学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

ミュージカル「レベッカ」についてのメモ(その6)

2017-01-29 | 映画・演劇・美術・音楽
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 1月29日(日)11時04分38秒

茅野美ど里(みどり)氏の翻訳はちょっと軽いというか、アメリカンなところがあって、批判する人も多いみたいですね。
少し検索してみたところ、例えば小谷野敦氏は、

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うーん。誤訳があるという指摘もあったがそれは確認できない。しかし、新訳らしさを出そうとしたムリの痕跡はある。「体育会系」とか「サイコー」とか、新しげな言葉遣いが、この作品の上品で古風な雰囲気をぶち壊しにしている。

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20110406

と言われています。
他方、茅野訳の読みやすさを評価する人もいますね。

高萩カロン氏「冥王星からこんにちは」
http://meiousei.tokyo/2008/03/24/%E3%80%8E%E3%83%AC%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AB%E3%80%8F%E8%8C%85%E9%87%8E%E7%BE%8E%E3%81%A9%E9%87%8C%E8%A8%B3%E3%81%AE%E3%81%84%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%93%E3%82%8D%E3%80%80/

私は原文も大久保康雄訳も読んでいないので何とも評価できないのですが、茅野訳には『問はず語り』を Karen Brazell氏の翻訳(The Confessions of Lady Nijo)で初めて読んだときのような、若干の落ち着かない気分を味わいました。
原文の雰囲気は伝わらないものの、逆に原文が醸し出す雰囲気に幻惑されることなく、対象作品の本質をそれなりにあっさりと掴んでしまっているのかも、という感じですね。

Lady Nijo
https://en.wikipedia.org/wiki/Lady_Nij%C5%8D

さて、フランス系のイギリス人が英語で書いた<I>が<am>な小説をドイツ人がドイツ語で<Ich>が<bin>のミュージカルに仕立て直し、それを日本人が<わたし>が<です>に翻案した舞台を見る。
これだけでもなかなか興味深い出来事で、ダフニ・デュ・モーリエの小説原文、ミヒャエル・クンツェのドイツ語脚本、東宝での脚本、武正菊夫氏の脚本を全て丁寧に分析すれば面白い発見が多々ありそうですが、それは現在の私の手に余る仕事なので、「レベッカ」についての初歩的な検討はとりあえずこれで終わりとします。
私は去年の11月、共愛学園前橋国際大学で行われた公開講座「演劇の起源と国際的な展開・現代ミュージカルのメソッドを学ぶ」で武正菊夫氏の講演を聞きました。
武正氏は1946年生まれとけっこうなお年で、非常に穏やかな話し方をする人ですが、その動作は俊敏・軽妙・優雅と変幻自在で、只者ではないですね。
ミュージカルの世界も本当に奥が深そうなので、少しずつ勉強して行こうと思います。

そういえば、この公開講座の司会者が、日本中世史の研究者で女院や女院領に関する論文もある野口華世氏だったので、ちょっと驚きました。
野口氏が共愛学園前橋国際大学の准教授になっていることは知っていたのですが、公開講座などの社会教育の窓口も担当されているようで、大学の先生もなかなか大変ですね。
私は歴史学研究会の会員ではないにもかかわらず、同会中世史部会の月例会に何回か参加させてもらったことがあって、まだ大学院生だった野口氏の発表を聞いたこともあります。
野口氏は独特の愛敬のある話し方をする人で、十年以上経っても話し方は全く同じでしたが、服装はすっかりマダム風になっていましたね。

>筆綾丸さん
本郷和人氏が全体的に荒俣宏に似ているのではなく、単に「話し方と声音」についてのご指摘ですから、「そうですね」で済ませれば良かった話でしたね。
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