投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 1月27日(金)13時07分48秒
あまり寄り道している訳にも行かないのですが、一応、原作だけは確認しておこうと思って最新訳らしい『レベッカ』(茅野美ど里訳、新潮社、2007)を手に取ってみました。
実は私、ここ十数年、その時々の状況に応じて読まねばならない書籍を山ほど抱えていて、フィクションなど読むヒマがあるか、みたいな余裕のない状態が当たり前になっており、まともに小説を読んだ記憶がないのですが、さすがに伝説的なベストセラーだけあって『レベッカ』にはグイグイ引き摺り込まれてしまいますね。
同書巻末の「ダフネのふたつの顔─訳者あとがき」には原作者とその周辺についての簡明な解説があるので、少し引用させてもらいます。(p575以下)
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ダフネは内なる自分と現実の生活をしている自分が大きくずれていました。本人もそれはよくわかっていて、前者を「ナンバーツー」、後者を「ナンバーワン」と称していました。ナンバーツーを満足させるためには、作品を通じて内面を昇華することが必要で、それがうまくいっていた時期は精神的にも安定して幸福でした。しかし、五〇年代の終わりごろから両者の乖離がすすみ、七〇年代後半に実質的に書けなくなると、ほんとうの自分であるナンバーツーを想像の世界に開放できなくなり、心身ともに追い詰められていきます。
その内なる別人格には、著名な俳優で、劇場の支配人・プロデューサーとしても活躍した、父親のジェラルドの影響を考えないわけにはいきません。そもそもデュ・モーリア一族は芸術の分野で秀でた人材を輩出しており、デフネにもその血が濃く流れています。
祖父のジョージはフランスからイギリスに移り住んだ画家で、トーマス・ハーディーやヘンリー・ジェームスなどの挿画を描くかたわら、「パンチ」誌のスタッフとして風刺画を手がけ、人気を博しました。晩年は作家としても活躍、六十歳になってからパリ生活を懐かしんで書いた小説『トリルビー』(Trilby・一八九四年)がヒットしました。作中、催眠術を弄してヒロインを繰るスヴェンガーリ(Svengali)というミュージシャンが登場しますが、その名は転じて、他人を思いどおりに繰る抗しがたい力をもっている人物を指す言葉として、いまでは辞書に載っているほどで、いかにこの作品が親しまれたかがわかります。
父・ジェラルドはジョージの次男ですが、五人きょうだいの末っ子として一八七三年に生まれ、母親に溺愛されて育ちました。俳優としても、才能と運に恵まれすぎて失敗を知らず、その恵まれた境遇に若くして興醒めしていたというのがダフネの見方で、中年になると精神的に不安定になりました。『ピーター・パン』の作者J・M・バリーと親交が深く、ダフネも小さいころから親しんで、「ジムおじさん」と呼んでいました。『ピーター・パン』誕生にまつわるエピソードを扱った映画『ネバーランド』(Finding Neverland・二〇〇四年)でケイト・ウィンスレット演じるシルヴィア・ルウェリン-デイヴィスは、ダフネの伯母にあたります。ジェラルドは、姉と甥たちのために書かれた『ピーター・パン』の初演(一九〇四年)でフック船長を演じて大好評を博し、これは恒例の出し物となりました。
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私は「スヴェンガーリ」を知りませんでしたが、確かに辞書にも出ており、ウィキペディアにも項目がありますね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Svengali
ダフネの身近には演劇の世界もあり、大変な美人ですから本人が希望すれば女優への道もありえたのでしょうね。
http://www.dumaurier.org/index.php
さて、『レベッカ』を通読してみると、コミカルな描写も多少ありますが、全体としては暗い色調で彩られていて、よくこれをミュージカルにしたなあ、という感じがします。
やはりミヒャエル・クンツェは天才ですね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Kunze
あまり寄り道している訳にも行かないのですが、一応、原作だけは確認しておこうと思って最新訳らしい『レベッカ』(茅野美ど里訳、新潮社、2007)を手に取ってみました。
実は私、ここ十数年、その時々の状況に応じて読まねばならない書籍を山ほど抱えていて、フィクションなど読むヒマがあるか、みたいな余裕のない状態が当たり前になっており、まともに小説を読んだ記憶がないのですが、さすがに伝説的なベストセラーだけあって『レベッカ』にはグイグイ引き摺り込まれてしまいますね。
同書巻末の「ダフネのふたつの顔─訳者あとがき」には原作者とその周辺についての簡明な解説があるので、少し引用させてもらいます。(p575以下)
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ダフネは内なる自分と現実の生活をしている自分が大きくずれていました。本人もそれはよくわかっていて、前者を「ナンバーツー」、後者を「ナンバーワン」と称していました。ナンバーツーを満足させるためには、作品を通じて内面を昇華することが必要で、それがうまくいっていた時期は精神的にも安定して幸福でした。しかし、五〇年代の終わりごろから両者の乖離がすすみ、七〇年代後半に実質的に書けなくなると、ほんとうの自分であるナンバーツーを想像の世界に開放できなくなり、心身ともに追い詰められていきます。
その内なる別人格には、著名な俳優で、劇場の支配人・プロデューサーとしても活躍した、父親のジェラルドの影響を考えないわけにはいきません。そもそもデュ・モーリア一族は芸術の分野で秀でた人材を輩出しており、デフネにもその血が濃く流れています。
祖父のジョージはフランスからイギリスに移り住んだ画家で、トーマス・ハーディーやヘンリー・ジェームスなどの挿画を描くかたわら、「パンチ」誌のスタッフとして風刺画を手がけ、人気を博しました。晩年は作家としても活躍、六十歳になってからパリ生活を懐かしんで書いた小説『トリルビー』(Trilby・一八九四年)がヒットしました。作中、催眠術を弄してヒロインを繰るスヴェンガーリ(Svengali)というミュージシャンが登場しますが、その名は転じて、他人を思いどおりに繰る抗しがたい力をもっている人物を指す言葉として、いまでは辞書に載っているほどで、いかにこの作品が親しまれたかがわかります。
父・ジェラルドはジョージの次男ですが、五人きょうだいの末っ子として一八七三年に生まれ、母親に溺愛されて育ちました。俳優としても、才能と運に恵まれすぎて失敗を知らず、その恵まれた境遇に若くして興醒めしていたというのがダフネの見方で、中年になると精神的に不安定になりました。『ピーター・パン』の作者J・M・バリーと親交が深く、ダフネも小さいころから親しんで、「ジムおじさん」と呼んでいました。『ピーター・パン』誕生にまつわるエピソードを扱った映画『ネバーランド』(Finding Neverland・二〇〇四年)でケイト・ウィンスレット演じるシルヴィア・ルウェリン-デイヴィスは、ダフネの伯母にあたります。ジェラルドは、姉と甥たちのために書かれた『ピーター・パン』の初演(一九〇四年)でフック船長を演じて大好評を博し、これは恒例の出し物となりました。
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私は「スヴェンガーリ」を知りませんでしたが、確かに辞書にも出ており、ウィキペディアにも項目がありますね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Svengali
ダフネの身近には演劇の世界もあり、大変な美人ですから本人が希望すれば女優への道もありえたのでしょうね。
http://www.dumaurier.org/index.php
さて、『レベッカ』を通読してみると、コミカルな描写も多少ありますが、全体としては暗い色調で彩られていて、よくこれをミュージカルにしたなあ、という感じがします。
やはりミヒャエル・クンツェは天才ですね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Kunze
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