の運転手」。そんな「幼い頃」の気持ちに暫し戻れる楽しい時間です! 


面影橋を降りると直ぐに、目の前は桜でいっぱいになります。
桜を観ると、人は自然に笑顔になります。「華やいだ気分」とはこのことですね。

みんな笑顔の「美男・美女」に変身します。桜の力は凄い!
もう少しで、散りはじめそうです。花びらが「ひらひら」と落花し、川面が花びらでピンクに染まる眺めも、きっと素晴らしいでしょう。


この辺りが最高のロケーションですね。樹の間に「椿山荘の入り口」が見えます。奥に見える、ピンクが濃い「桜」は「緋寒桜」でしょうかね。



門から現れた時、一瞬「ドッキ」としました。和服の「美女」です。前の「おっさん」邪魔!  「和服の女性」は、「桜効果」で「若く・美人」に見えてきます 


「い~いですね~」花見の宴会。ご馳走食べて、酒飲んで。『オーイ。春が来たぞ~~!』と大きな声で叫んでみたくなりますね。




それでは次に、静かに鑑賞できる場所に御案内します。
椿山荘の隣、目白通りに面した「講談社野間記念館」の垂れ桜です。

白亜の建物をバックに「一本の桜」。この一本だけが「いいです!」「美しいです!」「清楚です!」、「気品」があります。ここでは、静かに「憂い帯びた」表情でじっと桜を見つめます。

まぁ。花見ですから、弁当食べながら、見つめたい方は、左手のオレンジ色の屋根の窓側が「美術館(入場料500円)」の休憩室になっていますので、そちらで食事して下さい。

ここは、あの「講談社初代社長」の「野間清治」さんの「自宅」だったところなんです。凄い自宅ですね。



つぎは、講談社の社屋前を通過して、突き当たりにある「護国寺」の桜です。
少し早いですが「はなまつり」ですね。山門で「お釈迦さま」が出迎えています。甘茶をかけて下さい。可愛いお釈迦様です。



垂れ桜ですね。本日最後の桜です、じっくり味わいましょう。


如何でしたか? 何だかよけいに「花見」がしたくなりましたね。
今年は、何処に行こうか楽しみです。

実は、去年の11月に穴場を見つけているのです。今年の花見を楽しみにしているのです。その時はブログにアップします。場所は東京の・・・・・・。

春っぽい気分になりました。さぁ「春」を夢見て・・・ 


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「北の零年」と「硫黄島からの手紙」

2007年01月07日 | 映画の話し
録画しておいた「ビデオ」を観ました。

兎に角『ホンマ! エー話しゃ  』関西弁になちゃいます。
「吉永小百合」綺麗です。泣けますネ!

「豊川悦司」いい役ですね。カッコイイです。こんな役をやってみたいですね。この映画で「感情移入」できるのは、五稜郭で「維新政府」と最後まで闘った、「幕府の残党」の「アシリカ」です。

しかし、最後が良くない。馬を「徴用」に来た、維新政府の「軍」と闘い、死んでいくべきだった。惚れた女が傷ついたぐらいで、戦闘意欲を失うなと云いたい。

捕まれば「国家反逆罪」で死刑は免れないのだから、潔く討ち死にすべきである。五稜郭で死にそこない、二度も死にそこなっては「哀れ」で「惨め」である。

どうも、この映画は「男」は「だらしなく」「惨め」に描かれ、「女」は「夢」を抱き「毅然」と生き「夢を叶える」・・・・・・。何か釈然としませんね・・・・・・男としては。

北海道の大地。やはり「母なる大地」ですかね。女。いや「母は強」ですかね。
行定勲監督は「マザコン?」ですかね。前作があの『世界の中心で、愛をさけぶ』だったんですね。

それにしても、歳のせいか「涙もろく」なりました。
志乃の娘「多恵」の「大後 寿々花」が良かった。許嫁が病に伏し、死が近づき「淡路島」の「花」を観たいと云ったとき、多恵が自分の花柄の着物を裂いて、「樹」に下げて、風に舞うシーンはボロボロ泣けました。

後半の「多恵役」の「石原さとみ」芝居が下手です。顔の芝居がなってないです。表情が硬く強ばるのです。微妙な感情表現ができないのです。大事な役なのにミスキャストですね。「興行収入」絡みで「組織動員」を狙った「営業重視キャスト」ですか?

「寿々花ちゃん」は云い役者になります。第二の「吉永小百合」になって下さい。


それとですね。最近は細かいことが気になるのです。

船が北海道に近づいた時に「陸が見える・・・島が見えるだったかな?」叫ぶシーンがあるのですが、当時、淡路島から北海道に行くのに、陸地が見えない沖を航行する筈はありません。

それと、ラストに近いシーンで、馬宮伝蔵役の「柳葉敏郎」が「ゼロから始めた仲間・・・・・・」と云う台詞なのてせすが、あの当時「ゼロ」とは云わないでしょう。

タイトルが「北の零年」ですが「零(れい)」を「zero」と英語読みする習慣はずっと後の事でしょう。

タイトルの英文表記は「YEAR ONE IN THE NORTH」 です。「0」から始めるのか、「1」から始めるのか? この違いは「面白い」ですよね。

それと、「日本アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞」の「吉永さん」に対して失礼なのですか、少女時代の「多恵」の「お母さん」には「無理」がありますね。はじめの頃のシーンで、「多恵」が「母上」と云うシーンで小さな「違和感」を感じました。小百合さんゴメンナサイ。

最後に作品の「テーマ」なのですが、ラストで「小松原志乃」の『生きているかぎり、夢見る力がある限り、きっと「何かが」私たちを助けてくれる』、この台詞なんでしょう。

内容は別にしても、最後のシーンで「台詞」で「こんな事」を「ストレート」に言わせるのは、稚拙な演出ですよね。ストリー展開の中で、観客に分からせる演出をして下さい。映画なのです、ラジオの朗読劇ではありません。

それにしても、この歳になると「こんなテーマ」は、「背中がこそばゆい」ですね。確かに、夢を抱けない時代に、敢えて「夢」の力を信じなさいと「呼びかける」のはいいのですが、夢だけでは「無理」がありますよホントに。

「何かが、私たちを助けてくれる」そう信じて、淡路島から北海道に来て、新たな「国=藩」を切り開く「努力と夢」を、「国=維新政府」の「廃藩置県」により、叶わぬこになる。

藩主が開拓地に来て「これも時代の流れ」と言って、家臣を置き去りして、さっさと帰ってしまうシーンは、個人の努力や夢が「いかに儚い」ものかを象徴するシーンだと思います。

監督の意図とは別に、個人と国の関係を考えさせる映画だと思います。
彼らは、幕末を薩長と闘い破れ、維新政府により北海道の地に「領地変え」され、「廃藩置県」の政策により、領地が消滅してしまう。

幕府のため、藩主の為に「仕える」ことが「正しい」として生きてきて、命を懸けて、「これが正義」と信じて闘い裏切られ、最後に「維新政府」にも裏切られる。

「何かが、私たちを助けてくれる」・・・・・・、これって最後は「神様」、「仏様」ですか? 何かを待っていてはいけません。 

何てことよりも、そんなに「息張って、力んで」生きないで下さいよ。

それで、渡辺謙がでていましたよね。渡辺謙といえば話題の「硫黄島からの手紙」ですね。

現在も続く「イラク戦争」、そして「ベトナム戦争」、そして「第二次大戦」。
「正義・民主主義・平和」を叫んで、国の為に闘った訳ですが、敵も味方も国からは同じ様なことを云われ、戦場で「双方の兵士達」が「国の命令」で戦い死んでいきました。そして、今も闘っています。

しかし、チョット待て「戦争」は「そんなきれい事」なのか? 戦争には別な目的が? 国が叫ぶ「正義」は絶対的なものか? 

