かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

奇蹟の全聾作家の作でなかったとしても、音楽自体の価値は不変なんではないのでしょうか?

2014-02-06 21:21:04 | Weblog
 今朝の寒さはやはり半端無くて、見事な青空に地上の熱がすっかり吸い尽くされた感がありましたが、その後日が出て暖かくなるのかと思ったらいつの間にか青空が分厚い雲にかき消され、昼にはわらわらと雪が降って参りました。昼間の雪はまず積もることはありませんが、今夜も降るかもしれませんし、そうでなくても明日朝は雪解け水が凍りついてしまうかもしれませんから、あまり安心もしてられません。早く冬が明けてくれないものでしょうか。

 さて、佐村河内守という作曲家? の事が随分話題になっております。私は初めこの名前を観た時、佐村 河内守(さむら かわちのかみ) と読んで、戦国時代か江戸時代の人か、と勘違いしていたのですが、佐村河内が姓で守が名だったんですね。とまあそれはともかく、晩年のベートーベンのごとく、耳が聞こえなくなったのに、幼少時から培った絶対音感を頼りに70分もの交響曲を組み上げた奇蹟の音楽家だ、まさに現代のベートーベンだ、という触れ込みをとある知り合いから教えてもらい、ちょっとだけ興味を持っていました。ただ、私はクラシック音楽でもベートーベンは基本あまり好きではなく、交響曲もほとんど好きな曲が無いので敢えてCDを買ってまで聞こう、という気には中々なりませんでした。その代わり、知り合いの薦めるこの人にはそれなりに興味を抱いたので、彼を取り上げたドキュメンタリーを制作したディレクターのヒトが書いたという本を購入し、ちょうど読んでいる最中でした。
 まあゴーストライターやっていた方の告白もあって取り敢えず真実は陽のもとにさらされたわけで、事情は色々あったんでしょうし、その事についてはやっぱりあまり興味がわかないのである意味どうでも良いと思いつつ、せっかく買った本だし、と未練がましくまだ本の方は読み続けております。
 しかし、つらつら思うに、いくら佐村河内守の騙りだったとしても、ゴーストライターさんが書いた音楽を聴いて手放しで賞賛した人々もいたわけですし、興味を持って演奏した楽団もあったわけで、その音楽自体の価値はそれが奇蹟の全聾作曲家の作で有る無しに関わらず、普遍的に認めうるような気がします。従って、全て廃盤にされるという制作会社さんには、改めて本当の作曲家さんの曲として装いを改めて出してもらいたいと思います。交響曲があまり好きでない私がそれを買って聞くかどうかは微妙なところがありますが、その機会が永遠に失われるのはさすがに残念な気がします。


コメント
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