学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

0234 頼まれもしないのに桃崎有一郎氏の弁護を少ししてみる。(その4)

2024-12-26 | 鈴木小太郎チャンネル2024
第234回配信です。


一、近時の学説の動向(続き)

資料:河内祥輔氏『保元の乱・平治の乱』(その1)(その2)〔2024-12-25〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c8ea4593a6466c0bf0bff9f5a0f7dead
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a3c65bde7b539b65b93de7dc5c4eb50e

資料:元木泰雄氏『保元・平治の乱を読みなおす』(NHKブックス、2004)〔2024-12-25〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/fd803b458b8db69d2cc57c656efd6025

資料:『平治の乱の謎を解く 頼朝が暴いた「完全犯罪」』〔2024-12-23〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/408464aec3f98dbdc0af039b0ea92acd

資料:桃崎有一郎氏「皇位継承問題と信西一家流刑問題に注目した河内説の価値」〔2024-12-26〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3a0116ba84fc16c1757fa0e2179316d5

資料:古澤直人氏「第四章 平治の乱の構図理解をめぐって」〔2024-12-26〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f889d2a74e3884a374ffc1e0f5913101


二、桃崎説で説明しやすくなる点

「二条天皇黒幕説」は桃崎氏自身が用いている表現だが、ネーミングとしてはあまり良くない。

律令法の大系において、天皇は究極の正統性(正当性)の根拠。
→建前としては無謬であり、黒くはなれない存在。

あえて言うならば「二条天皇白幕説」が妥当。
信頼・義朝は、少なくとも形式的には二条天皇の「王命」に従って行動したことは明らかではないか。
問題はその「王命」が実質を伴ったか。
信頼・義朝によって強制された「王命」だったのか、それとも二条天皇の真意に基づく「王命」だったのか。

冗談はともかく、「二条天皇黒幕説」で説明しやすい点。

二条天皇は後白河院政を終わらせるため、十二月九日、信頼・義朝に三条殿襲撃を命じた。
信西の梟首、信西の息子たちの配流も命じた。
しかし、敵の多かった信西への処分はともかく、三条殿襲撃、後白河院略取については非難の声が高まり、二条は責任を全て信頼・義朝に押し付けることにして、十二月二十五日、大内を脱出。
清盛に信頼・義朝の討伐を命令。

①三条殿襲撃事件の参加者相互の特別な結びつきを見つける必要がなくなる。
 →当今の二条天皇の命令に従った、で十分。
②京都合戦の直前、二条天皇が簡単に脱出できた理由。
 →そもそも信頼によって監禁されていなかったから。
③信頼が謀反人として処断された後も信西の息子たちが許されなかった理由。
 →信西排除は二条の命令によるものだったが、そのやり方(三条殿襲撃)が良くなかったとの形で、信頼・義朝の処断と切り離した。


三、桃崎説でなお残る疑問

信西は何故に梟首という残虐な処置を受けねばならなかったのか。
何故に二条はそこまで信西を憎んだのか。
また、後白河院政を終わらせたいとしても三条殿襲撃はあまりに強引。
後白河との対立の原因はいったい何だったのか。
→「二代の后」問題ではないか。
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