『ロドイシヌママナヤワイデコ』
『ミロミケケシウシニギゴハン』
バラバラになった言葉。
これを配列しなおして意味がある様にすると、こうなる。
『シロヤマデナイイヌハドコ(城山でない犬はどこ)』
『ウシロミグハシミギニケン(うしろ右端、右二間)』
明治の新聞「万朝報」が出した懸賞クイズだ。
『城山でない犬』とは上野の西郷隆盛の銅像。その『うしろ右端、右二間』の所に懸賞金500円(当時、ちょっとした家が建つ金額)と交換する木札が埋めてある。
このクイズを作者・山田風太郎はこう例える。
「バベルの塔」。
理由はバラバラになった言葉を意味のある言葉の繋がりに組み立てる作業が、「バベルの塔の残骸から塔を組み立てる」作業と同じだから。
そして作品のタイトルが『明治バベルの塔』。
このネーミング。
おっおっおっおっと目を引く。
このセンス。山田風太郎はおしゃれだ。
万朝報や黒岩涙香、幸徳秋水、内村鑑三、田中正造らを素材としたこともおしゃれだ。
物語はこの言葉の羅列が組み立て方次第では別の意味を持って来ることから発展していく。
例えば『カメガネルウラデイコウチ』。
これは『ウチカライデルウメコガネ』(うちから出でる埋黄金)とも読めるし、『ウチカラメガネデルイコウ』(うちから眼鏡で涙香)とも読める。
それが新聞を商売の道具としてしか考えていない俗物の黒岩涙香を弾劾するという物語に繋がっていくのだが、単なる言葉遊びからここまで物語・ドラマを作り上げていくというのが見事。
また、それにも増して面白いのが作品の中で使われている言葉。
「豪奢」「乱脈」「結託」「憤激」「獣欲」「驕慢」……。
この辺の言葉は今でも使われる言葉だろうが、次の様な言葉だとさらに新鮮さを覚える。
「雲霧をへだてた現象」(事実がわからない不透明な現象の意)、「獣欲獣行、紳士の名を冒せる怪物」「妾を蓄える」「公憤」「連珠・撞球」「明治の義人」「筆誅」……。
使われている文語体の文章もいい。
「およそ新聞紙として、わが万朝報のごとく批評さるるものは稀なり。而してその批評の多くは悪評なり。いわく毒筆、いわく脅迫、いわく某々機関。もし万朝報を悪徳の新聞とせば、万朝報は以後もかくのごとき悪徳をつらぬきてやまざるべし。万朝報は戦わんがために生まれたり。万朝報は何のために戦わんと欲するか。吾人みずからあえて義のためというがごとき崇高の資格あるにあらず。しかれども断じて利のためにはあらざるなり。……略……我が手に斧鉞(ふえつ)あり。わが眼に王侯なし。いわんや大臣においてをや」
足尾銅山の件で田中正造が直訴した文章(幸徳秋水が代筆したもの)も。
「草もうの微臣田中正造、誠恐誠惶頓首々々謹んで奏す。伏して惟(おもん)みるに、臣、田間の匹夫、あえて規(のり)をこえ法を犯して鳳駕に進前するは、その罪に万死に当たれり。……略……臣年六十一、而して老病日に迫る。念(おも)うに余命いくばくもなし。情切に事急にして涕泣いうところを知らず。伏して望むらくは、聖明衿察をたまわらんことを、臣痛絶呼の至りに任(た)ゆるなし」
それぞれの言葉、文章、趣や力がある。
まるで山田風太郎はこれら言葉や文章を描きたいがために、この作品を書いたかにみえる。
文語の言葉に目をつけた点も山田風太郎はおしゃれだ。
また現代の作家はこうした味わい深い言葉をどんどん使い、埋もれさせない様な努力をしてほしい。
★追記
風太郎節もある。
この作品「明治バベルの塔」を読んでいる読者への呼びかけだ。
「その当たった問題を次にあげる。今の読者の中で物好きな方があれば、左の問題よりあとの部分を伏せて、ひとつ解いてみられるのも一興であろう」
大上段に構えていい放つ表現も。
「それこそは、黒岩涙香最大の暗部なのであった」
★追記
商売人・涙香を弾劾する幸徳秋水は内村鑑三にこう評されていたそうだ。
「羽織を着たアイクチ」
こういうニックネームをつけることも人物を描く上で効果的だ。
『ミロミケケシウシニギゴハン』
バラバラになった言葉。
これを配列しなおして意味がある様にすると、こうなる。
『シロヤマデナイイヌハドコ(城山でない犬はどこ)』
『ウシロミグハシミギニケン(うしろ右端、右二間)』
明治の新聞「万朝報」が出した懸賞クイズだ。
『城山でない犬』とは上野の西郷隆盛の銅像。その『うしろ右端、右二間』の所に懸賞金500円(当時、ちょっとした家が建つ金額)と交換する木札が埋めてある。
このクイズを作者・山田風太郎はこう例える。
「バベルの塔」。
理由はバラバラになった言葉を意味のある言葉の繋がりに組み立てる作業が、「バベルの塔の残骸から塔を組み立てる」作業と同じだから。
そして作品のタイトルが『明治バベルの塔』。
このネーミング。
おっおっおっおっと目を引く。
このセンス。山田風太郎はおしゃれだ。
万朝報や黒岩涙香、幸徳秋水、内村鑑三、田中正造らを素材としたこともおしゃれだ。
物語はこの言葉の羅列が組み立て方次第では別の意味を持って来ることから発展していく。
例えば『カメガネルウラデイコウチ』。
これは『ウチカライデルウメコガネ』(うちから出でる埋黄金)とも読めるし、『ウチカラメガネデルイコウ』(うちから眼鏡で涙香)とも読める。
それが新聞を商売の道具としてしか考えていない俗物の黒岩涙香を弾劾するという物語に繋がっていくのだが、単なる言葉遊びからここまで物語・ドラマを作り上げていくというのが見事。
また、それにも増して面白いのが作品の中で使われている言葉。
「豪奢」「乱脈」「結託」「憤激」「獣欲」「驕慢」……。
この辺の言葉は今でも使われる言葉だろうが、次の様な言葉だとさらに新鮮さを覚える。
「雲霧をへだてた現象」(事実がわからない不透明な現象の意)、「獣欲獣行、紳士の名を冒せる怪物」「妾を蓄える」「公憤」「連珠・撞球」「明治の義人」「筆誅」……。
使われている文語体の文章もいい。
「およそ新聞紙として、わが万朝報のごとく批評さるるものは稀なり。而してその批評の多くは悪評なり。いわく毒筆、いわく脅迫、いわく某々機関。もし万朝報を悪徳の新聞とせば、万朝報は以後もかくのごとき悪徳をつらぬきてやまざるべし。万朝報は戦わんがために生まれたり。万朝報は何のために戦わんと欲するか。吾人みずからあえて義のためというがごとき崇高の資格あるにあらず。しかれども断じて利のためにはあらざるなり。……略……我が手に斧鉞(ふえつ)あり。わが眼に王侯なし。いわんや大臣においてをや」
足尾銅山の件で田中正造が直訴した文章(幸徳秋水が代筆したもの)も。
「草もうの微臣田中正造、誠恐誠惶頓首々々謹んで奏す。伏して惟(おもん)みるに、臣、田間の匹夫、あえて規(のり)をこえ法を犯して鳳駕に進前するは、その罪に万死に当たれり。……略……臣年六十一、而して老病日に迫る。念(おも)うに余命いくばくもなし。情切に事急にして涕泣いうところを知らず。伏して望むらくは、聖明衿察をたまわらんことを、臣痛絶呼の至りに任(た)ゆるなし」
それぞれの言葉、文章、趣や力がある。
まるで山田風太郎はこれら言葉や文章を描きたいがために、この作品を書いたかにみえる。
文語の言葉に目をつけた点も山田風太郎はおしゃれだ。
また現代の作家はこうした味わい深い言葉をどんどん使い、埋もれさせない様な努力をしてほしい。
★追記
風太郎節もある。
この作品「明治バベルの塔」を読んでいる読者への呼びかけだ。
「その当たった問題を次にあげる。今の読者の中で物好きな方があれば、左の問題よりあとの部分を伏せて、ひとつ解いてみられるのも一興であろう」
大上段に構えていい放つ表現も。
「それこそは、黒岩涙香最大の暗部なのであった」
★追記
商売人・涙香を弾劾する幸徳秋水は内村鑑三にこう評されていたそうだ。
「羽織を着たアイクチ」
こういうニックネームをつけることも人物を描く上で効果的だ。