マリス博士は、ノーベル賞をもらった世界最高の頭脳の持ち主。彼が発見したPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)は、相対性理論やDNAの発見とならんで、20世紀最大の科学的業績の一つに数えられるもの。でも博士は一方で、無類の女好きでサーフィン狂、そしてLSDの常習者としても有名なんです。
・私は自分のコンピューターに「立証されなていない思いつき」というファイルをためていた。私は新しいファイルを開いて「ポリメラーゼ連鎖反応Polymerase Chain Reaction;PCR」とファイル名を付けた。私はすぐには実験に取りかからなかった。そのかわり、夏中を使って研究所内外の人々に自分のアイデアを聞いてもらうことにした。
・私は話を進めた。科学とは楽しみながらやることだとずっと信じてきたこと。PCRの発明も、子供の頃、サウスカロライナの田舎町コロンビアで遊びでやっていたことのほんの延長線上にあること。PCRは、分子生物学に革命をもたらしてやろうと考えて発明されたわけではなかったこと。むしろ、自分の実験に必要な道具としてPCRは発明過ぎなかった。事実、当時、自分はほとんど素人同然だった。もし自分がしようと思っていることについてもっといろいろな知識をもっていたら、それが邪魔になってPCRは決して発明されていなかっただろう。そう私は話した。
・子供の頃、私の母は、毎年11月になると通販のカタログ一式を私たち兄弟に見せて、その中からクリスマスのプレゼントを選びなさいと言った。ある年、私はその中から、ギルバート科学実験セットを選んだ。何やら不思議な名前の薬品が入ったチューブが並んでいるのに魅了されたのだった。・・・。科学実験セットを使ってなんとか最初に作り出したものは、火薬だった。
・シータス社で働きだしたのは、1979年のことだった。・・・。シータス社は私をオリゴヌクレオチド合成の専門家として雇い入れた。シータス社はとても働きやすい職場だった。務め出して2,3年は、私の人生で一番よく働いた時期だろう。
・研究室内でもっとも危険なことは、安全の女神(安全管理者も、この女性がなんとか私を手なずけるだろうと思ったようだった。ところが、逆に私が彼女を手なずけたのだった。彼女をディナーに招待し、そうこうするうち数か月後には、同性するようになった)」とねんごろになることだと思い知る時が来た。ある日の午後、見知らぬ男がドアを蹴飛ばして怒鳴り込んできた。あの子はオレの女だ。このおとしまえはどうつけるつもりだ、と。研究室内で身の危険を感じたのは、私の人生の中で後にも先にもこの時だけだった。
・鳥と霊長類だけがDNAの最終的な分解産物として尿酸を排泄しているのだ。猫や犬などの他の哺乳類はそうではない。尿酸を排泄するという点は、不思議なことに霊長類と鳥だけの共通点だ。霊長類のうちヒトだけが歌を歌うことができる。これも鳥との共通点だ。
・優秀な物理学者たちに、税金を使って行ってもらいたい重要な研究課題は、大きく分けて二つあると思う。一つは宇宙から地球へ落下してくる天体に関する対応策を考える研究である。・・・。
もう一つ真剣に行うべき課題は、地球外の文明との交信を試みる研究である。そのような文明はすでに危険回避の方法を知っていて、われわれに情報を与えてくれる可能性がある。
・家の洗濯機が故障すると、私はさっそく分解した。私がノーベル賞を受賞したとき、母は好んでこの話を記者にした。洗濯機を分解して二度と使いものにならなくした。
・そうだ。ここにいながら向かいの家の電灯を点けたり消したりする仕掛けを作ってやろう。科学手品だ。プラモデル屋で売っているラジコン自動車を入手した。これには小さなFM電波の受信装置が載っているのだ。これを使えば道を隔てて信号のやり取りができる。まず私の皮膚の抵抗の変化をFM受信装置に入力して信号を作り出す。これはFM電波となっては晋される。道を隔てた隣家に電波の受信装置を置く。・・・。この仕掛けは見事に働いた。近所の人々が次々と私のテレパシー実験を見にやって来た。・・・。看護学校の女の子たちもこれには驚いてくれた。
