映画やアニメにもなった大人気コミック「ちはやふる」の作者・末次由紀さんが共謀罪について言及。
「共謀罪には反対です。
こんなに権力が信用できず気持ち悪いと思ったのはこれまでで一番です。
私たち、バカにされすぎではないか」
この発言に対して、
「末次先生、思いを表明してくださりありがとうございます」
「ツイートしてくださって、思っていることを言ってくださって、ありがとうございます。勇気がわきました。ほんとうにありがとうございます(;_;)」
という反応がある一方、次のような反応も。
「先生の作品をずっと応援してきた者として、とても残念に思います。ですが、もし今からでもテロ等準備罪(通称共謀罪)の審議が、国会で実際にはどのような形で行われてきたか、アーカイブをノーカットでご覧いただければ、先生がお持ちの印象も大きく変わるのではないかという希望も持っております。」
「残念な発言です。
ちはやふるの聖地近江神宮がテロの標的にされたり、昨今お寺や神社などへの被害が出ているように、近江神宮がそんな被害にあわれても同じようなことが言えるでしょうか?
言いたいことも言えない世の中なんて願い下げですが、法案が成立したからこそ考えることもあると思います」
「有名な漫画家さんにはあまり政治的な主張はして欲しくないです。純粋に作品が楽しめなくなります。
そもそもテロ等準備罪は殆どの国でそれに準ずるものがあります。日本のテロ等準備罪に文句言ってくる韓国ですら有るんですから。」
…………………
これらの反論には違和感がある。
違和感については後で書くとして、今回のメインテーマにしたいのは最後の方の次の発言だ。
「有名な漫画家さんにはあまり政治的な主張はして欲しくないです。」
こうした発言は、映画雑誌『キネマ旬報』が共謀罪特集をやったことやアーティストが政治的な発言をした時に寄せられる反応にも見られる。
たとえば、キネマ旬報に対しては、
「頼むからキネマ旬報社は映画の話だけしててください」
コミックや映画や音楽って何だろう?
現実逃避の道具?
そういう面もあるかもしれない。
だが、それだけでは、きっと、ふにゃふにゃな作品だ。
作品は多かれ少なかれ、その時の社会を反映している。
作家は現実に対する違和感や不安、怒りを感じるから作品を描くのであって、それがなければ作家ではない。
それにコミック、映画、音楽が全部、『安倍さん、すごい!』『安倍首相、がんばって下さい!』『安保法制通過、うれしいです!』になっていいのか?
これこそ北朝鮮ではないか?
コミケとかで販売される同人誌だって、「著作権法違反」「公序良俗に反する」「売り上げがテロの準備に使われている」などといった理由で調べられたり、規制されたりするよ。
エンタテインメントは<権力を批判するもの><淫猥なもの><反社会的なもの>など、さまざまなものがあるから面白いのだ。
表現の自由があるから作家は自分の内面をあらわにして作品を描ける。
「有名な漫画家さんにはあまり政治的な主張はして欲しくないです。」
「頼むからキネマ旬報社は映画の話だけしててください」
などと言っているうちに、その自由はどんどん失われていく。
※参照サイト
「ちはやぶる」の作者・末次由紀さんが共謀罪法案に反対表明。「私たちバカにされすぎではないか」(情報速報ドットコム)
※追記
僕が感じた違和感については、以下のとおり。
★「国会で実際にはどのような形で行われてきたか、アーカイブをノーカットでご覧いただければ、先生がお持ちの印象も大きく変わるのではないかという希望も持っております。」
国会審議のアーカイブを見たら普通は反対するんだけどな~。
何しろ金田法務大臣はまともに答弁していないのだから。
〝組織的犯罪集団〟など、すべての言葉の定義が曖昧。
いくらでも恣意的に運用できる。
★「言いたいことも言えない世の中なんて願い下げですが、法案が成立したからこそ考えることもあると思います」
この方は、「言いたいことが言えない世の中」になることがわかってる。
なのに、この発言。
それにお寺や神社の犯人は捕まっている。
今後は頻発しないだろう。
それよりも、すべての市民が監視の対象にされることで、失うものの方が多すぎる。
★「そもそもテロ等準備罪は殆どの国でそれに準ずるものがあります。日本のテロ等準備罪に文句言ってくる韓国ですら有るんですから。」
先にも書いたとおり、日本のテロ等準備罪はすべての言葉の定義が曖昧。
歯止めが明確でない。
そこが危ないのだ。
※追記
早速、こんな動き。
漫画や映画などの暴力/性描写の規制強化を推進する「青少年健全育成基本法案」の制定を求める請願が国会に提出された。提出者は金子恭之議員(自民)。
「共謀罪には反対です。
こんなに権力が信用できず気持ち悪いと思ったのはこれまでで一番です。
私たち、バカにされすぎではないか」
この発言に対して、
「末次先生、思いを表明してくださりありがとうございます」
「ツイートしてくださって、思っていることを言ってくださって、ありがとうございます。勇気がわきました。ほんとうにありがとうございます(;_;)」
という反応がある一方、次のような反応も。
「先生の作品をずっと応援してきた者として、とても残念に思います。ですが、もし今からでもテロ等準備罪(通称共謀罪)の審議が、国会で実際にはどのような形で行われてきたか、アーカイブをノーカットでご覧いただければ、先生がお持ちの印象も大きく変わるのではないかという希望も持っております。」
「残念な発言です。
ちはやふるの聖地近江神宮がテロの標的にされたり、昨今お寺や神社などへの被害が出ているように、近江神宮がそんな被害にあわれても同じようなことが言えるでしょうか?
