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ひろさちや・著“法然を読む”を読んで

一旦親鸞の師匠の法然を飛ばして『ひろさちやの「親鸞」を読む』 を読んでしまった。何やら焦って先走ったのである。だが、誰しもが言うのは、“法然があっての親鸞であり、法然なしには親鸞は語れない”。やっぱり、その身勝手はまずいとばかり、今回は同じ“ひろさちや”氏の同じシリーズの『ひろさちやの「法然」を読む』を読んだので、報告したい。 この本の“まえがき”で著者は日本に当初入ってきた仏教は大乗仏教のはずだったが、基本を忘れた“一種のエリート主義の仏教”であったと指摘している。“そのような特権階級のための仏教を、仏教が本来あるべき姿、すなわち、――民衆のための仏教――に戻した思想家が、平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した法然です”と紹介している。したがって、“偉大なる宗教改革者”であるとも言っている。この本を読んでみて、それをしっかり確認させてもらった。 . . . 本文を読む
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