幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「眠れないほどおもしろい日本の仏さま」並木伸一郎著 ”上座部仏教(南伝仏教)と日本の仏教は大きく違っている”

2018-08-16 02:00:00 | 本の紹介
・日本の仏教
 ・真言宗(空海)18の宗派
 ・天台宗(最澄)3派
 ・浄土宗(法然)
 ・曹洞宗(道元)
 ・臨済宗(栄西)15派
 ・日蓮宗(日蓮)法華宗など数派、創価学会、霊友会、立正佼成会
 ・浄土真宗(親鸞)10派
 ・それ以外
  ・奈良仏教(律宗、華厳宗、法相宗など)
  ・伝統宗派(融通念仏宗、時宗、黄檗宗、本山修験宗など)
  ・1カ寺(浅草寺は聖観音宗、清水寺は北法相宗、法隆寺は聖徳宗など)

・細分化されている理由の一つは各宗派が信奉する経典の違い。

・ブッダとは「悟りを開いた人」と意味で、仏陀を略して「仏」

・仏教というのは、「仏陀に成る」こと。つまり「成仏」を目指す教えなので、「成仏陀教」といい、それを略して「仏教」というのである。

・上座部系のグループ(南伝仏教)と大乗系のグループ(北伝仏教)
 大乗仏教が残ったのは日本とチベットだけ

・煩悩にとらわれるから悩みや苦しみが生じるのであり、そうした心のあり方をていねいに論理的に解きほぐしていけば悟りにいたれるとブッダは説いたのである。

・仏教の修行「三学」
 ・戒学;戒律を知り、これを学ぶ
 ・定学;禅定(瞑想)の実践法を修めること
 ・慧学;智慧を身につけ、真実を見きわめること

・これらを修めるための仏典が3種ある「三蔵」
 ・律蔵;僧に必要な規則である。戒と律を説くもの
 ・経蔵;ブッダが説いたとされる言葉と教え いわゆる、お経
 ・論蔵;お経の注釈書や解説書。協議の論説
 この三蔵を全部修めた僧のことを、三蔵法師という。

・秘密仏教を略して「密教」という。大日如来という究極の仏が説いた秘密の教え。“今生きているこの身のままで”ブッダになることを目指す。

・修行 「三密」
 ・身密;身体の所作。両手で「印」を結ぶこと
 ・口密;口頭の所作。口で「真言」と唱えること
 ・意密;心の所作。瞑想によって「仏」を想起すること

・仏像
  如来 釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来、毘慮遮那仏、大日如来
     「いっさいを知る智慧に到達した者」

  菩薩 観音菩薩、地蔵菩薩、文殊菩薩、虚空蔵菩薩、弥勒菩薩
     「まだ悟りきっていない救済者。あともうちょっとで完全に悟って仏界に行ってしまうのだが、今はその直前で思いとどまって、この現世で人々を救済してくれているのが菩薩」

  明王 不動明王、軍茶利明王、愛染明王、孔雀明王、大元師明王
     「如来の化身 如来が怒りをもって教え示す姿が明王」

  天部 大黒天、弁財天、毘沙門天、広目天、聖天、帝釈天、阿修羅
     「インド神話に登場する神々 仏教の守護神となる誓いを立てた」

感想
日本の仏教は独自の発展を遂げたようです。
上座仏教の人からすると、日本の仏教は仏教でないと思うほど違っているようです。

どの経典を信奉するかによって宗派が違うようです。

「マーティン・ルーサー・キング 非暴力の闘士」黒﨑真著 ”夢の実現に命をかけて取り組む!”

2018-08-15 15:36:15 | 本の紹介
・われわれは愛という武器で闘う。

・キングは生まれながらにして非暴力の人ではなかった。もしキングが非暴力の人であったとするならば、それは、彼が人生の途上で非暴力の意味と意義を深く学び、それを自分の生き方にまで高めるべく努力しつづけたからに他ならない。

・マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、1929年1月15日の正午頃、ジョージア州の州都アトランタの「スィート・オーバン」の名で知られる黒人コミュニティに生まれた。キングはこの土地で、人生最初の19年間を過ごした。家庭環境、黒人教会、黒人コミュニティは、アメリカ南部の人種関係に強く影響されながら、彼の人格形成に決定的な影響を与えることになる。

・キングは、三世代にわたる牧師の家系に生まれた。

・南部の黒人教会は、そのルーツを奴隷制下の「見えざる教会」と呼ばれる秘密の礼拝集会にさかのぼる。説教では旧約聖書の「出エジプト物語」がよく引用された。自分たちの苦難と未来を「出エジプト物語」に重ねることで、黒人奴隷はいずれ到来するはずの解放と自由を疑似体験し、過酷な奴隷制を生き抜く霊的活力としたのである。

・自分が愛の神を容易に想像できるのは、「愛が常に中心にあり、愛情あふれる人間関係がいつも存在した家庭で育ったためである」と語っている。

・姉と一緒に五歳で洗礼を受けた。教会には友達もたくさんいて、日曜学校で一緒に遊んだ。会衆と共に歌い、祈り、説教を聴くことを繰り返すうち、黒人コミュニティの痛みや喜びは、キング自身のものとなっていった。

・1947年夏、4年生になるとき、キングは「社会に奉仕せよと促す内的衝動」を抑えきれなくなり、牧師職を決意したと両親に告げる。

・ボストン大学時代のいま一つ重要な出来事は、コレッタ・スコットとの結婚である。

・いずれ奴隷制を根絶するものと信じていた。問題は、その解放は「いつ」、そして「どのように」もたらされるのかであった。第一は、神の介入を待つという態度である。第二は、神の意志(福音)を積極的に伝えるため、公然たる行動に出るという態度である。

・「マーティン・ルーサーよ、大義のために立て、正義のために立て、見よ、私はお前と共にいる。世の終わりまで共にいる」。私は闘い抜けと呼びかけているイエスの御声をも聞いた。彼は私を決して一人にはしないと約束してくださった。

・抗議者が暴力に訴えたらどうなるか。敵に諸集団は自分たちを守るため一層強固に結束する可能性が高まる。対話の可能性も閉ざされる。敵の暴力は道徳的正当性を得やすくなり、第三者の支持を勝ち得るのも難しくなる。さらに、もし暴力に訴える場合、参加者は武器を扱える若い男性が中心となる。相手を殺傷する覚悟がいるtがめ、目的と手段をめぐり道徳的葛藤が生じやすく、参加者は限定される。ゆえに、大衆運動として成立しにくい。

・非暴力は大衆が参加できる。目的と手段をめぐる道徳的葛藤はより少ないからである。

・14歳の黒人少年エメット・ティルが惨殺体となってタラハシ川に捨てられているのを発見された。犯人の食品雑貨店の店主と義理の兄は、殺害動機をこう話した。黒人のガキが妻に、「バイ、ベイビー」と生意気な口をきいたうえ、「白人のガールフレンドがいる」と言ったからだ、と。白人女性と黒人男性の性的接触という「最大のタブー」を想起させる者は、たとえ少年であっても死に値するのである。ティル殺害は一般の白人による犯行であったこと、全員白人からなる陪審員が即座に犯人を無罪にしたことは、このようなリンチがKKK特有の暴力ではなく、また個人的な暴力でもなく、白人共同体による暴力であったことを物語っている。黒人に対する際限のない暴力を、南部の白人全体が容認していたのである。

・ジェームズ・ローソンのワークショップ
1)参加者が自尊心を獲得し、不正に抵抗しなければならないことを確信する段階である。
2)不正を正し和解を勝ち取る方法として非暴力の有効性を認識する。
3)実践する。

・キングが非暴力の6原理
1)非暴力は勇気ある人の生き方である。
2)非暴力は友情と理解を勝ち取ろうとする。
3)非暴力は人ではなく不正を打ち倒そうとする。
4)非暴力は自ら招かざる苦しみが教育し変容させると考える。
5)非暴力は憎悪の代わりに愛を選ぶ。
6)非暴力は宇宙が正義の側に味方すると信じる。

・フリーダム・ライド(黒人が制限されているバスの席に自由のための乗車運動)とシット・イン運動(店内の「白人専用」ランチカウンターに座ってコーヒーを注文する。当然ながら、注文のコーヒーは出てこない。支配人が無視し続けるなか閉店まで座り続ける)

・人種差別は社会問題であり、福音とは関係ないと沈黙し、結局のところ現状維持に加担してきた白人牧師と白人教会に対する嘆きを、キングはこう書く。
 「私は教会をキリストの体だと思っています。しかし、ああ、私たちは社会的問題の無視によって、また非順応者になることの恐れから、とんなにその体を汚し、傷つけてきたことでしょう」。しかし、この手紙が単なる糾弾と失望に終わらないよう、一部の例外的な南部白人の勇敢な行動も賞賛し、またアメリカの建国理念が自由である限り黒人の自由運動を押しとどめることはできない点を強調しつつ、失望を希望に結び付けて筆をおく。

・仕事と自由のためのワシントン行進
「今こそ自由を」「平等の権利を」「投票権を」「仕事を」「統合教育を」「警官の暴力停止を」「まともな住宅を」とプラカードに書かれていた。

・「私には夢がある」(1963年)マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2368/
私には夢がある。それは、いつの日か、この国が立ち上がり、「すべての人間は平等に作られているということは、自明の真実であると考える」というこの国の信条を、真の意味で実現させるという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。
私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。
今日、私には夢がある。
私には夢がある。それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。
今日、私には夢がある。
私には夢がある。それは、いつの日か、あらゆる谷が高められ、あらゆる丘と山は低められ、でこぼこした所は平らにならされ、曲がった道がまっすぐにされ、そして神の栄光が啓示され、生きとし生けるものがその栄光を共に見ることになるという夢である。
これがわれわれの希望である。この信念を抱いて、私は南部へ戻って行く。この信念があれば、われわれは、絶望の山から希望の石を切り出すことができ るだろう。この信念があれば、われわれは、この国の騒然たる不協和音を、兄弟愛の美しい交響曲に変えることができるだろう。この信念があれば、われわれ は、いつの日か自由になると信じて、共に働き、共に祈り、共に闘い、共に牢獄に入り、共に自由のために立ち上がることができるだろう。
まさにその日にこそ、すべての神の子たちが、新しい意味を込めて、こう歌うことができるだろう。「わが国、それはそなたのもの。うるわしき自由の地 よ。そなたのために、私は歌う。わが父祖たちの逝きし大地よ。巡礼者の誇れる大地よ。あらゆる山々から、自由の鐘を鳴り響かせよう。」
そして、米国が偉大な国家たらんとするならば、この歌が現実とならなければならない。だからこそ、ニューハンプシャーの美しい丘の上から自由の鐘を 鳴り響かせよう。ニューヨークの雄大な山々から、自由の鐘を鳴り響かせよう。ペンシルベニアのアレゲーニー山脈の高みから、自由の鐘を鳴り響かせよう。
コロラドの雪に覆われたロッキー山脈から、自由の鐘を鳴り響かせよう。カリフォルニアのなだらかで美しい山々から、自由の鐘を鳴り響かせよう。
だが、それだけではない。ジョージアのストーン・マウンテンからも、自由の鐘を鳴り響かせよう。
テネシーのルックアウト・マウンテンからも、自由の鐘を鳴り響かせよう。
ミシシッピのあらゆる丘と塚から、自由の鐘を鳴り響かせよう。そしてあらゆる山々から自由の鐘を鳴り響かせよう。
自由の鐘を鳴り響かせよう。これが実現する時、そして自由の鐘を鳴り響かせる時、すべての村やすべての集落、あらゆる州とあらゆる町から自由の鐘を 鳴り響かせる時、われわれは神の子すべてが、黒人も白人も、ユダヤ教徒もユダヤ教徒以外も、プロテスタントもカトリック教徒も、共に手をとり合って、なつ かしい黒人霊歌を歌うことのできる日の到来を早めることができるだろう。「ついに自由になった!ついに自由になった!全能の神に感謝する。われわれはつい に自由になったのだ!」

・国家権力による暴力、すなわちFBIによる脅迫である。FBIがキングの監視をを始めたのは1956年、本格化するのは1962年からである。

・キングを暗殺したレイ(強盗常習犯)は「自分ははめられた」と訴えた。犯行は金目当てであったという、それは金を出す者の存在を示唆するが、調査委員会は、「共謀者はレイの兄弟や報奨金を触れ回る集団に限られ、市州、連邦にまで至る政府機関はキング暗殺とは無関係」と結論づけた。

・キングは財産をほとんど遺さなかった。1965年まで老朽化した借家に住んだ。

・キングの死は、メンフィスの清掃労働者のストライキを後押しした。市内の白人牧師たちが沈黙を破って運動に加わり、市当局は清掃労働者の労働組合と最低賃金の引き上げを認めた。

・ジョンソン大統領は上院の公正住宅法案を下院が迅速に可決するよう要請し、1968年公民権法がジョンソン大統領の署名により成立した。

:「自由への大いなる歩み」「黒人はなぜ待てないか」「汝の敵を愛せよ」「良心のトランペット」キング著

感想
自由の権利、公平な社会を得るために、キング牧師を初め、多くの人の命をかけた努力があったことがわかりました。

キング牧師を殺害した黒幕は捕まっていません。

人々が知識を持ち、行動することが公正な社会を築くのでしょう。
それにしても、”詩織さんを準強かん”した山口氏が何も罪に問われない社会を認めてしまうのはとても怖い社会のように思います。

「いいかげんがいい」鎌田實著 ”水洗トイレで浮くウンコがよい/ウンコが安心してできる社会を”

2018-08-14 00:33:55 | 本の紹介
・お風呂の湯加減が“いいかげん”の意味での“いいかげん”で使っている。

・クオリティ・ライフ
 「生活の質」「人生の質」「魂の質」
 この三つのクオリティがバランスよく存在していると、「いのちの質」が高い。

・ロザンナがヒデが亡くなり、ずっと泣いていると、一番下の娘から言われた。
「ママ。いつまで泣いてても、パパが戻ってくるわけじゃないんだから。ほら、私はもう泣いてないでしょ」。9歳の小さな娘が、笑顔をつくって見せてくれた。それで完全にロザンナは目が覚めたという。8カ月で絶望の淵から脱出したのだ。住む家はあったが貯金はゼロ。三人の子どもは成長し、今ではノンニーナ(おばあちゃん)になった。三人のお孫さんがいる。「泣かない」ロザンナ著

・「がんばれ」は言われた方はまだがんばりが足らないのかと自分を責めてしまう。「がんばっているね」という言葉は、自分のことを認めてくれる言葉。うれしくなる言葉。魔法の言葉なんだ。

・「料理をすることは、人を信じて愛することです」辰巳芳子さん

・竹熊宣孝。医・食・農という視点からの病院づくり。佐久総合病院の故・若月俊一先生から「地域の顔役と酒を飲みなさい」とすすめられたが、竹熊は酒が飲めない。「じゃあ夢を語りなさい。語ったあと、助けてくださいと丁寧に頭を下げなさい」

・今、イラクの四つの小児病院のがん病棟に毎月400万円分の医薬品を送っている。多い月は5000万円を越すこともある。五回目の訪問だが、信頼関係が結ばれたのか、診察テントは人であふれ戦場のようだ。

・平和とは何かと質問され、「安心してウンコができること」ぼくは、そう答えた。アウシュビッツ強制収容所のトイレは、長い大きな打ちっぱなしのコンクリートに、数十人が一気にウンコができるよう穴だけが掘ってあった。寒々とした光景だった。隣の人と触れ合うほどの近さ。神経質な人は、ゆっくり排泄できなかったと思う。
水洗トイレにウンコが浮く。これが大事な目安。食物繊維がとれているかの目安。

・「死ぬための教養」嵐山光三郎著

・「トットちゃんとカマタ先生の、ずっとやくそく」対談集

感想
鎌田先生は頑張り屋さんだと思います。
その頑張りは、やらされている頑張りではなく、やりたいことの頑張りなのでしょう。
そしてその頑張りには、相手がいて、その相手のために喜びのためと目的がはっきりしているから続くのでしょう。
でも、頑張りすぎないことのようです。
エンジンも120%だと焼き切れてしまいますから。

「働き女子が輝くために28歳までに身につけたいこと」漆紫穂子著 ”学ぶ目的を持つ”

2018-08-13 08:14:08 | 本の紹介
・28歳までにたくさんの失敗を!
 6割でGO

・楽観的な人でも、うまくいくためには三つの条件が揃うことが必要
1)楽観的な心に「行動」が伴うこと
2)粘り強いこと
3)自分をコントロールできること

・スタンフォード大学などの社会心理学者たちが、「幸せな人生」と「意味ある人生」の違いに関して調査

 ・幸せな人生が「欲しい物を得ること」だとすると、意味ある人生は「自分を表現し、確認していくこと」になる。さらに、人生と社会のより大きな文脈で、自分の価値と目的につながっている。

 ・欲望を満たすことは幸せの源泉であるが、人生に意味があるかどうかにはまったく関係がない。たとえば、健康な人々は病気の人より幸せだが、病気の人々の人生が意味を欠いているわけではない。

 ・家族のような深いつながりは、人生の意味を深める。友だちとの責任を負わない時間は、単純に良い気分を育むなど幸せを高める可能性があるが、意味へのかかわりは少ない。

 ・意味ある人生は、多くのネガティブな出来事や問題と遭遇し、結果として幸せでないこともある。仕事のプレッシャーがないなどストレスがないことは、人を幸せにするが、人生の意味を低下させる。

 ・幸せだが意味を感じられない人生は、相対的に浅く、時に利己的で、物事はうまく運び、欲望は容易に満足され、困難や面倒なことは避けられている。

 ・意味ある人生は、取るべき行動を過去から未来に導き、人生の進むべき方向を指し示してくれる。
 幸せな人生とは「現在」にかかわるもので、この瞬間が楽しいということが大きく作用する。一方、意味ある人生は現在以外にも、「過去」にしてきたことや、「未来」のことにかかわるもの。そのため、必ずしも今の幸せを感じられず、苦しみも多くなるというのです。JTBIコミュニケーソンデザイン ワーク・モチベーション研究所長の菊入みゆきさんの訳

・後悔のない決断はない。

・グローバル社会で必要な三つのこと
1)自分は何者なのかというアイデンティティ
2)相手の意見を「聴く力」
3)相手の気持ちに寄り添う「共感力」

・共感できるポイントを見つけるために
1)つながりをつくること
2)相手の自立性を尊重すること

・近江商人
 「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」の「三方よし」

・小さな仕事に手を抜く人は、大きな仕事を任せてもらえません。コピー一つ取るのにも、どうしたら見やすいか、使う人の立場を考えることが必要なのです。お茶くみやコピー取りがきちんとできない人に、大事な仕事は回ってきません。

・批判を恐れて何もしないより、最善を尽くそう。そのうえで、至らないことへの批判は謙虚に受け入れよう。

・人が動かない4つの理由
1)情報を知らない
2)面倒くさい(目的を知る)
3)責任を取りたくない
4)その人(提案者)が嫌い

・歳をとるにつて、できないことが増えていく。しかし、それだけではなく、できることもまた増えていく。

・休息も仕事の一つと割り切って

・           コントロールできる
     手があいたときに動く ↓ 自分で動いてみる  
自分への影響(小) ← ← ←   ↓  ← ← ←   自分への影響(大)
     こだわらない     ↓ 人の力を借りる
            自分でコントロールできない  

・草月流いけばな作家 州村衛香
 「活けているときは目の前の細かいところばかりに目が行くもの。近くばかりを見ていると全体像がぼんやりし、テーマを見失ってしまう。時折り離れて全体を見ることが大切」

感想;
著者は品川女子学院を復活させたとのことで話題になりました。
いずれつぶれる女子校の下らから2番目だったのが、今は人気の女子校になっているそうです。
子どもたちに夢を持たせて、学ぶ目的を自ら見つけることをされているように思います。
人生の先輩を定期的に招いて、学生に自分がモデルにしたい様々な職業の方にお話していただく機会を積極的に持たれています。

自分の人生、どうするか。
まさに若い時にそれを考えるきっかけを与える教育をされているのでしょう。

今からだと遅いか?
今が一番若いのですから、今ここでどうするか、そしてそのための行動を一歩起こすことなのでしょう。

阿川佐和子さん「サワコの朝 布施明さん」 ”不安と対峙しながら、突き詰めていく”

2018-08-11 08:11:11 | 生き方/考え方
歌手の布施明さん、先輩に厳しい人が多くて、マイクが顔の近くだとお客さんに顔が見えないだろうと言われた。バラよりも美しい方。顔よりも声。
口下手だから。サワコさんのように次から次へと質問ができるので。初めてインタビューした時、スタッフから「布施さんが良いですよ!」と言われた。当時二人は独身だった。今は違うが。
70歳でも圧倒的な歌唱力。17歳でデビュー。5枚目の摩周湖が大ヒット。
積み木の部屋など大ヒットを次々と。最大のヒット「シクラメンのかほり」小椋佳作詞作曲。ちょっとフォークぽくて数年前の感じで、ヒットしないと思った。

1曲目「九ちゃんのズンタタッタ」 中学一年の時に父が事業に失敗して引っ越しした。その時、初めて見たプロ歌手が坂本九さん。すごい仕事だなと思った。当時、坂本九さんに仲良くしていただいた。一度だけ仕事に行けなかった。食中毒で行けなかった。その時、坂本九さんが代わりに行ってくれた。当時は新人だったので、主催者はエビで鯛を釣ったような感じだったかと。

先輩がラテンが好きでグループを作っていた。その仲間が病気になり、代役として参加した。ギターできるか? できる。持っているか? 持っている。嘘を言った。駅前の楽器店でギターが飾ってあったので、店に人に人に言ったら、くれた。しかし、ギターができなかったことがばれた。そのグループは一週間後に発表会に出る予定でコーラスをやったら、とても面白く、たった三人でこんな素晴らしいことができるのかと実感した。歌に目覚めたきっかけだった。大きな声は出ていた。

歌手生活がこんなに長くできるとは思えなかった。20代に入って思うようにヒットが出なかった。事務所やファンのおかげでそれなりには売れるけど。譜面が読めない。ミュージシャンにここどうする?と言われても、ここをがーとお願いしますとか言えなかった。ミュージシャンは分かっていないことが分かった。そこで勉強のため一年休ませてくださいと事務局に言った。休む前に出た曲が2曲もらった。最初もらった曲は「さみしいとき」ですごくよかった。もう一曲欲しいとのことで貰ったのが「シクラメンのかほり」。小椋佳さんがニューヨークに行く前だった。
27歳の時に「シクラメンのかほり」。まさかの大ヒット。今聞くとギターのチューニングが酷い。投げやり的な歌い方。それが哀愁を感じさせた(サワコ)。レコード大賞を貰って、やっと終わったと思った。その時サワコさんに逢ってなくて良かった。叩かれていた。

カネボウ化粧品のCM曲「君は薔薇より美しい」。ギターを持つことはあこがれだった。この時はエレキギター。シクラメンのかほりの時はアコーディックギター。ちゃんと勉強しないといけないと思った曲だった。

オリビアハッセーさんと結婚。結婚を機会に勉強した。発生が間違っていた。テノールじゃないと言われた。
いなくなるとまた急に復活する布施さん。極めるほど歌が難しい。悔しがり屋で勉強して取り入れた。全部中途半端。音楽は続けることは不安。悔しがって若い人が前を行くのを、「待ってくれ!」と付いていきたい。アルバム「WALK」を出した。録音した翌日に聞くと、こう歌えば良いと反省する。しかし、ある歌の2小節がとてもうまくできていた。53年やってきて、今後の道しるべになりそうに感じた。これを目指していけば良いかなと思った。

2曲目は植木等さんの「だまって俺について来い」。初めて挨拶に行った時に歌を録音されていた。こういう人になれれば良いなと思った。光っていた。

妻は森川由香里さん。皆さん歌手は歌が好きだと思っておられる。突き詰めていかないといけない。辛い。止めたら寂しくなる。

感想
大ヒット曲をだした歌手でもいろいろと悩みがありました。
そしてやはり勉強をされ続けて来られたのでしょう。
悩みながら、辛さと対峙しながら、追究されて来られたのでしょう。