ベック式!難単語暗記法ブログ

質の高い暗記法、芸術的なゴロ合わせ、感動の記憶法をあなたに!抜群に効果的な実例満載!

1808(文化5)年 〈フェートン号事件〉★

2013-12-15 | 『新日本史頻出年代暗記』

●江戸時代(光格天皇 徳川家斉)
Phaeton Incident: British warship Phaeton enters Nagasaki Harbor under a Dutch flag.
違反を止(や)めな フェートン号。

1808年

 イギリス船       長崎   フェートン号              

1808年、イギリス艦フェートン号はナポレオン戦争で対立する船を追い、禁を破って長崎港内に侵入。

薪水・食料を強奪して退去した(フェートン号事件)。長崎奉行松平康英はこの事件の責任をとって切腹して自害した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1812年 〈ナポレオン、ロシア遠征〉★★

2013-12-15 | Weblog

▲「ナポレオンのモスクワからの退却」

●フランス(第一帝政)

Napoleon's Grande Armée crosses the Niemen River and invades Russia.

一敗(いっぱい)に泣く ロシアにて。

1812年  ナポレオン1世 クトゥーゾフ将軍 ロシア遠征

 

ロシアのアレクサンドル1世は、ナポレオン1世に批判的なタレーランとひそかに連絡をとり、大陸封鎖に従わなくなっていた。

1812年、ナポレオンはギリスに穀物輸出をおこなったロシアに遠征を行ったが、クトゥーゾフ将軍の焦土作戦と厳しい寒さのために敗北。

ロシア遠征の失敗は、ついにナポレオン帝国を崩壊に導く導火線への点火となた。

 ▼ミハイル=クトゥーゾフ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1813年・1814年 〈ライプチヒの戦い・エルバ島配流〉★

2013-12-15 | 『新世界史頻出年代暗記』

▲ライプチヒの戦い

●フランス(第一帝政)

Battle of Leipzig: Napoleon is defeated by Russia, Prussia and Austria.

悲惨将来 意志萎(な)える。

1813年 

   第4回対仏大同盟

         諸国民戦争 

          ライプチヒの戦い

            (1814年 エルバ島配流

ロシア遠征の失敗を機に諸国民が一斉に解放戦争に立ち上がった。

1813年、イギリスと大陸諸国は4回対仏大同盟を結び、10月にプロイセン、オーストリア、ロシアの連合軍はライプチヒの戦い諸国民戦争)でフランスを破った。

翌1814年、ナポレオンは退位して地中海のエルバ島に流され、ルイ18が即位してブルボン朝が復活した。

▼エルバ島


世界史 ブログランキングへ


受験 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1814年 〈ウィーン会議〉★★

2013-12-15 | Weblog

 

●国際(ウィーン体制)

The Congress of Vienna is held to settle the many issues arising from the French Revolutionary Wars, the Napoleonic Wars.

祝(いわ)い用意し 目出度(めでた)いぜ。

1814年  ウィーン会議  メッテルニヒ タレーラン 正統主義

 

1814年、ナポレオン戦争の処理のため、オーストリア外相メッテルニヒの主導のもと、ウィーン会議が開催された。フランス外相タレーランは“会議は踊る、されど進まず”と評された各国の思惑と利害の対立を利用し、フランス革命以前の王朝と領土を正統とみなす正統主義を主張、会議でこれを認めさせた。

 

 《ウィーン議定書》  

ウィーン会議の結果、タレーランが主張した正統主義により、1815年にウィーン議定書が成立。神聖ローマ帝国が消滅したドイツには35君主国と4自由市からなるドイツ連邦が成立。スイスは永世中立国となり、イギリスはセイロン島ケープ植民地の領有が認められた。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1815年 〈ワーテルローの戦い〉★★

2013-12-15 | 『新世界史頻出年代暗記』

ワーテルローの戦い

●フランス(第一帝政)

Battle of Waterloo: The Duke of Wellington decisively defeats Napoleon, ending the Napoleonic wars.

