The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
竹内一郎・著“見抜く力―結果を出す人はどこを見ているか”を読んで
先週も触れたが、五輪汚職の報道は一段落したようが、特捜検察の捜査は山場に入った由。
だが、それにしても五輪汚職はD社関連だけなのか。人材派遣業や給食事業にも波及しないのか。不透明な会計処理そのままで、札幌五輪もエサになるのか。有象無象が群がる利権。有象無象を放置したままで良いのだろうか?
内閣支持率急落とのこと。急いでやった内閣改造だが、それにもかかわらず支持率急落!
外国勢力の宗教団体との保守派の腐れ縁が暴露された!元首相の国葬速断!コロナ禍急増への後手・朝令暮改!諸物価高騰!
これらが全て裏目に出たことが原因だという。速断せず熟慮すべきものを速断し、コロナ禍急増へは後手を引いたアホアホ対応。これで3代内閣続けてのアホアホ政権。日本の政治家の劣化が甚だしいのが情けない。
誰がやってもアホアホならば、イッソAIで政治をヤレ!ッテカ?
さて、今回は久しぶりの“書棚”投稿としたい。竹内一郎・著“見抜く力”を取り上げたい。“見抜く力”というか本来は“「人を」見抜く力”が欲しかったのだが、先ずは、その初歩からとして読んでみた。というのは、仕事の審査で相手かまわずおしゃべりしての失敗が多いので、“「人を」見抜く力”が乏しいのが原因だと思い、何らかの対策のヒントが欲しかったのだ。
概要並びに著者・竹内一郎氏の紹介は次の通りである。
[内容説明]
見た目から真実を見抜き、結果を出す人がいる。コミュニケーションに限らず、仕事には「受信と発信」が不可欠だが、そうした人は五感で受信し、トライ&エラーを恐れず発信するから結果的に見抜く力が養われるのだ。竹内流「目の付け所」から「受信・発信力の鍛え方」までを授ける書!
[著者・タケウチイチロウ]
1956年、福岡県生まれ。横浜国立大学教育学部心理学科卒。一般社団法人演劇集団ワンダーランドを主宰。宝塚大学東京メディア芸術学部教授。劇作家・演出家として活躍する一方、さいふうめい名義で漫画『哲也 雀聖と呼ばれた男』の原案を担当し、講談社漫画賞を受賞。ベストセラーになった『人は見た目が9割』など、著書多数。
著者は“はじめに”で、禅語の“遍界曽て蔵さず(へんかいかつてかくさず)”の言葉の紹介から始めている。“中国の禅語である。空も海も太陽も月も、世界のすべてはあるがままに存在し、何も隠してはいない。真実はそもそも隠れていないと言う意味だ”という。そして“コミュニケーションといえば、「発信」が大事と思っている人が多い”が、実は“「発信」の何倍も「受信」が大切だと考える”と指摘している。“受信力は発信力の源である。そして、「受信と発信のキャッチボール」こそがコミュニケーションである”。と言い“コミュニケーションの大本である受信力の鈍い人が、すぐれた発信者になれるはずもない。”と断言している。受信と発信の“トライ&エラーを繰り返すことで、総合的に「見抜く力」は養われていくのではないか。一朝一夕で身に付く力ではない。近道はないように思う。”と言っている。
本の構成・目次は次の通り。
[目次]
1章 結果を出す人は何を見ているか、どこを見ているか(初めての街で「いい店」を見つけられるか;経費節約の隙間に、ビジネスチャンスあり ほか)
2章 心がまえ、思考、動作…結果を出し続ける人の共通点(先入観を持たない;“小さな違和感”に気づく ほか)
3章 自分と他人を客観的に見るための心理法則(人は、自分が利用しやすい情報を重視する;フレーミング効果の影響は大きい ほか)
4章 見抜く力は五感で「受信」してこそ育まれる(究極の発信は受信である;キャッチボールが難しいのは「聞いていない」から ほか)
5章 受信したものを、いかにオリジナルな「発信」につなげるか(発信は、自己肯定感から始まる;仕事を「流す」と発信力は落ちる ほか)
“初めての街で「いい店」を見つけられるか”
初めての街で駅前のチェーン店を素通りして、暗い脇道に入って、地元のリピーターが来るようなほどほどの「いい店」を見つける名人が著者の身近にいる、という。道幅の狭い大きなビル群の少ない家賃の安い場所で営業するセンスが良くて嫌な商売っ気のない店を見つける勘を養うには、“建物群の「見た目」から、地図を再現し、地元のリピーターを相手に商っている店を割り出している”のだという。
“まずくなるラーメン店はひと目でわかる”
すしやフランス料理レストランと違って、ラーメン店は短い修行期間で手っ取り早く開業できる飲食業態。開店当初は、材料を吟味し丁寧に作り上げて評判をとるが、やがて原価率を抑えて手を抜き始める。手広く店舗を広げると手抜きする店長が現れて、味が落ちて来る。そうして、ダメになるパターンに陥る。ところが、美味いラーメンをひたすら作ろうとする店主は、自分を売ろうとすることはなく、店頭に自分の写真は置くことはない。
“「本当に信用できる人」の見極め方”
“私は30年以上、人の信頼を裏切っていない人は、ある程度信頼できると考えている。逆に言うと、10年ぐらいよくても、いつか信頼を失くしそうな人とは安心して付き合えない”と言っている。逆に、“一瞬で懐に入ってくる人は要注意”となる。
“人生は短距離走ではない、マラソンだ”
“60代くらいまで自分のペースを守り、大崩れしない人が、強いメンタルと体力の持ち主である。”
そのためには、生き方・人生のフォームを作ることが肝要で、フォームが崩れると人生大崩れの可能性も出てくる。自分の長所・短所から“これなら長い間続けられる、というものがフォームになる”と言う。また“「努力が苦にならない」ようにならためにも、「好き」なことをやったほうがよい”、とも言う。
“なぜ緊急時に即、行動を起こせないのか”
①「これくらいは普通だ」の心理
②「自分だけは大丈夫」の心理
③「前回大丈夫だったから」の心理
④「みんなと一緒に」の心理
“普段と何か違うぞと思わない限り、私たちは特別な行動をとることがない”。変化の中に「非日常」を敏感に感じ取る力が必要なのだ。
“集団全体が誤った判断をするとき”
1961年に在米亡命キューバ人部隊1400人が米CIAの支援の下でキューバに侵攻してカストロ政権の打倒を試みたケネディのピッグス湾事件の事例を挙げて、投入人員の訓練未熟で少数、しかも事前に情報が漏れていたという杜撰な計画で見事に失敗した。
その原因を心理学では「集団思考」という分類を与えて、同じ考えを持ったものだけで作戦計画を練ると、ある種の罠にはまって失敗するという事例を挙げて説明している。第二次大戦の日本軍もそうだった。異なる発想を持った人がいないと失敗する。
“(言葉の)キャッチボールが難しいのは「聞いていない」から”
著者が初めから繰り返しているのだが、“受信は発信の基本なのである。コミュニケーションにとってまず重要なものは受信で、次に発信なのである。きちんと受信できる人が、発信も上手い人ということになる。”どこかで聞いたような“聞く力”なのか?
“ゲーテにもエッカーマンという聞き役がいた”
話し手より多少劣った聞き役が、話し手に心地よい広がりを与える、という意味のことを指摘している。
“ブレーン・ストーミングの利点は、自分だけで考えていてもまとまらないものが、人と話している内にまとまっていくというところだ。”“企画なども、雑談の中で生まれることも多い。・・・人と人が化学反応をしていくうちに、生まれるものがあうのではなかろうか”と言っている。
“発信は自己肯定感から始まる”
“人が発信をするエンジンは「自己肯定感」である。それさえあれば、道端に足が1本欠けたバッタを見ても、「人に語るべき事件」になるのである。”
“あがるのは真剣だから、決して悪いことではない”
“「あがる」「不安になる」は、人が真剣に生きる上で良いことなのである。”“逆に、緊張しない仕事が続いている時には、人は成長していないものだ。”
“アドヴァイスの要諦は「手柄を相手に与える」こと”
苦戦している後輩に、対応策を複数提示して相手に選ばせる。それで成功すれば、“手柄が相手に行くように配慮する。” “だが成果のない人が、人にアドヴァイスするのは難しい。” “相手に「花を持たせる」のは余裕のなせる業である。”
というような、残念ながら事例の羅列で終わっている。これでは目次・構成の意味はあまりない。今一歩の系統化、総括化、抽象化が求められる。しかも終盤では「見抜く力」からは、主題がズレているような気もする。
“見抜く力”とは、結局人間力の総合なので、そうならざるを得ないのかも知れない。矢張り取分け“受信力”が大切とのことのようだ。そしてそれは“一朝一夕で身に付く力ではない。近道はない”と言うのだ。
だがこれで、審査で相手かまわずおしゃべりしての失敗した対策の“受信力”向上の直接のヒントが得られたとは言い難い。ザンネン!
