今日は朝から眠気が強く、朝一応ほぼいつもどおりの6時過ぎに起きたのですが、メールや本を読んだりしているうちにいつの間にか眠りこんでしまってはまた起きて続きに取り掛かる、という状態で、昼過ぎまで夢うつつの中過ごしてしまいました。その上起きたらやたらと頭が痛いしむかつきがあるし、で、風邪でもひいたか、と葛根湯を飲み、夕食には我が家の定番料理であるにら餃子を大量に作って食べ、例によって半身浴で風呂をつかって、今の時点で、なんとか小康状態を保っております。恐らく一昨日からの花粉症の影響だろうとは思いますが、どうも今年は花粉症が強めに出るみたいで、今しばらく苦労させられそうです。
さて、そんな中ではありましたが、「エスカフローネ」をいくつか鑑賞して、アーサー・C・クラークの「2062年宇宙への旅」と「3001年終局への旅」の二冊を相次いで読み終えました。
クラークのこの2冊は、先に2001年を読み終えた後、書店で探していたのですが、いまどきの田舎の本屋さんはそもそもハヤカワSF文庫そのものがあまり置いてなくて、クラークの本となると更に少なく、見当たらないところのほうが多いくらいです。それが、「スレイブヒロインズvol2」を探し回っていたときに偶然発見でき、むなしく空手で帰るよりは、とその2冊をもってレジまで持っていったのでした。
これで、「2001年」から始まるスペース・オデッセイシリーズ全てに目を通すことができたわけです。
特に興味が引かれたのは、「2001年」で反乱を起こしたHALによって宇宙空間に投げ出されて殺害されたはずのフランク・プールが、千年後、冷凍仮死状態で海王星付近で発見・回収され、1000年のうちに大きく変貌した地球の軌道上で蘇生する、というお話が描かれた「3001年」の方でした。作品等で数々の未来予測を行い、あとがきによると、もっとも未来を的中させたSF作家として名高いクラークが、3001年、というはるかに遠い未来をどう描いているのか、大変楽しみだったのです。結果としてクラークが、たとえ千年先といえども、技術も科学も現代からの延長線上から逸脱しない範囲で描いている、というのがよくわかりました。たとえば、1000年後の地球人はもちろん、モノリスを生み出した超宇宙文明の主さえも光速を超えることはなく、物質転送も研究途上。人の寿命もどうやら200歳には届いていないようです。地球人類はまだ「2010年」で太陽化したかつての木星の衛星や金星までしか版図を広げていませんが、太陽系外延部にあるとされる彗星の巣オールトの雲までは氷を採取するために宇宙船が行き来しており、そこで拾い上げた氷をつかって、金星に海を作るテラフォーミングが実施されつつある、というような世界です。ワープも転送もどこでもドアも不老不死もない代わりに、重力制御技術みたいなものはできており、真空エネルギーをくみ出す技術にもめどが立っているようでした。
こんな感じの本文でしたが、巻末の「典拠と謝辞」には、クラークの想像が単なる想像でなく、たしかな根拠を秘めた創造であることを示唆する話がたくさん出ています。古稀を超えてなお奔放な想像力を豊富で堅実な科学知識で引き締め、説得力ある未来像を生み出すクラークの創造力にはただ恐れ入るばかりです。今の通信衛星もこの作家が生みの親になったことを思えば、もっともっとその死は注目されるべきだったんじゃないでしょうか。これほどの人が亡くなったというのに追悼特集の一つもしない書店やマスコミはなにやってるんだか、と言いたくなるくらいです。
さて、そんな中ではありましたが、「エスカフローネ」をいくつか鑑賞して、アーサー・C・クラークの「2062年宇宙への旅」と「3001年終局への旅」の二冊を相次いで読み終えました。
クラークのこの2冊は、先に2001年を読み終えた後、書店で探していたのですが、いまどきの田舎の本屋さんはそもそもハヤカワSF文庫そのものがあまり置いてなくて、クラークの本となると更に少なく、見当たらないところのほうが多いくらいです。それが、「スレイブヒロインズvol2」を探し回っていたときに偶然発見でき、むなしく空手で帰るよりは、とその2冊をもってレジまで持っていったのでした。
これで、「2001年」から始まるスペース・オデッセイシリーズ全てに目を通すことができたわけです。
特に興味が引かれたのは、「2001年」で反乱を起こしたHALによって宇宙空間に投げ出されて殺害されたはずのフランク・プールが、千年後、冷凍仮死状態で海王星付近で発見・回収され、1000年のうちに大きく変貌した地球の軌道上で蘇生する、というお話が描かれた「3001年」の方でした。作品等で数々の未来予測を行い、あとがきによると、もっとも未来を的中させたSF作家として名高いクラークが、3001年、というはるかに遠い未来をどう描いているのか、大変楽しみだったのです。結果としてクラークが、たとえ千年先といえども、技術も科学も現代からの延長線上から逸脱しない範囲で描いている、というのがよくわかりました。たとえば、1000年後の地球人はもちろん、モノリスを生み出した超宇宙文明の主さえも光速を超えることはなく、物質転送も研究途上。人の寿命もどうやら200歳には届いていないようです。地球人類はまだ「2010年」で太陽化したかつての木星の衛星や金星までしか版図を広げていませんが、太陽系外延部にあるとされる彗星の巣オールトの雲までは氷を採取するために宇宙船が行き来しており、そこで拾い上げた氷をつかって、金星に海を作るテラフォーミングが実施されつつある、というような世界です。ワープも転送もどこでもドアも不老不死もない代わりに、重力制御技術みたいなものはできており、真空エネルギーをくみ出す技術にもめどが立っているようでした。
こんな感じの本文でしたが、巻末の「典拠と謝辞」には、クラークの想像が単なる想像でなく、たしかな根拠を秘めた創造であることを示唆する話がたくさん出ています。古稀を超えてなお奔放な想像力を豊富で堅実な科学知識で引き締め、説得力ある未来像を生み出すクラークの創造力にはただ恐れ入るばかりです。今の通信衛星もこの作家が生みの親になったことを思えば、もっともっとその死は注目されるべきだったんじゃないでしょうか。これほどの人が亡くなったというのに追悼特集の一つもしない書店やマスコミはなにやってるんだか、と言いたくなるくらいです。
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