いや以後飢える 慌(あわ)てるぞ。

1815年  ウェリントン  ワーテルローの戦い 

ウィーン会議が領土の配分をめぐり議事が難航している間に、ナポレオンエルバ島を脱出して再び帝位につき、ルイ18は亡命した。

しかし、ウェリントン率いるイギリス・プロイセン・オランダ連合軍にワーテルローの戦いで大敗した。

ナポレオンの百日天下は終わり、南太平洋の孤島セントヘレナ島に流され、ルイ18世が帰国し復位した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1815年 〈神聖同盟の成立〉★

2013-12-15 | Weblog

ロシア(ロマノフ朝)

The Holy Alliance is created in 1815 at the behest of Czar Alexander I of Russia.

祝(いわ)い事には あれいいし。

1815年          アレクサンドル1世 神聖同盟

 

ウィーン体制を維持するため、1815年にはロシア皇帝アレクサンドル1のよびかけで、キリスト教の博愛精神に基づく精神的盟約の神聖同盟が成立。

ロシア主導の同盟を牽制したイギリス、イスラム教徒のトルコ、新教国との同盟を拒否した教皇を除くヨーロッパ君主が参加した。同盟はメッテルニヒによる自由主義弾圧に利用された。

一方、国内で自由主義的風潮が高まっていたイギリスはラテンアメリカの独立を支持するなど、その思惑や方針がウィーン体制下で貫徹されたわけではなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1821年・1829年 〈ギリシア独立戦争・アドリアノープルの和約〉★★

2013-12-14 | 『新世界史頻出年代暗記』

▲ウジェーヌ=ドラクロワ画「キオス島の虐殺」

●ギリシア

Greek War of Independence: Greek rebels massacre all the Turkish and Jewish inhabitants of Tripoli, Greece.

いや遂(つい)に義理 後(あと)に来る。

1821年 ギリシア独立戦争 アドリアノープルの和約 (1829年 

 

オスマン帝国の支配下にあったギリシアでも1821年に独立戦争がおこった。

メッテルニヒは、この独立運動に対する干渉を企てたが、イギリス・フランス・ロシアはバルカンに対する利害からギリシアを支援したので、1829年アドリアノープルの和約でトルコはギリシアの独立を認め、1830年のロンドン会議で列国の承認を得た。

【関連文化史―バイロン・ドラクロワ】  

ギリシア軍がオスマン=トルコへの攻勢を強めると、援助の要請を受けたムハンマド=アリーはキオス島虐殺事件を起こした。

この虐殺事件は当時の時代風潮であったロマン主義思想ともあいまって、ヨーロッパ人の同情を生んだ。イギリスの詩人バイロンは義勇軍に参加し、フランスの画家ドラクロワは「シオ(キオス島)の虐殺」を描いてギリシアの独立を支援した。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1823年 〈モンロー宣言〉★★

2013-12-14 | 『新世界史頻出年代暗記』

ジェームズ・モンロー第5代大統領

●アメリカ(アメリカ合衆国)

Monroe Doctrine: Monroe declares that any European attempts to recolonize the Americas would be considered a hostile act towards the United States.

いや罪(つみ)だもの 干渉は。

1823年    モンロー宣言 ヨーロッパの干渉

 

ナポレオン戦争スペイン立憲革命はラテンアメリカの独立運動にも影響し、10数カ国が独立を宣言した。

こうした動きをウィーン体制への脅威と考えたメッテルニヒは武力干渉を計画。

しかし、1823年、米国大統領モンローモンロー宣言を発表して反対し、イギリス外相カニングもラテンアメリカ市場の開拓を狙って独立を認めたため、独立運動に干渉できなかった《市場の開拓を狙って独立を支持する狡猾な外交を展開した「カニング」の名前は「狡猾な、ずるい」を意味する英単語 cunning と結びつけて、英語ともども覚えてしまおう!》。

中南米諸国の独立年

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

polluteの覚え方

2013-12-14 | Weblog

oとlに着目して「オー線」→「汚染する」

こんなの覚えれないと言ってた6年生のわが息子。

一発で確実に覚えたようだ。

実は「こんなの覚えれないよ」効果というのもあるのだ。詳細は追って。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1825(文政8)年 〈異国船打払令〉★

2013-12-13 | 『新日本史頻出年代暗記』

●江戸時代(仁孝天皇 徳川家斉)

Shogunate issues the Ikokusen Uchiharai Rei.

