うめざわしゅんの登場人物たちは皆、生きづらさを抱えていて窒息しそうになっている。
『パンティストッキングのような空の下』の主人公・三上も次のようにぼやく。
「おっかしいな。
普通の欲望と小さな希望と謙虚な心で、それだけ忘れないで生きてれば、平凡で幸福な人生が待ってるはずだったんだけどな」
三上は息苦しさについて、こんな考察もする。
「イベント全体主義だな。
やつは色んな形で、俺たちを支配しようとしてくる。
たとえば、自由だとか、癒やしだとか、自分らしさだとか、平等とか、障害は個性だとか、人権だとか、若者には無限の可能性があるだとか、芸能人で言うと誰に似てるだとか、先行きの見えない不況が原因だとか、平和で明るい差別のない社会だとか、そーゆうのに逆らったらつまはじきにされるんだな。
そーか、幸福な人生に必要なのは服従だ」
自由、平等、人権、若者の無限の可能性、癒やし、自分らしさ……。
三上は何も信じていない。
実際、現実を見てみれば、〝自由〟〝平等〟なんてウソだし、若者は閉塞感でいっぱいだし、〝癒やし〟や〝自分らしさ〟なんてマスコミが金儲けのためにつくりだした虚妄だし、〝障害は個性〟とか〝差別のない社会〟なんて偽善だし。
それどころか、これらはテレビや学校など、さまざまな形で圧迫してくる。
たとえば、
「差別のない社会をつくりましょう」
「人間は自由で平等なんです」
「若者には無限の可能性がある。だからがんばれ!」
「自分らしさを演出するコーディネイト」
「癒やしグッズ」
「癒やしスポット」
大きなお世話だ。
放っておいてくれ。
でも、そんなことを言うと、やつらはたちまち「悔い改めよ」と牙をむいてくる。
そんな三上の唯一のリアルは〝セックス〟だが、これもパンティストッキングが立ちはだかるようになかなかたどり着けない。
どうしようもない絶望ですね。
まあ、世の中の虚妄をすべて剥ぎ取っていけば、残るのはこうした現実なのかもしれないけど。
だから三上は空を見上げてこう思う。
「テポドンでも何でも落ちてくりゃいいんだ」
もしかしたら現代人はテポドンが落ちて来るのを望んでいるのかもしれない。
『パンティストッキングのような空の下』の主人公・三上も次のようにぼやく。
「おっかしいな。
普通の欲望と小さな希望と謙虚な心で、それだけ忘れないで生きてれば、平凡で幸福な人生が待ってるはずだったんだけどな」
三上は息苦しさについて、こんな考察もする。
「イベント全体主義だな。
やつは色んな形で、俺たちを支配しようとしてくる。
たとえば、自由だとか、癒やしだとか、自分らしさだとか、平等とか、障害は個性だとか、人権だとか、若者には無限の可能性があるだとか、芸能人で言うと誰に似てるだとか、先行きの見えない不況が原因だとか、平和で明るい差別のない社会だとか、そーゆうのに逆らったらつまはじきにされるんだな。
そーか、幸福な人生に必要なのは服従だ」
自由、平等、人権、若者の無限の可能性、癒やし、自分らしさ……。
三上は何も信じていない。
実際、現実を見てみれば、〝自由〟〝平等〟なんてウソだし、若者は閉塞感でいっぱいだし、〝癒やし〟や〝自分らしさ〟なんてマスコミが金儲けのためにつくりだした虚妄だし、〝障害は個性〟とか〝差別のない社会〟なんて偽善だし。
それどころか、これらはテレビや学校など、さまざまな形で圧迫してくる。
たとえば、
「差別のない社会をつくりましょう」
「人間は自由で平等なんです」
「若者には無限の可能性がある。だからがんばれ!」
「自分らしさを演出するコーディネイト」
「癒やしグッズ」
「癒やしスポット」
大きなお世話だ。
放っておいてくれ。
でも、そんなことを言うと、やつらはたちまち「悔い改めよ」と牙をむいてくる。
そんな三上の唯一のリアルは〝セックス〟だが、これもパンティストッキングが立ちはだかるようになかなかたどり着けない。
どうしようもない絶望ですね。
まあ、世の中の虚妄をすべて剥ぎ取っていけば、残るのはこうした現実なのかもしれないけど。
だから三上は空を見上げてこう思う。
「テポドンでも何でも落ちてくりゃいいんだ」
もしかしたら現代人はテポドンが落ちて来るのを望んでいるのかもしれない。