かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

一日遅れの開戦記念日特集 今日はある本の感想

2005-12-09 23:40:47 | Weblog
今日は12月9日ですよね。うっかりして一日ずれてしまいました。本来は昨日載せるべきだった話題かも知れませんが、せっかく面白いと思える本を読んだことでもありますし、ちょっと書いておきましょう。
 その本とは「陸軍良識派の研究~見落とされた昭和人物伝」保坂正康著 光文社NF文庫 です。
 対象となっている陸軍とは、旧日本陸軍、それも大東亜戦争当時の、色々と悪名高き陸軍です。私は軍艦や飛行機はわりと好きだったので海軍の事はそれなりに知っている積もりですが、陸軍についてはほとんど無知といっても過言ではありません。重要な将軍の名前も数名しか知りませんし、陸軍が企図した作戦も、海軍がらみの物以外はあんまり知りません。極端に言い切ってしまうと、陸軍=無知蒙昧な精神主義者集団で日本国の行方を誤らせた犯罪者達 という見方を正直しておりました。海軍提督に、陸軍を心底から毛嫌いしてありとあらゆる言葉で罵詈雑言を浴びせていた人がいましたけど、ちょうどそんな目で帝国陸軍を見ていたわけです。例えばインパール作戦を強行した牟田口廉也とか、日中戦争をなし崩しに拡大した武藤章とか、ノモンハンやガダルカナルで兵士に無駄死にを強要した辻政信とか、そういった人達の所行を知るにつけ、その思いは益々強固になっておりました。ですから、この本を見て「そんなタイトル通りの人がいるのだろうか?」と、不思議に思ったわけです。もうそれだけで作者&出版社の『罠』にかかったも同然だったわけですが、書店で取りあえず目次を見た私は、その良識派に武藤章の名前を見て、更に驚きを深くしたのでした。ちなみに武藤章が何をしたかというと、満州事変の後、日中戦争が泥沼化しつつあったとき、この戦争が日本がもっとも忌むべき長期消耗戦になる、として戦線拡大に大反対していた石原莞爾に対して、「あなたが満州でやったことと同じ事をしているだけだ、中国は強く出れば必ず腰砕けになって戦争はすぐ終わる」と主張して、東条英機と共に戦線拡大に勤しんだ人物です。石原莞爾は言わずと知れた満州国の生みの親、と言うか、本国の統制を無視して軍を動かし、中国から満州の地をかすめ取った、いわば日中戦争の引き金を引いた人です。そのこと自体はまた別に論議を呼ぶ所でしょうが、少なくとも石原莞爾は満州国を日本の傀儡とすることに反対し、五族共和の理想国家として育てることを夢見て、それを事あるごとに主張していた人です。それを「同じ事」と強弁してやらずもがなの戦争を推進していった武藤章が、良識派の一人にあがっていたことに、強い違和感を覚えました。きっとこれも作者の『罠』だったんでしょうね。私は早速その本を躊躇無くレジまで運んでいましたから。
 さて、では武藤章が良識派と言えるかどうか、は、ネタばれになるので詳しくは申せませんが、少なくとも私はこの本を読んで納得いたしました。確かに日中戦争の時は戦争の行方を見誤り、結果として日本の国力を消耗させてしまった人でしたが、ちゃんとその事を真摯に反省し、その後の政局に理性的な対応を示していたことが判ったからです。陸軍の問題点として、頑迷固陋で自分の失敗を自分のせいと認めず、反省などしないで人に責任をなすりつけるという性癖を持っている人が多い、というのもあると私は思いますが、少なくとも武藤章はそう言う悪癖は持っていなかったと知れたのは、収穫でした。この本には、そんな人物を含めて合計一〇人の良識派軍人達の行動が記されています。少々作者の思い入れが過ぎるかな? という気がする所もないではないですが、今までほとんど知らず、「悪人ばかり」というイメージだった陸軍軍人の中にも、ホントに立派な人もいるのだと言うことが判ったのが良かったです。でも、結局こういう良材を生かし切れなかったが故に、無謀な戦争に手を出し、完膚無きまでに負けた上、手を挙げるタイミングさえ掴めずに無駄な死を量産してしまったんでしょうね。今の官僚機構にも、そんな旧陸軍と同じ様な悪弊がちらついているような気がいたしますが、一方で良識を持った方も少なからずいると思います。そう言う人に光を当てて、仕事をさせて上げられるような状況に、早くなってもらいたいものです。

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