投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 6月24日(日)10時26分3秒
大山喬平氏の『日本中世のムラと神々』(岩波書店、2012)を入手してパラパラ眺めているのですが、きちんとした論文はもちろん、エッセイ・講演記録の類までどれも非常に緻密で、さすが京都大学名誉教授だなと感心してしまいます。
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「平成の大合併」によって,「村」という地名が消えようとしている.日本のムラは古代以来続いてきたので,これは歴史の大転換点である.古代の郷里制,中世の荘園制,近世の村落など制度上の仕組みとの関係に留意しながら,中世のムラを中心に,ムラの持続性とムラの生活を支えてきた「神々」について論じた画期的論集.
https://www.iwanami.co.jp/book/b265025.html
ただ、こうした専門領域での緻密さと、メキシコ旅行の回想の粗っぽさとの落差はどう考えればよいのか。
大山氏の記憶は、
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これはね、メキシコ革命の後に壁画運動というのがあって、シケイロスやオロスコやリベラなどという人がいます。たくさん見たので、どの人の壁画か忘れましたが、その中に、土の中に横たわる人物から血管が出て、足だったか、これがずっと地中に伸びてトウモロコシの根に繋がっているのですね。それで、地上にトウモロコシが稔っている。地中に横たわっているのは亡くなった人で、それが血流でつながって穀物の豊穣をもたらす。こういうモチーフの壁画が現代絵画でも描かれているのです。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3dd2c20fe5a1b96d5bbdad7b5c801c95
という具合にずいぶん曖昧なものなので、私が推定したインスルヘンテス劇場の屋外壁画と違っている可能性は残りますが、まあ、壁画は普通の絵画と異なり一点一点に巨額の費用がかかり作品数も限定されますから、まず間違いないはずです。
そもそも高校生で共産党活動に没頭していた革命青年タイプで、運動に挫折して以降は地味な荘園研究に沈潜していた大山氏のような人に美術を語る語彙がプアーなのは理解できるのですが(わはは。少し莫迦にしています)、それでも壁画運動はメキシコ革命と直接に連動していて、革命青年の心を騒がせる要素に満ち溢れていますから、大山氏が旅行中にそれほど感銘を受けたのなら、帰国後に誰の作品だったのか確認する程度のことを何故しないのか。
「専門バカ」で済ませてよい問題でもないような感じがするのですが、やはり「専門バカ」以外に説明のしようがないですかね。
>筆綾丸さん
亀井勝一郎のことは知らないのですが、本郷氏は昔から海音寺潮五郎く評価されているようで、エッセイなどで何度も言及されていますね。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
小太郎さん
ご引用の文にある「これらを見る観光客の多く・・・」は、20年前の我が身にもピッタリ当てはまります。観光社会学の世界的トップランナーは、世界遺産の伝道師ユネスコでしょうか。
今日の日経から、本郷和人氏の連載「日本史ひと模様」が始まりました。
初回は「亀井勝一郎・海音寺潮五郎」で、分野が違うなあと変な感じがしたのですが、これは、実証、実証と馬鹿の一つ覚えみたいに唱えている同業者を揶揄したものと読むべきなんでしょうね。いわゆる「実証」が三度のメシより好きな歴史学者に対して、僕はもう卒業したよ、と言いたいのかもしれません。
http://www.jca.apc.org/gendai/contents/syohyo/978-4-7738-1002-8.html
Mario Vargas Llosa は、大江健三郎が昔からよく言及しています。スペイン語Llosaの発音は「ジョサ」のような気がするのですが。
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