『国のやることはあまり信じるな。戦争は、単なる政治の延長であり、単なる一時の政策選択の一つで、絶対的なものではない!』

その事に、「早く気付け!」と観客に向かって訴えている・・・・・・。これが「イーストウッド監督」の「テーマ」だと思いませんか?

「北の零年」も「そう云う」風にも読めませんか?

兎に角です。「最もらしい」ことを「最もらしい顔」して、「大声で叫ぶ」奴らは信用できません。

何か「力んで」しまった。焼酎が効いてきている。

頭冷やしてから寝よッ。   



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「黒塀」と「謎のアルファベット文字」 龍ヶ崎 その3

2007年01月06日 | 龍ヶ崎の風景
昨日の続きです。

「小野瀬さん」の家の先にも、「登録文化財」レベルの「なかなかの」建物があります。

この「長屋門」いいですね。


ポストのある風景。これ「現役」ですね。


昭和初期に「流行」した商店形式ですね。表から見ると「石造り」、実はモルタル塗りの木造家屋なんです。お面を被り正体を隠した「仮面建築」です。


寂しく佇む「SHELL」の給油機です。付近に哀愁が漂っていました。


「龍ヶ崎観音」龍泉寺の「絵馬」です。

『稲敷郡茎崎村大字六斗・女人講中・明治三拾二年旧九月吉日』」とあり、描かれた女性達の和服姿が少し立派過ぎますね。

全員が「武家の奥方風」です。きっと、絵師に「実物以上」に描くよう注文したのでしょう。絵の具の落ち具合も良く、面白い絵でした。


本堂脇にある「「賓頭盧(びんずる)尊者(そんじゃ)」です。なかなか「現代的」なお顔しています。お釈迦様の偉い弟子(16羅漢)の一人なんですね。

「おびんずる様」とか「なで仏」云われていて、自分の身体の悪いところをなでると良くなるそうです。私も、思わず頭を「撫で撫で」してしまいました。つるつるして気持ち良かったです。

この塔は、旧水戸街道の「若柴宿」に向かう途中にありました。

「来迎院」の「多宝塔」です。説明板には「室町後期」の建造と記されていました。五百年近く経つのです。

これまでには何回か修繕されており、屋根などはかなり最近修繕したようです。下層の柱や扉、外壁は「五百年」の年を越えた趣があります。

この複雑な「木組み」が面白いですね。こんな所に、こんな歴史的建造物があるなんて予想外でした。得した気分になりました。


坂をあがきり、左にカーブして「若柴宿」入って直ぐに目に飛び込んできたのが、この黒塀に「うっすら」と浮かぶ「EPS」の文字。

あまりにも黒塀と一体化しており、何かの「お呪い」かと思ってしまいました。暫く見つめていると、文字の下に描かれた「波形」に注目し、謎が解けました。

「PEPSI COLA」の看板だったのです。「地の部分」に描かれた「最初のP」と、「最後のI」が消えていたのです。

塀の塗装をする際に、錆びた看板まで一緒に塗ってしまったのでしょう。何故?看板を取り外さなかったのか? 

広告代理店との契約が「継続」している? 家主は看板の存在を忘れていて、塗装屋さんは、外す手間が面倒なので、そのまま一緒に上塗りをした?

