goo

下御霊神社の鬼遣らい

「ろうじな」さんで夕ご飯のあと、下御霊神社で鬼の金棒で頭をゴリゴリしてもらって厄祓い
 
 
 
宿に戻って、鬼打ち豆の袋を開けたら、、、中から米粒大の金の「恵比寿・大黒」
 
どこにお飾りしようかな?
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「ろうじな」さんで、、、二色もり

壬生寺で炮烙を納めてから御所南夷川の「ろうじな」さんで夕ご飯。
おまかせの三品や穴子の煮凝りに 夜限定の蕎麦がきのカニ餡かけ
 
〆は粗挽きともりそばの二色もり。
 
 
美味しくいただきました
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

壬生寺の「節分会」と梛神社

2月3日は節分。比叡山と並んで平安京の北東の鬼門を守る「吉田神社」から南西の裏鬼門を固める「壬生寺」へ

前に「壬生のカンデンデン」で知られる壬生狂言を観に来たことがありますが、壬生寺の厄除け「節分会(せつぶんえ)」は、白河天皇の発願によって始められたと伝えられ、900年余もの永い伝統を持つそうです。

山門をくぐると「炮烙割(ほうらくわり)」で割られる炮烙に「大念仏 厄除」の墨書。


炮烙を奉納した人は、その年の災厄を免れて福徳を得るとか。
世界各地で紛争の火種が絶えない年が続いているので「世界平和」を祈願

※舞台は撮影禁止ですので写真は京都新聞Web版から

壬生寺に行く手前の「壬生寺道」のバス停のすぐにあるのが「梛(なぎ)神社」
貞観11年(869年)清和天皇の時代、京都に疫病が流行し、その悪疫を払うために牛頭天皇=素盞嗚尊を勧請したのが始まりと伝えられ、「元祇園 椥神社(もとぎおん なぎじんじゃ)」の名のとおり、後に八坂後に遷座し今の祇園会=祇園祭の元になっていたのがこちらの神社で、今でも祇園祭の綾傘鉾の役人は壬生出身の方が努めるそうです。
ちょうどお神楽が奉納されていました。
 
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「かね井」さんから「吉田神社」へ

「かね井」さんでお蕎麦をいただいてから、追儺式(鬼やらい神事)で有名な「吉田神社」へ

以前は京大のタテ看が並んでいた百万遍交差点から京大構内を抜けた先の吉田神社は、800店もの露店で凄い人混み 

参拝者が持参した古い神札をお焚き上げする火炉祭は夜11時頃からなので、「疫神斎」(ホントの字体は写真のとおり)さんのお札をいただいて、厄除け鬼払いの壬生狂言が行われる壬生寺へ、、、

火炉祭の写真は「京都旅屋さん/ https://www.kyoto-tabiya.com/%e3%83%96%e3%83%ad%e3%82%b0/

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

建勲神社へ

宿に荷物を預け最初に向かったのが紫野東藤ノ森町の「手打ち蕎麦 かね井」さん。
一巡目に入れないと大変なので早めに行って順番を確保してから5~6分の建勲神社へ

建勲神社の建つ船岡山は標高112m。ちなみに京都駅付近の標高は25m前後で盆地は北に向かって徐々に高くなるので船岡山周辺では70m前後と聞きますので、麓からの高さは40~45mくらいでしょうか?なかなか良い眺めです

旅の無事を祈ってからお蕎麦をいただきに戻ります。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

明日は立春

明日は立春。
月の桂の朝搾りを飲みに文庫を片手に京都行き
 
 
車窓の富士山 🚅
一枚目は新横浜〜小田原間
ちょっと霞んでますね。
二枚目は新富士付近で…
やっぱり富士山はこうでなくっちゃぁ
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )