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この夏の東京見物

台風が過ぎ去ってからようやく猛暑が和らいで、気が付けば8月も終わりだ。暑さの中では思考が完全停止してしまうし、思考停止して脳の覚醒が怪しくなると眠くなり昼寝となってしまう。昼に寝てしまうと、今度は夜が眠れない。こうして家に居て仕事が無ければ、気が付くと夜型生活となってしまい、生活のリズムが破壊されてしまう。で、家では面倒なことは一切やりたくなくなって、このブログ投稿も夏季休暇とさせてもらった。しかし、一旦止めたものを元に戻すのには相当なエネルギーが必要となることは分かっていたが、このブログの投稿も再開するのには、随分しんどく感じるものと今思い知ることである。

さて本題に入りたいが、今月の初め東京にISO審査員の“審査技法”に関する研修会があり、猛暑にもかかわらず参加した。今回の投稿記事はこの時のついでの東京見物についてである。
この研修会は講師の先生には、数年前から参加希望を表明していたのだが、東京での開催に限られ、時期的に乗り気しない予定されたりしたので公式にはスケジュールが合わないという理由で、先延ばしにしていた。そして、いよいよ気が向いた今年の春に手を挙げたら、最少催行人数に達せず開催中止となったのだった。(その時は、その研修後に福島原発周辺をツァーで見て廻ろうと計画していたが、そのツァーも中止すると親切にも準備してくれている地元の人に迷惑をかけることになるので、ツァーだけに出かけざるを得なかった。)
そして、年度が変わって最初の研修会がこの夏のものだった。この春の研修会が中止にしたのに恐縮した事務局が、研修費用を半額ダンピングして提示してきたので驚いている内にいつの間にか参加することに決まっていた。つまり何だかハメられたような中で猛暑にもかかわらず、“お勉強”のために仕方なく半ば嫌々の上京だったのだ。そこで研修ついでに何か面白いことでも予定しなければ、いよいよ出かける気にはならないので、何とかコスト・ミニマムで研修前の1日を使って東京見物することにした。

泊まるホテルが水道橋、つまり後楽園の近所だったが、改めて付近の地図を事前に眺めると ここより歩いて30分足らずで日本の最高学府・東京大学の本郷キャンパスに行けることが分かった。私にはこれまで不運にも東大キャンパスに出かけるチャンスがなかった。東大で開催された学会や講習会に出かけることもなかった。1969年の東大入試中止の原因になった紛争事件の現場、特に安田講堂も一度は拝んでおきたいものとの思いもあった。
地図によれば東大キャンパスの向こうに隣接するように弥生美術館・竹久夢二美術館があった。滅多に来る所ではないので、ついでに参観・鑑賞することとした。その後は、今話題の国会議事堂周辺の様子を見に行って見ることとした。その後は、関西では売られておらず食べられないパンのシベリアを買いに三軒茶屋へ出かけることとした。

新幹線で東京駅に着き、投宿ホテルに荷物を預けたが、暑さ対策で トイレを借りて短パンに履き替えた。家で準備した500mlペットボトルに半分凍らせたお茶と、軽い魔法瓶に小片氷と一緒に入れた紅茶を携行のデニム・リュックに入れて熱中症対策とした。
正午前、ホテルを出て国道17号から本郷通りに向かう。何だか人通りが多く、違和感あり。
ひと先ず昼食。東大赤門前・銀八丼にてまぐろ濃厚やまかけ丼\700-。内容満足。思わずガッついて写真に撮るのを忘れる。
満腹のまま、銀八丼東大赤門前店を出て改めて赤門を見て仰天。人だかりである。高校生のような年代の子供達であふれ返っている。銀八丼店内でも東大生か高校生のような若者が多いようには思ったが、結構大人も交じっていた。しかし門の前には明らかに高校生が、しかも集団でいる。夏休みの大学キャンパスとしては明らかに異様だ。赤門に近付いて見ると、オープン・キャンパスと掲示があってようやく異様な賑わいに納得。間に交じる大人は父兄・父母と了解。



昔話で恐縮だが、私の年代では父兄・父母の付添は一切なかった。たとえ居てもごく少数。今や、バンカラな雰囲気の学生は皆無。こういう連中が日本のエリートとなるのかと思うと少々情けない。よく見ると中には現役の東大生や教職員も人ごみには交じっているようだが、とくに学生風の連中は素直でおとなしい人ばかりのように見える。なるほど、東大近辺、否日本中の良い大学近辺での商売はやり易いのだろうなの感想。これでは貧乏学生の食い逃げ等の無茶は皆無だろう。人の言うことをよく聞く良い子ばかり・・・。

“東大に何故赤門があるのか”、については以前から知っている。ここはかつて百万石の加賀藩の藩邸で、赤門はその遺構だ。それにしても藩邸内のその他の建物がほとんど全てスクラップされてしまったのは残念な印象だ。
赤門からキャンパス内に入って左手直ぐ、コミュニケーション・センターに東大発の事業による製品などが売られている。ここも人だかり。内部ではここぞとばかり売り込み必死。私には興味を引くものは殆どなかった。あのミドリムシの㈱ユークレナの製品で、確かクッキーがあったように記憶。この売店がどうして“コミュニケーション・センター”と呼ばれるのか、少々疑問。

コミュニケーション・センターを出てそのまま外の本郷通りに沿って北上して正門に至る。東大紛争では機動隊はここからキャンパス内に入って、封鎖された列品館を横目に安田講堂の開放に向かったところだ。確かに正門からかすかに安田講堂が見える。
その安田講堂、近付くと意外に存在感あり圧倒される。京大の時計台と比べると差はある。紛争の象徴になるのは当然か。さらに近寄ってみて、少々の驚き。というのは安田講堂はいわば崖に建っていて、表から見るより裏から見るとさらに高い建物であったことだ。やっぱり、何事も現地に来て見ないと分からないことは多いのだ。何やら催しがあるのか、事情を知った学生達は長い列を作っていた。

ここから文学部を右手に見ながら三四郎池へ向かう。池の周辺は木立がまばらにあるのだろうと想像していたが、実際は鬱蒼とした森である。しかも、相当に下へ下らなければならない。いわば谷間に池がある。キャンパスと言えば、平坦な土地に庭を作ったのだろうと想像していたのが全く違ったのだ。池の水は残念ながら濁っていた。もう少し手入れした方が良いのではないか。余計なことだが、無用にボウフラの発生源になっていないだろうか気懸りだ。池を巡って、安田講堂に近付いたところで、池の説明の看板があった。参考に以下に記す。
“加賀藩主前田氏が、現在の赤門から池にかけての一帯の地を将軍家から賜ったのは、大坂の役後のこと。園池を大築造したのは寛永15年(1638年)、その性、豪宕で風雅を好んだという当主前田利常のときである。彼の死後、綱紀がさらに補修して、当時江戸諸侯邸の庭園中第一と称せられた。育徳園と命名され、園中に八景、八境の勝があって、その泉水・築山・小亭等は数奇をきわめたものだといわれている。池の形が「心」という字をかたどっており、この池の正式名称は「育徳園心字池」なのだが、夏目漱石の小説「三四郎」以来、三四郎池の名で親しまれている。”

安田講堂の裏は理学部の建物。ここは高層になっている。東大と言えばもう少し広いキャンパスかと思っていたが、思いの外狭い。他の国立大より、他所にも研究所や付属施設が多くあるのだろう。ここにも何か実験のデモンストレーションでもあるのか、ここでも学生の列が長々と出来ていた。ここから裏の弥生門はすぐで、その弥生門から外に出る。

次は弥生・竹久夢二美術館。少々歩いただけで直ぐに分かる。鑑賞に来館している人は、ほとんど女性。
開催中だったのは“ファッション・イラストレーター 森本美由紀展”で、70年代のデザインが懐かしい。急いで駆け抜けた人生の印象だ。常設の竹久夢二館は何故かあまり感動を覚えなかった。



美術館からは、東大弥生門へ若干戻りつつそのまま言問い通りに突き当り、右折し下り坂、地下鉄根津駅を目指す。この言問い通りの向こうのキャンパスは弥生キャンパスというようだが、確かこの東大の敷地のどこかで弥生式土器が発見されたはずだ。
根津交差点では少し大き目のスーパー・マーケットがあったので、入ってみた。関西ではほぼ絶滅した業態のスーパー店で中では食料品はもとより衣料等含めてよろず販売していたので、驚いた。しかし、私が日頃愛飲している血圧を下げるヨーグルト・プレティオは販売されておらず、がっかりした。

若干疲れて、暑さもあって倒れ込むように地下鉄の列車に乗り込んだ。大手町で乗り換えて永田町で降りる。しかし、この永田町で駅構内を降り口をさがしてさ迷う。何だか一駅分以上を歩いた気分。ついに国会図書館前の出口から灼熱の地上へ。
右手に議事堂を見ながら緩やかな長い坂を通りに突き当たるまで下る。要所に警察官が居る。憲政会館入口を見て、右手へ国会正門前に向かう。午後も遅い方だったが、あまり人影はなく、デモ参加者は通常日には参集していないのだろうか。そうそういつも参集している訳ではなさそうだ。正門付近には、警備の警察官と観光客が数名記念撮影している程度。ものものしい警察官の存在以外は、平穏な風景である。猛暑にもかかわらず警備の警察官は皆元気そうで快活、心強い気分と言うべきか。

議事堂の外周道路は非常に広い。これは警備の都合でこうなったのだろうか。この日曜のデモでこれらの道路を埋め尽くすのは、相当な人数であり、12万人であったというのは容易に納得できる。
衆議院側に廻り、緩やかな坂を今度は登って行くと、左手奥に首相官邸がわずかに見えてくる。緩やかとは言え上り坂の下からみるせいか首相官邸の全容は見え難い。奥には警備車が何台も停めてあるが、警備用の常設建物は設けない方針のようなものがあるのだろうか。
このものものしい警備の中で、従軍慰安婦の問題でビラを配る数人の人が居た。恐らく提起する内容から韓国のNGO団体の人々であろうか。他国の宰相公邸の前で問題提起するビラを配る逞しさに感嘆する。右派の日本人が例えば韓国の大統領府前で“竹島から出て行け!”というビラを配り、叫ぶデモンストレーションをしているのだろうか、と思うと少々寂しい。国際的内弁慶、つまり国内だけで“偉そうに”絶叫することが一体何の役に立つのだろうか。日本人への騒音迷惑でしかない。



首相官邸の前を南に抜けて、地下鉄駅を見失う。疲労の中、ふらふらと大通りに沿ってかなり歩いて、ようやく溜池山王駅を見つけて、渋谷方面へ抜ける。それと意識せずに、中央林間行きに乗っていたので、そのまま三軒茶屋へ到着。
駅では電車の進行方向に向かって左側に出るようにして地上へ。空を見上げて首都高速道路を上に見て、それを背にして横丁へ入り込み、少々ウロウロ。何となくそれらしいところに、パン屋さんパングワンは容易に見つかった。
近くに昭和女子大学があるので、そこの女子学生と思しき若い女性が集団でゾロゾロ通る。しかも、目当てのパングワンはこの女性たちであふれていた。私はこの若い女性集団にめげずに、“シベリア”の存在を確かめたい一心で店に突入。

繰り返すが、“シベリア”は関西では売っていないので食べられない。アニメ“風立ちぬ”で、この“シベリア”を見た時、なんじゃこりゃ!三角パンなら食べたことがあったが、大して特徴的なパンでもなかったので今や製品としては亡びているが、“シベリア”はそれとは違う、その断面は明らかに異なる、と思ったのだ。
そこでネットで調べてみたが、カステラの間に羊羹を挟んだものと判明。アニメでは“シベリア”が登場するのは主人公が名古屋製作所で夜遅く寮に帰宅した時の近所の様子を映したシーンだったので、戦前の名古屋での菓子かとも思ったが、どうやら関東方面では今でも売られていることが分かった。戦前で亡びてしまったのではなく、今も残っているというのは、結構美味いからではないか、と思い至り、食べて見たくなり その思いが募っていたのだった。
で、この日この店で、“あった!”有ったのだ!しかも店の入口に沢山並べられていて嬉しくなった。シベリアだけを買って帰っても良かったかも知れないが、それでは余りにも見え透いているような気がしたので、シベリア2個と揚げアンパン、ゴマパンを1個ずつ買った。

これで予定は全て消化。そのまま宿に戻るのも味気ない気がしたので、渋谷でウロウロ。東急百貨店で朝食用の納豆や食糧を調達しようとしたが、価格が高くプレティオもついに発見できず購入断念。文房具屋さんが目に入ったので、研修会用に付箋紙を買った。銀座線で赤坂見附経由、本郷三丁目を目指す。買えなかった食料品は本郷三丁目のミニ・スーパーで調達。だが、プレティオはついに入手できず。東京でも余程の店でなければ入手できないのものもあるようだ―神戸では大抵のスーパーで容易に入手可だが。

宿で一休みしながら、“シベリア”を食べる。丁寧な作りのせいか、美味い。この店のは小ぶりだとネットでは紹介されていたが、大きさも丁度良いような気がする。羊羹部分は羊羹とは感じない餡子であった。否、ここで始めてわざわざ羊羹を挟む面倒なことをしている理由を理解。普通の餡子では分厚い餡子層を維持できなくなり、パンの形態を保てなくなるからだ。また、羊羹にして固めきってしまうのも食感が残念なことになるので、むしろ崩れやすい餡子状の絶妙の“羊羹”として作り込んでいるのだ。この店の“シベリア”は逸品である。―下の写真では“シベリア”の形が崩れてしまっているが、これは私が持ち帰りで乱暴に扱ったせいだ。本来は美しい三角形。お店の作り手の方には申し訳ない。これで東京でのお楽しみは終了した。



夕食は、ビールの出る松屋で株主優待券で牛飯を注文してコストダウン。ミミッチィ!
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