それにしても、「和」の象徴「黒塀」と、「アメリカ文化」の象徴「PEPSI COLA」が、実に良く「融合」している風景でした。面白いですよこれは。



これは「残念」でした。以前に来たときは「朽ち果て」かけていて「寂しさ感」が実によかったのですが、つい最近、建て替えられたようです。

「時代付け」をしてほしいですね。趣がでるまで、後、数十年かかりますよ。

しかし、見るところが沢山ありました。この日は、車をスーパーの駐車場に入れて、折り畳み自転車で市内を走り回りました。

楽しかったです龍ヶ崎。この日は「歴史民俗博物館」も休館中でしたし、春になったらまた行こうと思います。

  それでは。。。。。。。。 





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「旧家と石柱の謎」 龍ヶ崎  その 2

2007年01月05日 | 龍ヶ崎の風景
昨日の続きです。

昼食後、「メインストリート」を「ウロ・キョロ」と歩いてみました。

「小野瀬さん」の家の前で、「キョロキョロ」と周囲を見回し、ガラス戸越しに中を覗いたりしていました。

以前は気が付かなかった「防火用水」を眺め、側にある石塀に視線を移し、「なかなかですね」と感心しながら石塀を伝いに歩きはじめたのです。


そこで、薄暗い路地を見つけました。


これは「ケッコウ」な「趣」ではないかと思い、路地の奥に向かって歩き始め、突き当たりを右に曲がって、「ビックリ」しました。


切石積み、腰板、漆喰に「弁柄」塗りの壁に、本瓦、本格的な塀の造りに、暫し感動です。「キョロキョロ」「ウロウロ」してしまいました。



壁伝いに左に曲がると陽が差し込み、弁柄塗りの漆喰が鮮やかさを増し、「ここは何処? 今はいつ?」 興奮しましたね。

「龍ヶ崎」でこんな光景に出会えるとは、「想定外」の「素晴らしさ」です。
暫く佇んで眺めていると・・・・・・門の扉が開き、和服姿の美しい女性が現れる気配を感じたのですが・・・・・・残念ながら現れませんでした。

路地を行ったり来たりしていると、「どてら」を着て「サンダル」履きの「おじいさん」に出会い、「挨拶」をされ「現実」に引き戻されました。


現実に戻り、辺りを眺めると「変な」ことに気付いたのです。見ている方の中にも気付いた方がいると思います。「所有権」を主張する「石柱」何です。

通りから入って、突き当たりを右に曲がり、少し行って突き当たり迄が「小野瀬さん」の所有地で、その先、弁柄塀伝いの路地は「川北さん」の土地なんですね。

「川北さん家」と「小野瀬さん家」伴に、所有権を表示する石柱が「各2本」で「計4本」建っていました。

何か「過去」にあったのでしょうかね? もしや。両家に境界線を巡る、長い「ドラマチック」な争いの歴史があったりして・・・・・・。

「メインストリート」から、路地に入る所の石柱の裏には、路地の巾、長さまで書かれていました。


兎に角です。この路地の景観は「重要文化財」ですね。
龍ヶ崎には、未だいろいろあるので・・・・・・又、明日に続きま~す。

それでは。お休み。。。。。。。。 

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「コロッケそば」の中に「龍ヶ崎」が見えた!

2007年01月04日 | 龍ヶ崎の風景
今日、龍ヶ崎に行ってきました。

去年の12月27日に、龍ヶ崎について書いたところ、龍ヶ崎の方からコメントを貰いました。

その中で、「赤レンガの門」は、9月に解体されたこと。1月11日迄、「また会う日まで 赤レンガのある風景」の写真展が開催されていることが書かれていました。(詳細は12/27のコメントを参照して下さい)

それでェ~。今日、「仕事始め」として「龍ヶ崎」に行ってきたのです。


ホントに何処の自治体でも、庁舎は立派なんですよね。

確かにやっていました写真展。


写真展を覗いた後、直ぐに「現場」の「諸岡さんの家」を確認してきました。

これが解体前の現場です。


解体後の「現場」です。さっぱりしてます。


現場の前に積まれていた「残骸の山」にあった「郵便受け」です。


よく見ると「Hibiki・SHIMATO」と「メーカー名」が書かれた「銘板」に、傷のように書かれた「3937」の数字と、「モロオカ」の文字を発見。「3937」は番地ですね。誰がいつ書いたのでしょうね。



