投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 6月19日(火)23時23分31秒
大山氏が夢中になって語るメキシコ体験談は「中世の身分制と国家」とどう関係するのか、ちょっと分かりにくく、聞き手側も若干困惑しているようで、次のようなやり取りがあります。(p33以下)
なお、「久野」は久野修義氏(岡山大学教授、1952生)です。
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久野 先生の論文との関わり合いで言うと、穢れ感の両義性のようなものですか。
大山 穢れ感の両義性というか、難しいことは分かりませんが、要するに血の穢れというものは、このレリーフを作った人たちにはないのです。穢れではないのですね。
久野 今のお話と、「自分が論文で書いたことは間違ってはいなかった」というのはどうつながるのですか。
大山 一つは、ひざまずいた強壮な人物がいて、頭部が切り落とされて地面に転がり、首から吹き出す六本の文様化した血流があって、真ん中の噴流が植物文様となり、その先にたぶんトウモロコシがたわわに実っているというモチーフ。これはね、メキシコ革命の後に壁画運動というのがあって、シケイロスやオロスコやリベラなどという人がいます。たくさん見たので、どの人の壁画か忘れましたが、その中に、土の中に横たわる人物から血管が出て、足だったか、これがずっと地中に伸びてトウモロコシの根に繋がっているのですね。それで、地上にトウモロコシが稔っている。地中に横たわっているのは亡くなった人で、それが血流でつながって穀物の豊穣をもたらす。こういうモチーフの壁画が現代絵画でも描かれているのです。
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ということで、チチェン・イッツァからいきなりメキシコ革命後の壁画運動に話が飛んでしまいます。
チチェン・イッツァは「七〇〇年頃から繁栄し始め、九〇〇~一〇〇〇年が最盛期」(青山和夫『マヤ文明─密林に栄えた石器文化』、岩波新書、2012、p116)であった古代都市であり、他方、シケイロス(David Alfaro Siqueiros,1896-1974年1月6日)、オロスコ(José Clemente Orozco、1883-1949)、リベラ(Diego Rivera、1886-1957)が中心となったメキシコ壁画運動は1920~30年代の話で、千年ほど離れていますから、あまりに唐突な展開にちょっとびっくりしますね。
また、地中の死体とトウモロコシが繋がっているという壁画を探してグーグルで少し画像検索をしてみたのですが、どうもぴったり当てはまるものがなさそうで、若干の戸惑いを覚えます。
メキシコ壁画運動
さて、大山氏の上記発言を受けた久野氏が話を纏めようとすると、大山氏は更に別のメキシコ体験を語り出します。
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久野 メキシコ体験というのは、先生の中に沈殿していって、カースト社会論にもつながっているのですか。
大山 そう、そう。それからね、観光バスで闘牛場に闘牛を観に行きました。日本人学者のツアーです。闘牛は何度も繰り返して行なわれるらしいのですが、我々が到着したときには、観客席は熱狂の最中でした。僕と朝尾さんは最後まで残ってかなり興奮して、牛が倒れるまで観ていました。気がついてみたら、我々の席は空席だらけになっていました。「その回だけで引き返す」と案内人が言うので、もっと見たいと思ったのですが、バスに戻りました。驚いたことにバスには、先に引きあげてきている人がいっぱい待っていて、「よくああいう残酷なものをみてきたね」と言うのです。僕の記憶では、古島敏雄先生や吉田晶さんは引きあげた組でした。同じ日本人で、同じ文化に染まっていても、感じ方は違っている。朝尾さんや僕は興奮して見ている部類でした。これが差別意識とか、穢れの歴史的感性などと関係があるのかな、などと考えました。メキシコでそういうことがいっぱいありました。そうそう、断頭台があって、ここで一人ずつ毎朝生け贄を捧げる。だって新しい血がないと、朝日が昇ってこれないというのです。チャクモールの像というのがチチェン・イッツァの上の方にありますが、これは生け贄の心臓がここに捧げられるというのです。メキシコに行っている間にそういう話がいっぱいありました。
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ということで、「そうそう」以下は闘牛から再びチチェン・イッツァに戻るのですが、ここも何だか唐突です。
>筆綾丸さん
『メソアメリカを知るための58章』(井上幸孝編、明石書店、2014)という本にチチェン・イッツァ観光に関する面白い記事があったので、次の投稿で紹介します。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
マヤ文明の思い出 2018/06/18(月) 23:31:30
小太郎さん
たしか、二十年ほど前になりますが、フロリダ半島から空路でユカタン半島に入り、チチェン・イッツァのククルカン神殿の階段を登ったことがあります。写真で見ると、さほどでもないのですが、かなり急傾斜の階段で、転落して死亡した観光客がいたはずです。
球戯場も見ましたが、私の時も、勝者のキャプテンの首を刎ねる、と英語のツアーガイドが説明し、違和感を覚えたことを思い出しました。ご引用の青山氏の記述を読んで、得心しました。
細かいことながら、ウィキの球戯の説明にある「現在もくびきを意味するユーゴ(スペイン語: yugo)と呼ばれることがある」ですが、スペイン語ならば、yugoの発音は「ユーゴ」ではなく「ジューゴ」ですね。
小太郎さん
たしか、二十年ほど前になりますが、フロリダ半島から空路でユカタン半島に入り、チチェン・イッツァのククルカン神殿の階段を登ったことがあります。写真で見ると、さほどでもないのですが、かなり急傾斜の階段で、転落して死亡した観光客がいたはずです。
球戯場も見ましたが、私の時も、勝者のキャプテンの首を刎ねる、と英語のツアーガイドが説明し、違和感を覚えたことを思い出しました。ご引用の青山氏の記述を読んで、得心しました。
細かいことながら、ウィキの球戯の説明にある「現在もくびきを意味するユーゴ(スペイン語: yugo)と呼ばれることがある」ですが、スペイン語ならば、yugoの発音は「ユーゴ」ではなく「ジューゴ」ですね。
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