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“リスク”の語義について

実は、先週一般聴衆を相手に講演を行った。こんなことは初めてにして恐らく最後だろうと思われる。内容は改訂ISO9001の“リスク及び機会”に対応するためには“バランス・スコア・カード活用”すれば容易であることを示すものだ。その準備で、この猛暑の夏は大変だった。中でも“リスク”の語義を説明するための調査で図書館の資料を渉猟するのに、若干苦労した。今回はその成果を紹介したい。

先ずは、国際規格ISOの分野で“リスク”定義はどのように取り上げられているか、から始めよう。
従来の“リスク”定義を工学系の例で示すと、
     “危害の発生確率と危害のひどさの組合せ”
と“機械類の安全性−設計のための一般原則−リスクアセスメント及びリスク低減ISO12100:2010(JIS B 9700:2013)”で規定されている。また、定量化には通常次の式が使われるのが普通であり、この式自体を“リスク”定義とすることもある。
     リスク定量=[発生した損失の大きさ] ×[発生頻度]
またこのブログでも何度か取上げて来た 機械設計で使われるリスク回避手法である故障モード影響解析FMEAの危険優先指数(RPN)にも同様の考え方が反映されている。
     RPN(Risk Priority Number)=検出難易度×損害規模×頻度

しかし実は、ISO9001でとりあげている“リスク risk”定義は、こうした機械工学系や安全分野での定義ではなく、次のような定義となっており、これがISOでは主流の考え方となって来ている。
     “(目的に対する)不確かさの影響effect of uncertainty(on objectives) ”
      *ISO9000:2015 品質マネジメントシステムー基本及び用語
       括弧内:ISO31000 :2009 リスクマネジメント
驚くような定義だが、リスクは望ましいことのチャンスへ向かうこともあれば、危ないハザードの方向に向かうこともあるという意味であると解釈できる。ここで、定義に使われた言葉の解説もある。
     影響:期待されていることから,好ましい方向又は好ましくない方向に乖離すること。
     不確かさ:事象、その結果又はその起こりやすさに関する,情報,理解又は知識に,
          たとえ部分的にでも不備である状態。
また、次のような文言も付記している。“リスクは、ある事象(その周辺状況の変化を含む)の結果と その発生の“起こりやすさ”との組合せとして表現されることが多い。( ISO9000:2015 0.3.3)”ここでは、古い“リスク”定義にも一応留意して見せている。

では何故“リスク risk”という言葉が 単純に“危険性”は訳せないのかを知るためには、その語源を知ることが必要だ。その語源には諸説あるとのことだが、良く言われているのはイタリア語の risicare が語源ということ。このことは、“リスク―神々への反逆”で著者・ピーター・バーンスタインも、さらっとそう指摘している。この本は力作で、深くて広い世界史的エピソードの教養をしめしており、そうとう長いので私は未だ読んでいないし読みかけてもいないが、リスクの語源については、あっさりそう書いているだけだ。また、その根拠も書かれていないのは残念だが、これも広くて深い言語学に踏み込み過ぎることを警戒しているのだろうか。

ネットでこの語源の筋を探してみると、risicareのrisi-は、ギリシャ語 ῥίζα(rhiza)であり“断崖”を意味する言葉から派生したとある。ちなみにギリシア語辞典では、このῥίζαは“断崖”→“山の麓”→“木の下・根っこ”→“平方根”rootの語源になっていると言う。
ところが、多くのイタリア語の語源となっているはずのラテン語の辞書にはこのrisicareは載っていない。何故なのかは分からない。私はイタリア語とギリシア語の間にラテン語が介在すると思うのだが、risicareの語源のラテン語は見つけられないでいる。
さて、このrisicareは、動詞として“断崖間を航行する navigate among the cliffs ”と言う意味であり、そこから“危険を冒す run into danger ”という意味に変化したとある。そして、大航海時代までに、イタリア語・名詞形rischio,risco→フランス語risque→英語riskと変化したとある。つまり、“危険を冒して航路の発見や開拓によって巨万の富を得た。”という含意が、“リスクrisk”にはある、と見れる。つまり、目的を達し利益を得るか 失敗するか分からない “自らの選択した結果の 不確実性 uncertainty”を意味している。要するに、不確実性に積極的に立向い,利益を獲得するという積極性を強調した言葉として理解するべきなのだ。このあたりの事情を、研究社の“英語語源辞典”(1997)には下記のように示している。記号が多いので解読困難だが、見ておいて頂きたい。



とは言うものの“リスクrisk”という言葉や概念は、比較的新しいようで、“不確実性 uncertainty”と共に保険を中心とした金融業で展開されてきたようだ。どうやら20世紀初頭あたりから頻繁に使われ出しているのかも知れない、とは私独自の感触だ。何故ならば、経済学の名著とされるフランク・ナイトの“リスク、不確実性および利潤”は、1921年に発刊されているからだ。

さて、そんな財務・金融用語に“ボラティリティvolatility”という言葉があるが、これは資産価格の変動の大きさ(バラツキ)を表現している。一般に 債券は価格変動・ボラティティが小さく 株価は価格変動・ボラティティが大きい。つまり債券は安定・確実certaintyであり、これを買う行動をRisk-Off (リスク回避)と言い、株式は逆に不安定・不確実uncertaintyであり、これを買う行動をRisk-OnまたはRisk-Taking(リスクを取る)の行動と言う。そして株の方が大きく儲かる機会が大きい。つまり、“リスクを取らなければ儲けられない”のであり、“儲け損ねる”ファンド・マネジャは最悪!” となる。これにより、“リスクはヤバイ”という一般イメージが強いが、そこには機会も在ることになるのだ。
というようなニュアンスが“リスクrisk”の背景にはあると思うべきだ。

ところで、このブログでも取り上げたことがあるが、ISO9001:2015では“リスク及び機会 Risks and Opportunities”という言葉が多数登場するが、残念ながら“機会opportunity”の定義がないために、“リスク及び機会”の解釈が混乱したのだ。何故ならば、ISOの定義では“リスク”は“不確実性” であって“機会”もリスクに包含されるはずなので、わざわざ二つのことばを並記する必要性を感じない。何故そう表記したのか、という疑問が湧きおこり昨年までのDIS段階で解釈は混乱していた。
そこで、ここでは一般の言葉のイメージと同じ用法の表記となっているので、“リスク”と“機会”は、それぞれ、ネガティブ≒危険hazardとポジティブ≒チャンスchanceの対語並記表記となったのだろうと単純に見る解釈がまずあった。
或いは、“徹底したリスク・マネジメントにより機会(チャンス)を獲得可能”となることを示しているとの解釈が出て来た。
さらには、“機会”は“リスク分析するタイミング(時期)” という解釈も登場した。いずれも苦し紛れという印象だった。

そこで、最終決定版としてのISO9001:2015 では次のように解説している。0.3.3項では次のように書いている。
     リスクから生じる,好ましい方向への乖離は,機会を提供し得るが,
     リスクの好ましい影響の全てが機会をもたらすとは限らない。
ということは“好ましい影響”さえも“リスク”なのだという、解釈であろうか。つまるところ、“世の中一寸先は闇”的世界観かと思われるが、ISOがこのような発想をするは健全なのだろうか。もし、それが真理ならばPDCAつまり“計画すること”は意味がないことになりはしないか、と思うのだがいかがだろうか。

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