言いたいことも言えない世の中なんて願い下げですが、法案が成立したからこそ考えることもあると思います」
「有名な漫画家さんにはあまり政治的な主張はして欲しくないです。純粋に作品が楽しめなくなります。
そもそもテロ等準備罪は殆どの国でそれに準ずるものがあります。日本のテロ等準備罪に文句言ってくる韓国ですら有るんですから。」
…………………
これらの反論には違和感がある。
違和感については後で書くとして、今回のメインテーマにしたいのは最後の方の次の発言だ。
「有名な漫画家さんにはあまり政治的な主張はして欲しくないです。」
こうした発言は、映画雑誌『キネマ旬報』が共謀罪特集をやったことやアーティストが政治的な発言をした時に寄せられる反応にも見られる。
たとえば、キネマ旬報に対しては、
「頼むからキネマ旬報社は映画の話だけしててください」
コミックや映画や音楽って何だろう?
現実逃避の道具?
そういう面もあるかもしれない。
だが、それだけでは、きっと、ふにゃふにゃな作品だ。
作品は多かれ少なかれ、その時の社会を反映している。
作家は現実に対する違和感や不安、怒りを感じるから作品を描くのであって、それがなければ作家ではない。
それにコミック、映画、音楽が全部、『安倍さん、すごい!』『安倍首相、がんばって下さい!』『安保法制通過、うれしいです!』になっていいのか?
これこそ北朝鮮ではないか?
コミケとかで販売される同人誌だって、「著作権法違反」「公序良俗に反する」「売り上げがテロの準備に使われている」などといった理由で調べられたり、規制されたりするよ。
エンタテインメントは<権力を批判するもの><淫猥なもの><反社会的なもの>など、さまざまなものがあるから面白いのだ。
表現の自由があるから作家は自分の内面をあらわにして作品を描ける。
「有名な漫画家さんにはあまり政治的な主張はして欲しくないです。」
「頼むからキネマ旬報社は映画の話だけしててください」
などと言っているうちに、その自由はどんどん失われていく。
※参照サイト
「ちはやぶる」の作者・末次由紀さんが共謀罪法案に反対表明。「私たちバカにされすぎではないか」(情報速報ドットコム)
※追記
僕が感じた違和感については、以下のとおり。
★「国会で実際にはどのような形で行われてきたか、アーカイブをノーカットでご覧いただければ、先生がお持ちの印象も大きく変わるのではないかという希望も持っております。」
国会審議のアーカイブを見たら普通は反対するんだけどな~。
何しろ金田法務大臣はまともに答弁していないのだから。
〝組織的犯罪集団〟など、すべての言葉の定義が曖昧。
いくらでも恣意的に運用できる。
★「言いたいことも言えない世の中なんて願い下げですが、法案が成立したからこそ考えることもあると思います」
この方は、「言いたいことが言えない世の中」になることがわかってる。
なのに、この発言。
それにお寺や神社の犯人は捕まっている。
今後は頻発しないだろう。
それよりも、すべての市民が監視の対象にされることで、失うものの方が多すぎる。
★「そもそもテロ等準備罪は殆どの国でそれに準ずるものがあります。日本のテロ等準備罪に文句言ってくる韓国ですら有るんですから。」
先にも書いたとおり、日本のテロ等準備罪はすべての言葉の定義が曖昧。
歯止めが明確でない。
そこが危ないのだ。
※追記
早速、こんな動き。
漫画や映画などの暴力/性描写の規制強化を推進する「青少年健全育成基本法案」の制定を求める請願が国会に提出された。提出者は金子恭之議員(自民)。