だが、それにしても五輪汚職はD社関連だけなのか。人材派遣業や給食事業にも波及しないのか。不透明な会計処理そのままで、札幌五輪もエサになるのか。有象無象が群がる利権。有象無象を放置したままで良いのだろうか?
内閣支持率急落とのこと。急いでやった内閣改造だが、それにもかかわらず支持率急落!
外国勢力の宗教団体との保守派の腐れ縁が暴露された!元首相の国葬速断!コロナ禍急増への後手・朝令暮改!諸物価高騰!
これらが全て裏目に出たことが原因だという。速断せず熟慮すべきものを速断し、コロナ禍急増へは後手を引いたアホアホ対応。これで3代内閣続けてのアホアホ政権。日本の政治家の劣化が甚だしいのが情けない。
誰がやってもアホアホならば、イッソAIで政治をヤレ!ッテカ?
さて、今回は久しぶりの“書棚”投稿としたい。竹内一郎・著“見抜く力”を取り上げたい。“見抜く力”というか本来は“「人を」見抜く力”が欲しかったのだが、先ずは、その初歩からとして読んでみた。というのは、仕事の審査で相手かまわずおしゃべりしての失敗が多いので、“「人を」見抜く力”が乏しいのが原因だと思い、何らかの対策のヒントが欲しかったのだ。
概要並びに著者・竹内一郎氏の紹介は次の通りである。
[内容説明]
見た目から真実を見抜き、結果を出す人がいる。コミュニケーションに限らず、仕事には「受信と発信」が不可欠だが、そうした人は五感で受信し、トライ&エラーを恐れず発信するから結果的に見抜く力が養われるのだ。竹内流「目の付け所」から「受信・発信力の鍛え方」までを授ける書!
[著者・タケウチイチロウ]
1956年、福岡県生まれ。横浜国立大学教育学部心理学科卒。一般社団法人演劇集団ワンダーランドを主宰。宝塚大学東京メディア芸術学部教授。劇作家・演出家として活躍する一方、さいふうめい名義で漫画『哲也 雀聖と呼ばれた男』の原案を担当し、講談社漫画賞を受賞。ベストセラーになった『人は見た目が9割』など、著書多数。
著者は“はじめに”で、禅語の“遍界曽て蔵さず(へんかいかつてかくさず)”の言葉の紹介から始めている。“中国の禅語である。空も海も太陽も月も、世界のすべてはあるがままに存在し、何も隠してはいない。真実はそもそも隠れていないと言う意味だ”という。そして“コミュニケーションといえば、「発信」が大事と思っている人が多い”が、実は“「発信」の何倍も「受信」が大切だと考える”と指摘している。“受信力は発信力の源である。そして、「受信と発信のキャッチボール」こそがコミュニケーションである”。と言い“コミュニケーションの大本である受信力の鈍い人が、すぐれた発信者になれるはずもない。”と断言している。受信と発信の“トライ&エラーを繰り返すことで、総合的に「見抜く力」は養われていくのではないか。一朝一夕で身に付く力ではない。近道はないように思う。”と言っている。
本の構成・目次は次の通り。
[目次]
1章 結果を出す人は何を見ているか、どこを見ているか(初めての街で「いい店」を見つけられるか;経費節約の隙間に、ビジネスチャンスあり ほか)
2章 心がまえ、思考、動作…結果を出し続ける人の共通点(先入観を持たない;“小さな違和感”に気づく ほか)
3章 自分と他人を客観的に見るための心理法則(人は、自分が利用しやすい情報を重視する;フレーミング効果の影響は大きい ほか)
4章 見抜く力は五感で「受信」してこそ育まれる(究極の発信は受信である;キャッチボールが難しいのは「聞いていない」から ほか)
5章 受信したものを、いかにオリジナルな「発信」につなげるか(発信は、自己肯定感から始まる;仕事を「流す」と発信力は落ちる ほか)
“初めての街で「いい店」を見つけられるか”
初めての街で駅前のチェーン店を素通りして、暗い脇道に入って、地元のリピーターが来るようなほどほどの「いい店」を見つける名人が著者の身近にいる、という。道幅の狭い大きなビル群の少ない家賃の安い場所で営業するセンスが良くて嫌な商売っ気のない店を見つける勘を養うには、“建物群の「見た目」から、地図を再現し、地元のリピーターを相手に商っている店を割り出している”のだという。
“まずくなるラーメン店はひと目でわかる”
すしやフランス料理レストランと違って、ラーメン店は短い修行期間で手っ取り早く開業できる飲食業態。開店当初は、材料を吟味し丁寧に作り上げて評判をとるが、やがて原価率を抑えて手を抜き始める。手広く店舗を広げると手抜きする店長が現れて、味が落ちて来る。そうして、ダメになるパターンに陥る。ところが、美味いラーメンをひたすら作ろうとする店主は、自分を売ろうとすることはなく、店頭に自分の写真は置くことはない。
“「本当に信用できる人」の見極め方”
“私は30年以上、人の信頼を裏切っていない人は、ある程度信頼できると考えている。逆に言うと、10年ぐらいよくても、いつか信頼を失くしそうな人とは安心して付き合えない”と言っている。逆に、“一瞬で懐に入ってくる人は要注意”となる。
“人生は短距離走ではない、マラソンだ”
“60代くらいまで自分のペースを守り、大崩れしない人が、強いメンタルと体力の持ち主である。”
そのためには、生き方・人生のフォームを作ることが肝要で、フォームが崩れると人生大崩れの可能性も出てくる。自分の長所・短所から“これなら長い間続けられる、というものがフォームになる”と言う。また“「努力が苦にならない」ようにならためにも、「好き」なことをやったほうがよい”、とも言う。
“なぜ緊急時に即、行動を起こせないのか”
①「これくらいは普通だ」の心理
②「自分だけは大丈夫」の心理
③「前回大丈夫だったから」の心理
④「みんなと一緒に」の心理
“普段と何か違うぞと思わない限り、私たちは特別な行動をとることがない”。変化の中に「非日常」を敏感に感じ取る力が必要なのだ。
“集団全体が誤った判断をするとき”
1961年に在米亡命キューバ人部隊1400人が米CIAの支援の下でキューバに侵攻してカストロ政権の打倒を試みたケネディのピッグス湾事件の事例を挙げて、投入人員の訓練未熟で少数、しかも事前に情報が漏れていたという杜撰な計画で見事に失敗した。
その原因を心理学では「集団思考」という分類を与えて、同じ考えを持ったものだけで作戦計画を練ると、ある種の罠にはまって失敗するという事例を挙げて説明している。第二次大戦の日本軍もそうだった。異なる発想を持った人がいないと失敗する。
“(言葉の)キャッチボールが難しいのは「聞いていない」から”
著者が初めから繰り返しているのだが、“受信は発信の基本なのである。コミュニケーションにとってまず重要なものは受信で、次に発信なのである。きちんと受信できる人が、発信も上手い人ということになる。”どこかで聞いたような“聞く力”なのか?
“ゲーテにもエッカーマンという聞き役がいた”
話し手より多少劣った聞き役が、話し手に心地よい広がりを与える、という意味のことを指摘している。
“ブレーン・ストーミングの利点は、自分だけで考えていてもまとまらないものが、人と話している内にまとまっていくというところだ。”“企画なども、雑談の中で生まれることも多い。・・・人と人が化学反応をしていくうちに、生まれるものがあうのではなかろうか”と言っている。
“発信は自己肯定感から始まる”
“人が発信をするエンジンは「自己肯定感」である。それさえあれば、道端に足が1本欠けたバッタを見ても、「人に語るべき事件」になるのである。”
“あがるのは真剣だから、決して悪いことではない”
“「あがる」「不安になる」は、人が真剣に生きる上で良いことなのである。”“逆に、緊張しない仕事が続いている時には、人は成長していないものだ。”
“アドヴァイスの要諦は「手柄を相手に与える」こと”
苦戦している後輩に、対応策を複数提示して相手に選ばせる。それで成功すれば、“手柄が相手に行くように配慮する。” “だが成果のない人が、人にアドヴァイスするのは難しい。” “相手に「花を持たせる」のは余裕のなせる業である。”
というような、残念ながら事例の羅列で終わっている。これでは目次・構成の意味はあまりない。今一歩の系統化、総括化、抽象化が求められる。しかも終盤では「見抜く力」からは、主題がズレているような気もする。
“見抜く力”とは、結局人間力の総合なので、そうならざるを得ないのかも知れない。矢張り取分け“受信力”が大切とのことのようだ。そしてそれは“一朝一夕で身に付く力ではない。近道はない”と言うのだ。
だがこれで、審査で相手かまわずおしゃべりしての失敗した対策の“受信力”向上の直接のヒントが得られたとは言い難い。ザンネン!
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