波風を立てない<事なかれ主義>って退屈だ。
自分が間違っていると思うことは徹底してこだわって、戦ってみるといい。
おかげで真鍋(佐野史郎)や土手山(北村一輝)、南三条(松坂桃李)たちは、ほふく前進や逮捕当日の服装のこと、捕まえた鴨光社長(でんでん)をどう車に乗せるかなど、イキイキと過ごすことが出来た。
家族や娘に「退屈だ」と言われず、楽しく話せる武勇伝も出来ただろう。
この作品や『半沢直樹』など、現在は<自己主張する時代>に入ったのかもしれない。
大きな力に泣き寝入りせず、個人が声をあげる時代。
そして臨検や行政指導、逮捕までの力を持つ国家公務員(この作品の場合は労働基準監督官)は、事なかれ主義に陥らず、どんどん職務に与えられた権利を行使すべき。
もっともこの権利の行使には危うさもある。
主人公・段田凛(竹内結子)のように正義が暴走してしまう危険。
なぜなら段田凛が行使する法律は絶対ではないからだ。
土手山が言うとおり「法律は法律でも現実は現実だ! お前が張り切れば張り切るほど傷つく人だっているんだよ!」という現実がある。
法律を厳格に行使してしまったがゆえに不幸になる人も出てくる。
たとえば、今回鴨光社長が逮捕されたけど、会社の経営は大丈夫なのかな? 潰れてしまったら従業員はどうなるんだろうとか? 西川修(渡辺いっけい)は最後に手を上げたけど大丈夫か? など。
この点、次週から裏番組になる『リーガルハイ』は大人だ。
主人公・古美門研介は「法律は依頼人のためにある」として、時には黒いものを白にする。
正義なんかは信じておらず、<自分の利益>と<現実的な落とし所>を見つけて、戦っていく。
古美門研介と段田凛のどちらが好きかと言えば、古美門先生かな。
段田凛には、『リーガルハイ』のガッキーが演じる黛 真知子に通じるものがある。
この作品が描く<事なかれ主義の否定>には賛成だが、段田凛のロボットのような<正義の暴走>には違和感を感じる。
もっともこの違和感が、今後のこの作品のテーマになっていくのでしょうが。
自分が間違っていると思うことは徹底してこだわって、戦ってみるといい。
おかげで真鍋(佐野史郎)や土手山(北村一輝)、南三条(松坂桃李)たちは、ほふく前進や逮捕当日の服装のこと、捕まえた鴨光社長(でんでん)をどう車に乗せるかなど、イキイキと過ごすことが出来た。
家族や娘に「退屈だ」と言われず、楽しく話せる武勇伝も出来ただろう。
この作品や『半沢直樹』など、現在は<自己主張する時代>に入ったのかもしれない。
大きな力に泣き寝入りせず、個人が声をあげる時代。
そして臨検や行政指導、逮捕までの力を持つ国家公務員(この作品の場合は労働基準監督官)は、事なかれ主義に陥らず、どんどん職務に与えられた権利を行使すべき。
もっともこの権利の行使には危うさもある。
主人公・段田凛(竹内結子)のように正義が暴走してしまう危険。
なぜなら段田凛が行使する法律は絶対ではないからだ。
土手山が言うとおり「法律は法律でも現実は現実だ! お前が張り切れば張り切るほど傷つく人だっているんだよ!」という現実がある。
法律を厳格に行使してしまったがゆえに不幸になる人も出てくる。
たとえば、今回鴨光社長が逮捕されたけど、会社の経営は大丈夫なのかな? 潰れてしまったら従業員はどうなるんだろうとか? 西川修(渡辺いっけい)は最後に手を上げたけど大丈夫か? など。
この点、次週から裏番組になる『リーガルハイ』は大人だ。
主人公・古美門研介は「法律は依頼人のためにある」として、時には黒いものを白にする。
正義なんかは信じておらず、<自分の利益>と<現実的な落とし所>を見つけて、戦っていく。
古美門研介と段田凛のどちらが好きかと言えば、古美門先生かな。
段田凛には、『リーガルハイ』のガッキーが演じる黛 真知子に通じるものがある。
この作品が描く<事なかれ主義の否定>には賛成だが、段田凛のロボットのような<正義の暴走>には違和感を感じる。
もっともこの違和感が、今後のこの作品のテーマになっていくのでしょうが。