敷地の境にある「レンガ塀」です。跡地に何かができるとしても、この塀は「じゃま」にはならない様に思えました。

この「赤レンガ門と塀」を残す為に、「赤レンガ保存実行委員会」が結成され、保存運動が行われていました。

こういう「運動」には「反対」ではないのですが、私としては、「時の流れに身を任す派」なので、自然でも人工的な物でも、「変化」し、いつかは「消え」て行くものと考えています。

それと、暮らしと切り離されて、別の場所で「保存」することは、単なる「見世物」、「観光資源」とされるのでは・・・・・・・「何だかなァ~」と思ったりするのです。
まぁ。兎に角、悪いことではないですよ。

アッそうでした。それと、前回の12/27のタイトル『 手遅れです「龍ヶ崎」茨城シリーズ 最終回 』は適切では有りませんでしたね。

「手遅れ」は「旧メインストリート」にのみ、「当てはまる」言葉ですね。


それでコロッケの話し何です。
「寂れた駅舎」にある「寂れたスタンドそば」に入り、「しみじみ」と「一人寂しく」そばを「手繰り」、軽い「昼食」と思ったのです。


食べましたよ「コロッケそば320円」を、笑っちゃいました。
これだけ「旨い」と云う言葉から「遠~い」味は、重要文化財級ですね。

「そば」は噛む必要がなく「口に入れ」ると「とろける」のです。高齢化社会を先取りする「食感」でした。

「立ち食い派」の私としても、貴重な経験でした。この「おおらか具合」が龍ヶ崎的なのでしょう。

昼食後に、市街を「ウロウロ・キョロキョロ」してきました。
面白いものが、未だ沢山あったので、続きは明日にします。

  おやすみ。 

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「ウロウロ」と「キョロキョロ」

2007年01月03日 | その他
年の始めなのでこの一年の「大方針」何てことを、「ボンヤリ」と考えてみました。

何と云っても、今年の干支は「イノシシ」ですよね。「イノシシ」に「引っ掛けて」何かないかと考えたのですが、思い浮かぶの一言は「猪突猛進」だけですね。

「猪突猛進」を辞書で引くと、

『一つのことに向かって、向こう見ずに猛烈な勢いで、つき進むこと』

何て説明がありました。私としては、

「一つのことに」向かわないですし。
「向こう見ず」ではなく、彼方此方見るし。
「猛烈な勢い」ではなく、ゆっくりのんびりですし。
「突きすす進むこと」はなく、行ったり来たり、横道に入り込んだりですし。

今年の干支の「イノシシ」とはまったく反対でした。
そもそも、「大方針」何てことを考えたのが「大誤算」でした。 

あっさりと「方針」を「転換」して、「方針」をたてないことを「方針」に決定します。やっぱり「方針」何て、私には「馴染め」ない言葉でした。


そこで、「ボンヤリ」と考えたところ、キャッチフレーズを創ることにしましす。

直ぐにできました。
それでは、発表しま~す。今年の「キャッチフレーズ」です。


「うろうろ」歩き。

「きょろきょろ」見回し。

「ゆるゆる」食べ。

「そこそこ」考える。

        以上です。


ま~だ、頭の中が「お正月」なのです。
ま~だ、ブログの更新も遅れ気味、「ぼちぼち」なのです。暫く、歩き回っていないので、明日あたりは、何処かに出かけて来ようと「ぼんやり」考えています。


それでは。。。。。。。 



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初詣2 孫と一緒

2007年01月02日 | その他
今年二回目の「初詣」に行って来ました。

 可愛い孫と一緒で~す。




孫から「お年玉」に「DVD」をもらいました。 

「スィミングスクール」のシーン可愛い  





自転車にも乗れるようになりました。 


お正月バージョンでお送りしました。

ホントに可愛いですよ  


       「じじバカ」でした。  



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