・PCRが野火のごとく世界中に広まっていくであろうと、私は確信していた。<ネイチャー>編集部の返事は「却下」だった。<ネイチャー>に次いで有名な科学雑誌<サイエンス>もこの発見を認めなかった。<サイエンス>はこう言ってきた。「貴殿の論文はわれわれの愛読者の要求水準に達しないので、別のもう少し審査基準の甘い雑誌に投稿されたし」と。この野郎、と私はうめいた。おれは金輪際、これらの雑誌に好意をもつことはない、と誓った。結局、レイ・ウー博士が編集している<酵素学方法論>誌が私の論文を掲載してくれることになった。彼はOCRの真価を理解してくれていた。この一件で私はまたもや教訓を学び、さらに大人になることになった。・・・。私たちは自分の頭で考えねばならないのだ。
・科学者たちは自分たちが世間とは無関係でないことを思い知った。実際、科学者は過去に一度も、象牙の塔にこもって理想をもてあそんでいるだけの高等難民であったためしはない。野心的な科学者が手段をもてば、原子爆弾を作り出し、神に対する人々への恐れを暴君アッチラに対する恐怖へと変えてしまうことができるのだ。
・今世紀が終わろうとしている現在、社会的に重要とされる問題のうち、それが本当かどうか、きちんとして実験的検証を経ているものは、実はほとんどないのである。・・・。エイズはヒト免疫不全ウイルスによって生じるという考え方、化石燃料を使用することが地球温暖化をもたらすという考え方、また、大気中に放出されたフレオンガスがオゾン層を破壊して穴を作り出すという説、これらの諸説は、日々スーパーマーケットで買い物をするときまでわれわれを追いまわすようになる。これら根拠のない幻想が、われわれの日常生活の隅々まで侵入してくる。
・人類ができることと言えば、現在こうして生きていられることを幸運と感じ、地球上で生起している数限りない事象を前にして謙虚たること、そ
ういった思いとともに缶ビールを空けることくらいである。リラックスしようではないか。地球上にいることをよしとしようではないか。最初は何事にも混乱があるだろう。でも、それゆえに何度も何度も学びなおす契機が訪れるのであり、自分にぴたりした生き方を見つけられるようになるのである。
感想;
今、新型コロナウイスるの検査、PCR検査が毎日のように報告されています。
このPCR法を確立したのがマリス博士です。
既存の知識の組み合わせだったのですが、誰もそれはできないと思っていたことを実現させたのです。
もちろん今のPCR法になるまでは、多くの人の改善などがあったそうです。
この本を読まれた方の中には、マリス博士が言っていることが今の社会で理解されていることを真逆のこともあり、違和感を持たれる方もいらっしゃると思います。
今の当たり前を当たり前と思わない発想がPCRを生み出したように思いました。
・私は自分のコンピューターに「立証されなていない思いつき」というファイルをためていた。私は新しいファイルを開いて「ポリメラーゼ連鎖反応Polymerase Chain Reaction;PCR」とファイル名を付けた。私はすぐには実験に取りかからなかった。そのかわり、夏中を使って研究所内外の人々に自分のアイデアを聞いてもらうことにした。
・私は話を進めた。科学とは楽しみながらやることだとずっと信じてきたこと。PCRの発明も、子供の頃、サウスカロライナの田舎町コロンビアで遊びでやっていたことのほんの延長線上にあること。PCRは、分子生物学に革命をもたらしてやろうと考えて発明されたわけではなかったこと。むしろ、自分の実験に必要な道具としてPCRは発明過ぎなかった。事実、当時、自分はほとんど素人同然だった。もし自分がしようと思っていることについてもっといろいろな知識をもっていたら、それが邪魔になってPCRは決して発明されていなかっただろう。そう私は話した。
・子供の頃、私の母は、毎年11月になると通販のカタログ一式を私たち兄弟に見せて、その中からクリスマスのプレゼントを選びなさいと言った。ある年、私はその中から、ギルバート科学実験セットを選んだ。何やら不思議な名前の薬品が入ったチューブが並んでいるのに魅了されたのだった。・・・。科学実験セットを使ってなんとか最初に作り出したものは、火薬だった。
・シータス社で働きだしたのは、1979年のことだった。・・・。シータス社は私をオリゴヌクレオチド合成の専門家として雇い入れた。シータス社はとても働きやすい職場だった。務め出して2,3年は、私の人生で一番よく働いた時期だろう。
・研究室内でもっとも危険なことは、安全の女神(安全管理者も、この女性がなんとか私を手なずけるだろうと思ったようだった。ところが、逆に私が彼女を手なずけたのだった。彼女をディナーに招待し、そうこうするうち数か月後には、同性するようになった)」とねんごろになることだと思い知る時が来た。ある日の午後、見知らぬ男がドアを蹴飛ばして怒鳴り込んできた。あの子はオレの女だ。このおとしまえはどうつけるつもりだ、と。研究室内で身の危険を感じたのは、私の人生の中で後にも先にもこの時だけだった。
