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北浜~高麗橋


東京で「北浜」と聞くと、大阪の商業の中心地の他に、人形町の会席料理屋さんを思い浮かべますね。

たまたま今回大阪を散歩した際、北浜界隈を歩いたので少し調べてみたら、人形町の北浜さんの創業者の方も大坂で修業して、東京で関西料理を広めるためにどこか適当な場所…と思っていた時に、当時浪花町と呼ばれ、京都の織物を富裕層に販売する関西出身者が多く住んでいた今の人形町を拠点にしたのが、「北浜」さんの始めとか。。。

現在の大阪市の北浜界隈も、古い伝統をもつ会社が多く、そんな会社に通う小津監督の映画に出てくるような「重役」さん達が通うような雰囲気の床屋さんなども残っていました。

写真左上は その床屋さんのクルクル廻る看板。

右上は芦屋に本店のある「土山人」(どさんじん)の看板。
今でこそ珍しくないですが、自家石臼挽き製粉で質の良いお蕎麦を供するお店のようで、北浜のお店は築100年以上の民家を用いた風情のあるお店です。
今回は「なにわ翁」さんに行く予定ですので、看板のみのご紹介です♪

左下は1930年竣工の日本基督教団浪花教会の看板。
ウィリアム・M・ヴォーリズの指導で竹中工務店設計・施工による「ゴシック様式の教会」と紹介されていました。
なかなか風情のある建物が続く街並みですが、電線が邪魔で残念ながら写真はカット

ところで、大阪を指す言葉の「なにわ」って、難波・浪速・浪花…と色々な表記がありますね!
読み方も、「なにわ」の他に「なんば」「なみはや」と色々ありますが、このいい加減さ=不統一なところが大阪人の大阪人たる所以かも?

さて、最後に控えし右下は、「吉兆」本店の表札。
一昨年から昨年にかけて、グループの一員「船場吉兆」が巻き起こした「偽装」疑惑で、「吉兆」のイメージもずいぶんと落ちた感は否めませんが、創業者の湯木貞一さんが、調理師学校で知られる辻静雄さんと共に日本の料理界に残した功績は大きなものがあると思います。

さて、中之島から北浜~高麗橋と歩いてきて、だいぶお腹も空いてきました♪
次に晦日に伺った「なにわ翁」のことを書きたいと思います 
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中之島の印象


大阪駅から歩いても行ける、堂島川と土佐堀川に挟まれた中之島は、大阪がまだ「大坂」と呼ばれていた頃、旧淀川の水運を利用した蔵屋敷が立ち並び、全国の物資が集まる様になっていました。

明治以降、これらの蔵屋敷は払い下げられ、現在見られるような重文の大阪府立中之島図書館や中之島公会堂等の文化施設や日銀大阪支店等の大阪における金融・経済の中心地として今に至っています。 
(参考;ウィキペディア)

写真は左上から、1903年竣工の日銀大阪支店。
東京駅などの設計で有名な明治期の重鎮=辰野金吾とその弟子の設計で、日銀本店同様 ベルギーの国立銀行をモデルにしています。 
ただ、本店は外壁に御影石を用いているのに大阪支店では花崗岩を使っているため、印象が異なっていますね♪ 

その右は、1915年に架けられた難波橋(通称ライオン橋)。
浪速の名橋50選に選定された名橋で、大阪弁では「ナンニャバシ」と発音するようですね! 
橋の両端のライオン像は天岡均一作。
阿吽になってるところは、やっぱり日本ですね! 

左中段は中之島公会堂。
正しくは「大阪市中央公会堂」といいます。
北浜の株式仲買商(岩本栄之助氏)から建設資金の寄付を受け、コンペで最優秀案となった岡田信一郎氏の原案に辰野金吾氏と片岡安氏が手を加えた設計で、1913年から5年の歳月をかけ1918年に竣工しました。
赤レンガ造に石組の白のコントラストが辰野金吾らしいですね! 

中段右は大阪府立中之島図書館。
こちらも住友本家第15代家長吉左衛門氏の寄付(昔の財閥は偉い! )でつくられたそうで、設計は住友家の建築技師であった野口孫市と日高胖。
ネオバロック様式のコリント式円柱に支えらたファサードは、ギリシアの神殿のよう! 
中は見学できませんでしたが、ドーム状の中央ホールは教会を思わせる造りとなっているそうです。 

下段左は中之島図書館、右は公会堂前の街灯ですが、それぞれ意匠が異なっていて興味深いものがありました。 
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