平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

八重の桜 第43回「鹿鳴館の華」~好意なんてとんでもねえ!!

2013年10月28日 | 大河ドラマ・時代劇
 腕相撲勝負を終えて大山(反町隆史)は言う。
「いくさは終わったどん」
 これに応えて山川(玉山鉄二)。
「この屋根の下では兄上と呼んでもらおうか」
 これで戊辰戦争以来の会津、薩摩の確執は終了したんですね。
 山川の言葉は、終了を受け入れつつも、会津人として見せた最後の矜持。
 以後、彼らは会津人も薩摩人もなく、憎しみも捨てて、同じ日本人として歴史の中を生きていくのだろう。

 八重(綾瀬はるか)が語った襄(オダギリジョー)と結婚した理由は次のようなもの。
「しっかり言ってくれたから、共に歩いていこうと。同じ時を生きてみてえと思った。そしたら、いつのまにか襄の夢が私の夢になった」
 どこか、いきものがかりの歌詞のような気もするが、ドラマとしては正しい。
 先程の会津と薩摩の確執の終了もそうだが、ドラマはどんなに悲惨な出来事を描いても、最後は理想を語らなくてはならぬ。

 そして「襄の夢が私の夢になった」は捨松(水原希子)にとっても同じ。
 大山が
「不平等条約の改正は日本政府の悲願。そいには日本が文明国だと列強に認めさす必要がある。捨松さんは、西洋の流儀を身につけられ才媛としてアメリカでも名高か。ゆえに我が妻に最適……」
 と<外交の道具>として使うと発言したのに対し、捨松は
「日本のために働けるなら、喜んで大山のアクセサリーになります」と語る。
 捨松の夢は、外交の舞台で活躍することであり、大山の夢と一致していたんでしょうね。
 大山と結婚することが自分の夢をかなえる手段であると考えた。
 また、大山が「おはんは外国人などではありもはん。誇り高か会津んおなごでごわす」と言ったのも捨松の心を打ったはず。
 捨松の中には<国際人>と<会津人>が同居しており、大山は捨松の<会津人>の部分を見事にくすぐった。
 いずれにしても、捨松の凛とした気丈さは、なかなかの<素敵女子>!
 逆に捨松のような女性を扱えるのは、大山のような男しかいなかったのだろう。

 最後に八重と山川の再会。
 覚馬(西島秀俊)と山川の再会。
 会津時代や京都時代がよみがえる。
 尚之助(長谷川博己)の『會津戦記』も。
 新時代の中で活躍している八重、覚馬、山川だが、やはり彼らは歳を取り、過去を懐旧している。
 未来しか見えていない、若い捨松とは対照的だ。

コメント (4)
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