・鳥と霊長類だけがDNAの最終的な分解産物として尿酸を排泄しているのだ。猫や犬などの他の哺乳類はそうではない。尿酸を排泄するという点は、不思議なことに霊長類と鳥だけの共通点だ。霊長類のうちヒトだけが歌を歌うことができる。これも鳥との共通点だ。
・優秀な物理学者たちに、税金を使って行ってもらいたい重要な研究課題は、大きく分けて二つあると思う。一つは宇宙から地球へ落下してくる天体に関する対応策を考える研究である。・・・。
もう一つ真剣に行うべき課題は、地球外の文明との交信を試みる研究である。そのような文明はすでに危険回避の方法を知っていて、われわれに情報を与えてくれる可能性がある。
・家の洗濯機が故障すると、私はさっそく分解した。私がノーベル賞を受賞したとき、母は好んでこの話を記者にした。洗濯機を分解して二度と使いものにならなくした。
・そうだ。ここにいながら向かいの家の電灯を点けたり消したりする仕掛けを作ってやろう。科学手品だ。プラモデル屋で売っているラジコン自動車を入手した。これには小さなFM電波の受信装置が載っているのだ。これを使えば道を隔てて信号のやり取りができる。まず私の皮膚の抵抗の変化をFM受信装置に入力して信号を作り出す。これはFM電波となっては晋される。道を隔てた隣家に電波の受信装置を置く。・・・。この仕掛けは見事に働いた。近所の人々が次々と私のテレパシー実験を見にやって来た。・・・。看護学校の女の子たちもこれには驚いてくれた。
・PCRが野火のごとく世界中に広まっていくであろうと、私は確信していた。<ネイチャー>編集部の返事は「却下」だった。<ネイチャー>に次いで有名な科学雑誌<サイエンス>もこの発見を認めなかった。<サイエンス>はこう言ってきた。「貴殿の論文はわれわれの愛読者の要求水準に達しないので、別のもう少し審査基準の甘い雑誌に投稿されたし」と。この野郎、と私はうめいた。おれは金輪際、これらの雑誌に好意をもつことはない、と誓った。結局、レイ・ウー博士が編集している<酵素学方法論>誌が私の論文を掲載してくれることになった。彼はOCRの真価を理解してくれていた。この一件で私はまたもや教訓を学び、さらに大人になることになった。・・・。私たちは自分の頭で考えねばならないのだ。
・科学者たちは自分たちが世間とは無関係でないことを思い知った。実際、科学者は過去に一度も、象牙の塔にこもって理想をもてあそんでいるだけの高等難民であったためしはない。野心的な科学者が手段をもてば、原子爆弾を作り出し、神に対する人々への恐れを暴君アッチラに対する恐怖へと変えてしまうことができるのだ。
・今世紀が終わろうとしている現在、社会的に重要とされる問題のうち、それが本当かどうか、きちんとして実験的検証を経ているものは、実はほとんどないのである。・・・。エイズはヒト免疫不全ウイルスによって生じるという考え方、化石燃料を使用することが地球温暖化をもたらすという考え方、また、大気中に放出されたフレオンガスがオゾン層を破壊して穴を作り出すという説、これらの諸説は、日々スーパーマーケットで買い物をするときまでわれわれを追いまわすようになる。これら根拠のない幻想が、われわれの日常生活の隅々まで侵入してくる。
・人類ができることと言えば、現在こうして生きていられることを幸運と感じ、地球上で生起している数限りない事象を前にして謙虚たること、そ
ういった思いとともに缶ビールを空けることくらいである。リラックスしようではないか。地球上にいることをよしとしようではないか。最初は何事にも混乱があるだろう。でも、それゆえに何度も何度も学びなおす契機が訪れるのであり、自分にぴたりした生き方を見つけられるようになるのである。
感想;
今、新型コロナウイスるの検査、PCR検査が毎日のように報告されています。
このPCR法を確立したのがマリス博士です。
既存の知識の組み合わせだったのですが、誰もそれはできないと思っていたことを実現させたのです。
もちろん今のPCR法になるまでは、多くの人の改善などがあったそうです。
この本を読まれた方の中には、マリス博士が言っていることが今の社会で理解されていることを真逆のこともあり、違和感を持たれる方もいらっしゃると思います。
今の当たり前を当たり前と思わない発想がPCRを生み出したように思いました。