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大阪の津波・高潮ステーション見学

この夏下旬、西長堀の大阪市立中央図書館に図書返却に赴くついでに阿波座の“津波・高潮ステーション”を見学することにした。神戸からは阪神電車で野田で大阪地下鉄・千日前線に乗り換えて行くことができる。

ついでながら、このところ野田駅下車のついでに、中井製パン所で昼食のパンを調達することにしている。駅からは近くないが、パンが非常に安く1個80~150円で売っている。正午に近くなればおじさんがディスカウントしてくれて全て100円以内になる。しかし、味は普通で、作りは良心的なのだ。そしてここでは、最近全く見かけなくなった“甘食”を売っているので、食べたくなればここで買える。その隣のスーパーで牛乳と野菜サラダを買って昼食に供するのだ。

津波・高潮ステーションは昨夏、私の所属する団体で見学会を開催したが、私は不都合で参加できなかったのを、8月下旬になって思い出して、行ってみたくなったのだ。ここは何故か火曜日が休館なので、気を付ける必要がある。実は、昨年9月にそれと知らずに行ってフラれたことがあったのだ。
地下鉄・阿波座駅で下車して案内通りに10番出口に出たが、方向感覚がつかめずうろたえる。見上げると東西と南北の両方に高速道路が走っていてしかも雨がちで曇っていたので、一層分かり難い。目の前の高速道路の行く先を確認するとスロープになって出入口になっているようなので、そこが新浪速筋と思い定めてようやく自分を取り戻し、津波・高潮ステーションの入口を探り当てた。しかし、背景に巨大マンションが建っていて、昨年とは風景が異なっていて若干驚く。



建物に入ると、受付担当のような男女が“たむろ”している風景。様子が分からないので近寄って行くと、“見学ですか。~会ですか。”とかオバサンが聞いて来るので、かぶりをふると、何の説明もないままいきなり展示物の案内を始めたので、少々驚く。どうやら館内を案内してくれるようだ。一人で気楽に展示物を見るつもりだったのに、余計なことと少々不快。しかし、このオバサンどうやらガイドが御仕事の方のようだ。

その“受付”のすぐ横に“海より低いまち大阪”のコーナーがある。大阪湾岸の典型的な民家を模した実物大のモデルと付近の街の様子が作られている。近付いて民家モデルを覗くと、地面は館のフロアより数メートル下にあり、民家モデルは2階建てであることに気付く。水害があると、その2階の床より上に水面が至る可能性もあるのだ、という説明だ。子供の頃、大阪湾岸の一帯を“海抜0メートル地帯”と呼び台風の度に問題となっていたのだが、その問題の本質は未だ残っていたのだ。一つには湾岸中小企業の地下水の汲み上げによる地盤沈下が要因となっていたのだが、それが法規制の整備と徹底によって沈降は止まり、問題視されなくなったのかも知れない。一方では、湾岸の堤防や河川水門の完備や下水道の整備によって、水害による実害が生じなくなったことも騒がなくなった大きな要因なのだろう。それが想定外の津波被害があれば、大災害になるとの懸念を視覚化している。

ガイドさんはその様子を説明するとともに、そのコーナー入口にある小さな地図を指し示してくれた。それは古代の大阪平野の地図であった。その古代の様子について少しは知っていたが、改めて図示されたものを見ると衝撃的である。というのは、河内平野がほとんど水色、つまり海の一部となっている。現在の大阪市域は南側から半島状に突き出して湾岸を形成した上町台地しかないと言っても過言ではない。北区の梅田は陸地として存在しない。良く言われていることだがウメダは“埋め田”なのだ。大阪の市章は“みおつくし”と呼ばれるが、これは水草の生い茂る間の航路を示す指標のことだとのこと。正しく大阪は水の都なのだ。しかし、改めて示された地図で大阪の古代の様子はここまでのものとは思わなかった。
大阪平野は、奈良盆地から出て生駒山脈と金剛葛城山脈の間を抜ける大和川が、南から突き出した上町台地に突き当たって今と異なり河内を北上(長瀬川)し、北東部から流れ出る淀川と現在の大阪市の北東部で合流していたのだ。要するに大阪は2つの大河の運んで来た土砂の堆積によって形成されていることになる。
徳川家康は大坂城を攻めるのに、北や東からではなく南からしか攻められなかったのはこういう事情による。その後、江戸期に大和川を台地を突っ切って堺の北部に放流する水路を開削することで、河内平野の水害を軽減させている。
言わんとするのは、このような歴史的背景を持った大阪に津波が襲うと想定外の平野奥地の大きな被害もあり得るということではないか。



次に進もうとするとトンネルになっていて、それが津波の波頭が通路を襲うイメージで その波面に大阪に大きな被害をもたらした過去の台風の事例を紹介した表示がなされていたりする。室戸台風、ジェーン台風、第二室戸台風である。伊勢湾台風は大阪には、大きな被害はもたらさなかった。私には第二室戸台風は記憶があるが、その通過コースの表示が実際より西よりに描かれているのではないかとの疑いを持つ。

その後は、自治体の努力で水害対策が実施されている様子についての展示。例えば、水門に実際に使われていた門扉や、急速に開閉できる大規模アーチ型水門の模型等である。この大規模アーチ型水門は大阪には、安治川、尻無川、木津川に設置されているようだ。
模型によれば、両岸を往復できるような地下廊下や、本体のアーチ型水門が閉じられても緊急用に脇に別の水門が設けられている。また、この脇の水門には海面の干満高低落差による河川流の逆流等の混乱を緩和する役割もある。

その次には、過去の津波被災時の大坂での対応と堺での対応の差で人的被害の大きな差が生じた事例を示す石碑の紹介写真展示がある。大坂の石碑は現在も浪速区大正橋のたもとにあり、堺は大浜公園の蘇鉄山にあるという。二つの碑文ではいずれも同じ安政南海地震(1854年)に対して、147年前の宝永南海地震(1707年)の教訓を活かした堺の人々と、言い伝えを知らずにいた大阪大正橋付近の住民との対応の差を示している。堺の人々は地震後の津波への対応の必要性と乗船して水上に避難することの危険を知っていて、広い神社の境内に集合して死傷者無し。大坂の住民は対応の方法を知らずに死傷者多数となったので、ここに石碑を残しておくから、その碑文に時々は墨を入れて言い伝えを引き継ぐようにとしている。
この大坂の碑文にはある種ISOの精神に通じる部分がある。碑文は建ててもそれを“そのまま放置せず、定期的に読み直すように消えかかった墨を入れて気持ちを新たにせよ”、との手順を示した“文書”なのだ。しかし本来は、ISO14001にあるように“町衆に定期的な避難訓練を実施して、問題があれば是正して維持せよ”の一文も必要ではなかったか。さて、現在は実際にそのような避難訓練は有効に行われているのだろうか。

その後は、ガイドさんがダイナキューブ―津波被害体感シアター―での立体映像体感のブースに案内してくれる。大阪に住む子供やビジネス・マン等様々な一般市民の日常に津波が襲いかかった場合の想定ショート・ドラマである。とにかく、いかにして津波発生と来週の情報を早期に得て、堅固なビルの3階以上の高所に何とか避難することが要諦となることが分かる。しかし、車いすの身障者や高齢者の介助の方法については、ドラマでは偶然に救援者が現われて事なきを得たストーリーにしていたが、ハード面での支援や仕組としてどうするべきかについての問題は残っているのではないか。東北の震災でも見られたようだが、支援者も共倒れするようでは意味がないのだ。

何となくこれより後の展示は、付足しのような気分となってしまう。
大阪では予想される最大津浪高さは3メートルの由。やはり紀伊水道の真正面に当たる神戸の4メートルより若干低いようだ。
非常食や避難する時に持っておくべきものの展示もあったが、実際には悩ましい。非常食は供用期限があるのでメンテナンス入替が面倒。それに1週間分の水など持って逃げられるものではない、と言うより逃げられるものではない。しかもヘルメットなどは本来は日頃持ち歩くべきだろうが、実際的ではない。まして向こう30年起こるかどうか不明の災害にそこまでするのか、と考えれば安易にできることではない。各人のリスク感性に頼ることになるが、それで良いのだろうか。

気付くとガイドさんには結構案内してもらったような気がして、何となく気心も分かって来ていたので、名残惜しくお礼を言ってお別れした。
中央図書館に向かう予定だったが、曇っていたので地下鉄一駅分を歩くことにした。

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