この土日の暑さに負けて、完全非鉄をしました。
皆様、くれぐれもご自愛ください。
狂電関人 拝
猛暑の週末。
電関人は、すっかり自宅待機モードでオリンピック三昧です(爆)
で、早速新シリーズの2回目ですが若番のデデゴイチをアップします。
当時鉄道雑誌に載った先行量産型の写真を見てその最後の活躍の地である磐越西線に行きたいと思いました。
ようやく念願かなって初めて彼の地を訪れたのは81年春。
残念ながら19号機までの先行量産型は既に休車になっていたようです。
それでも、初期量産型2両目に当たる21号機に会えたのはラッキーでした。
こうして、先行量産型にはこの時会えなかったのですが、その翌年の82年の秋に羽越線、奥羽線の鈍行列車の旅で
奇しくも疎開留置中の彼らに巡り会ったのです。
あつみ温泉駅の側線に13号機を先頭に4両のDD51が留置されていました。
残り3両のナンバーは残念ながら確認できませんでしたがすべて先行量産車の特徴である前面の白線が一文字だったようです。
初期量産車の最若番である20番代機にはその後会う機会がありませんでしたが、電関人が良く通った山陰本線にも
とても元気が良い20番代機が居ました。
写真は77年の山陰撮影旅行の際の1枚。
この24号機は落成後門司や早岐といった九州で活躍していました。
その後、米子に移り最後は吹一で80年代中ごろまで活躍したようです。
山陰で良く会った割にはまともな写真が無くこのカットを貼っておきます。
これから残りの初期量産型の2ケタ機を少しずつアップしていきますのでお付き合いください。
撮影;21号機 磐越西線徳沢駅 1981年3月、13号機ほか 羽越本線あつみ温泉駅1982年10月、
24号機 山陰本線浜坂駅 1977年12月29日
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