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「この道が綾小路通りですよ」
麗夢さんと同じ名前だな、と榊が通りを見通す。と、突然、魚が腐敗したようなすさまじい臭気を伴った生温い風が、左、即ち東の方角からべろん、と二人をなめた。ぎょっとしてその風の方向に視線を走らせた榊と浦辺は、幅4メートルもない狭い道路を溢れんばかりにしてやってくる、奇怪な集団を発見した。
「なんだあれは?」
それは、集団そのものが光を発しているように、白くおぼろに闇へ浮かびあがっていた。榊が目を凝らしてみると、無数の白い触手が集団のそこここで脈打ちながらうごめこき、その動きが全体を覆う白い霧のようにぼんやりとまとわりついているようだ。榊はぞくっと背筋に悪寒が走り抜けるのを覚えた。
(百鬼夜行、だ)
榊は、古い日本画の一幕を思い浮かべた。集団は、全員が白い触手をぼろぼろの布のように纏っている半裸、裸足の風体で、手足は骨が透いて見えるかのように細く、反対に腹だけは異様に膨れ上がっていた。男とも女ともつかぬ形相は、生まれてこの方一度も櫛など入れた事はないと思われるザンバラ髪の下で、破裂寸前まで大きく飛び出た目と、耳元まで裂けた口がいやらしげに嗤っている。中には、手足や目の足りない者も大勢いるようだ。榊はふと、麗夢さんが戦っている夢魔というのは、さしずめこんな姿をした連中なのだろうか、と思いついた。確かにその集団は、歴戦の勇士をしておぞけを震わせるものがある。
「きょ、京都はたくさん化物がいるところと言うけど、こんなの初めて見た・・・」
榊は、凍り付いたようにその場に停止した浦辺の肱を取った。その手に浦辺の震えが伝わってくると、それに感電したように、榊の身体にもう一度悪寒が走り抜けた。
「君、こっちだ!」
榊は、やっとの思いでもと来た道を引き返し、数メートル戻ってビルの影に浦辺を押し込んだ。
ゆっくりと、百鬼夜行は榊の前にさしかかった。近くで見れば見るほど、その姿は異様で恐怖心をあおり立てる。実際、榊ほどの剛胆さがあればこそ、この至近距離でじっと観察の目を光らせる事ができたのだが、大抵の人間なら、恐怖の余り腰を抜かして失神するか、這々の体で逃げ出すかの二者択一を迫られた事であろう。現に怪しいものを追いかけるのが専門であるはずの浦辺が、榊のコートにしがみついて何やらぶつぶつとうめいている。榊は、そのフレーズに思わず東京にいる筈の円光を思いだした。浦辺は、一心に般若心教を唱えていたのである。だが、すぐに榊は、その浦辺の読経に重なる、奇妙な旋律に気がついた。
「やつら、一体何を歌っているんだ?」
その歌は、何やら間延びした声で、一行の進行速度にふさわしいゆっくりした調子のものだった。
「・・・夢の御法は麗しき、綾糸二両寄り合わせ、夢の木生みませ夢の御子、出で給う世に参らせん・・・」
奇妙な五七調が延々と続く。
(夢の木? 奴ら、夢の木と歌っているのか? それに夢の御子とは一体?)
榊が疑問を膨らませる中、一行は一段と密度を増した。その中央に、大きな車輪を両脇に付け、すだれを垂らした車が二台、これもミイラのようにやせ細った牛に引かれて通り過ぎるのが見えた。その、二台目のぼろぼろに引きちぎれたすだれが、偶然鬼の一人に引っかかりでもしたのか、榊の目の前で大きく開いた。
(あれは!)
一瞬、榊は驚きの余り叫び声を出しそうになった。碧の黒髪を幽霊のように顔にたらし、車の中に座り込む少女が一人、榊の目を刺激したのである。次の瞬間にすだれはもとの通りに下り、榊がその姿を捉えたのは瞬きする間もないほどであった。だが、敏腕と称される警察官の視力は、そこにありうべからざる人物の姿を見て取ったのである。
(れ、麗夢さん! 一体どうして?)
榊は、何とかもう一度麗夢の姿を確認したいと願ったが、所詮普通の人でしかない榊には、追いすがるなどできる事ではなかった。自分に円光のような力の片鱗でもあれば、と榊は悔しがったが、これほど厳重に車の前後左右を固められた状態では、当の円光がこの場にいたところで、どうする事もできなかったかも知れない。
そんな榊が飛び出したい衝動と戦っているうちに、とうとう百鬼夜行は榊の前を通り過ぎ、次第に小さくなって道の彼方へと消えていった。
「浦辺君、もう行ったぞ。しっかりしろ!」
榊は、まだ目をつぶって手を合わせている浦辺を無理矢理起こした。
「今君はこの道を、綾小路通りと言ったな? それで間違いないんだろうな?」
浦辺は真っ青な顔で榊の顔を見つめていたが、ようやく生気が戻ってきたのか、やっとの思いで口を開いた。
「そ、その通りです。綾小路通りです」
「どんな字を書くんだ?」
浦辺はメモ帳を取り出すと、ふるえる手で読みづらい字を書き示した。それを見て榊は、確かにそれが麗夢の名字そのままである事を知った。
(やはり麗夢さんの名字か。そこに麗夢さんがどうして?)
榊は、もしや見間違いではないだろうかと一応は考えてみた。これは、確かめてみなければならぬ。
(まずは麗夢さんの事務所だ)
と、榊は懐の携帯電話に手を伸ばした。
麗夢さんと同じ名前だな、と榊が通りを見通す。と、突然、魚が腐敗したようなすさまじい臭気を伴った生温い風が、左、即ち東の方角からべろん、と二人をなめた。ぎょっとしてその風の方向に視線を走らせた榊と浦辺は、幅4メートルもない狭い道路を溢れんばかりにしてやってくる、奇怪な集団を発見した。
「なんだあれは?」
それは、集団そのものが光を発しているように、白くおぼろに闇へ浮かびあがっていた。榊が目を凝らしてみると、無数の白い触手が集団のそこここで脈打ちながらうごめこき、その動きが全体を覆う白い霧のようにぼんやりとまとわりついているようだ。榊はぞくっと背筋に悪寒が走り抜けるのを覚えた。
(百鬼夜行、だ)
榊は、古い日本画の一幕を思い浮かべた。集団は、全員が白い触手をぼろぼろの布のように纏っている半裸、裸足の風体で、手足は骨が透いて見えるかのように細く、反対に腹だけは異様に膨れ上がっていた。男とも女ともつかぬ形相は、生まれてこの方一度も櫛など入れた事はないと思われるザンバラ髪の下で、破裂寸前まで大きく飛び出た目と、耳元まで裂けた口がいやらしげに嗤っている。中には、手足や目の足りない者も大勢いるようだ。榊はふと、麗夢さんが戦っている夢魔というのは、さしずめこんな姿をした連中なのだろうか、と思いついた。確かにその集団は、歴戦の勇士をしておぞけを震わせるものがある。
「きょ、京都はたくさん化物がいるところと言うけど、こんなの初めて見た・・・」
榊は、凍り付いたようにその場に停止した浦辺の肱を取った。その手に浦辺の震えが伝わってくると、それに感電したように、榊の身体にもう一度悪寒が走り抜けた。
「君、こっちだ!」
榊は、やっとの思いでもと来た道を引き返し、数メートル戻ってビルの影に浦辺を押し込んだ。
ゆっくりと、百鬼夜行は榊の前にさしかかった。近くで見れば見るほど、その姿は異様で恐怖心をあおり立てる。実際、榊ほどの剛胆さがあればこそ、この至近距離でじっと観察の目を光らせる事ができたのだが、大抵の人間なら、恐怖の余り腰を抜かして失神するか、這々の体で逃げ出すかの二者択一を迫られた事であろう。現に怪しいものを追いかけるのが専門であるはずの浦辺が、榊のコートにしがみついて何やらぶつぶつとうめいている。榊は、そのフレーズに思わず東京にいる筈の円光を思いだした。浦辺は、一心に般若心教を唱えていたのである。だが、すぐに榊は、その浦辺の読経に重なる、奇妙な旋律に気がついた。
「やつら、一体何を歌っているんだ?」
その歌は、何やら間延びした声で、一行の進行速度にふさわしいゆっくりした調子のものだった。
「・・・夢の御法は麗しき、綾糸二両寄り合わせ、夢の木生みませ夢の御子、出で給う世に参らせん・・・」
奇妙な五七調が延々と続く。
(夢の木? 奴ら、夢の木と歌っているのか? それに夢の御子とは一体?)
榊が疑問を膨らませる中、一行は一段と密度を増した。その中央に、大きな車輪を両脇に付け、すだれを垂らした車が二台、これもミイラのようにやせ細った牛に引かれて通り過ぎるのが見えた。その、二台目のぼろぼろに引きちぎれたすだれが、偶然鬼の一人に引っかかりでもしたのか、榊の目の前で大きく開いた。
(あれは!)
一瞬、榊は驚きの余り叫び声を出しそうになった。碧の黒髪を幽霊のように顔にたらし、車の中に座り込む少女が一人、榊の目を刺激したのである。次の瞬間にすだれはもとの通りに下り、榊がその姿を捉えたのは瞬きする間もないほどであった。だが、敏腕と称される警察官の視力は、そこにありうべからざる人物の姿を見て取ったのである。
(れ、麗夢さん! 一体どうして?)
榊は、何とかもう一度麗夢の姿を確認したいと願ったが、所詮普通の人でしかない榊には、追いすがるなどできる事ではなかった。自分に円光のような力の片鱗でもあれば、と榊は悔しがったが、これほど厳重に車の前後左右を固められた状態では、当の円光がこの場にいたところで、どうする事もできなかったかも知れない。
そんな榊が飛び出したい衝動と戦っているうちに、とうとう百鬼夜行は榊の前を通り過ぎ、次第に小さくなって道の彼方へと消えていった。
「浦辺君、もう行ったぞ。しっかりしろ!」
榊は、まだ目をつぶって手を合わせている浦辺を無理矢理起こした。
「今君はこの道を、綾小路通りと言ったな? それで間違いないんだろうな?」
浦辺は真っ青な顔で榊の顔を見つめていたが、ようやく生気が戻ってきたのか、やっとの思いで口を開いた。
「そ、その通りです。綾小路通りです」
「どんな字を書くんだ?」
浦辺はメモ帳を取り出すと、ふるえる手で読みづらい字を書き示した。それを見て榊は、確かにそれが麗夢の名字そのままである事を知った。
(やはり麗夢さんの名字か。そこに麗夢さんがどうして?)
榊は、もしや見間違いではないだろうかと一応は考えてみた。これは、確かめてみなければならぬ。
(まずは麗夢さんの事務所だ)
と、榊は懐の携帯電話に手を伸ばした。
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