一発(いっぱつ)ゴンと 打ち払え。

     1825年       異国船打払令

フェートン号事件に続く1818年のイギリス人ゴルドンの通商要求、1824年の常陸大津浜薩摩宝島でのイギリス捕鯨船暴行事件などに対する対応措置として、1825年にオランダ以外の外国船はためらうことなく撃退することを命じた異国船打払令無二念打払令)を出した。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1825年 〈ニコライ1世即位、デカブリストの乱〉★★

2013-12-13 | Weblog

▲デカブリストの乱

●ロシア(ロマノフ朝)

Rebellion of Dekabrists; Czar Nicholas has little difficulty crushing the Dekabrists.

批判(ひはん)ニコライ 被(かぶ)る人。

1825年  ニコライ1世  デカブリストの乱

 

ナポレオン戦争に参加して自国の後進性を痛感したロシアの青年将校たちは、秘密結社デカブリスト(十二月党)を結成し、憲法制定と農奴制の廃止を要求。1825年、反動的なニコライ1が即位すると、彼らはデカブリストの乱とよばれる反乱を起こしたが、1日で鎮圧された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1828年 〈トルコマンチャーイ条約〉★

2013-12-13 | Weblog

▲ガージャール朝の領土縮小と英露の勢力圏画定

●イラン(カージャール朝)

Treaty of Turkmenchay: Russia captures Eastern Armenia from Persia.

 いやに捗(はかど) 違いある。 

  1828年 カージャール朝 トルコマンチャーイ条約 治外法権 イラン アルメニア

 

18世紀末、イランにテヘランを都とするカージャール朝がおこった。

しかし、19世紀に入ると、南下政策をとるロシアとカフカスの領有をめぐって戦ったがロシア軍にタブリーズを陥とされ敗北、1828年にはタブリーズ近郊のトルコマンチャーイでトルコマンチャーイ条約を結んでロシアにアルメニアを割譲し治外法権を認めた。

イランはこの失地を回復するためアフガニスタンに侵入したが、ロシアの進出に対抗するイギリスの介入を受けた。

そして外国の進出や経済的混乱を背景に、政治や社会の改革を訴えるバーブ教徒の乱(1848~1850年)がおこる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平沼の親父(養父だけど)の騏一郎とダメさは同じ

2013-12-13 | Weblog

東国原に妖怪と言われてよっぽど頭にきたんだろうな。

感情をコントロールできずに大事なときに、危機管理のできない政治家としてのダメさは、「欧州情勢は複雑」だからと言って一番大事なときに首相を放り投げた養父の騏一郎と同じ。

ちなみにこの男(平沼騏一郎)は大逆事件をでっちあげて幸徳秋水を殺した褒美?で首相になった卑劣な男だよ。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131213/stt13121300210000-n1.htm

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1829年 〈カトリック教徒解放法〉★★

2013-12-13 | Weblog

▲ダニエル・オコンネル 

●イギリス(ハノーヴァー朝)

Catholic Emancipation was attained: Religious freedom is restored in Ireland

いやに旧教(きゅうきょう) 怒んねん!

1829年  カトリック教徒解放法 オコンネル

イギリスでは1820年代になると産業資本家が台頭し、自由主義化が進行した。

アイルランド人オコンネルらの活躍により、1828年に審査法を廃止し、翌1829年にはカトリック教徒解放法が成立し、1801年イギリスに併合されながら公職に就くことができなかったアイルランドのカトリック教徒の公職就任が可能となった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1830年 〈強制栽培制度〉★

2013-12-12 | Weblog

ファン=デン=ボス

●オランダ

The Cultivation System: A new governor general, Johannes van den Bosch, is appointed to make the Dutch East Indies pay their way.

嫌味(いやみ)大ボス 強制じゃ!

        1830年   オランダ ファン=デン=ボス ジャワ島

 

オランダは、在地勢力の大規模な抵抗を鎮圧し、オランダ領東インドの支配を拡大。

しかし、1830年、七月革命の勃発に乗じてベルギーが独立するにともない財政難に陥ったため、東インド総督ファン=デン=ボスが、ジャワ島で農民にコーヒーサトウキビなど商品作物を作付けさせ、安価に買い上げてヨーロッパに輸出し利益を上げるという強制栽培制度を実施し、大きな利益をあげた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする