「半分、青い。」なんですが、半分、共感できなくて困っています。
どうして、この作品の登場人物はゼロか100なんだろう?
映画監督か? 家族か?
家族を捨てて映画監督になるか、映画をあきらめて家族をとるか。
涼次(間宮祥太朗)には、このふたつの選択肢しかない。
でもね、両方とればいいじゃん?
映画監督をやりつつ、家族も持つ。
そりゃあ、映画の仕事は不安定で家計が苦しくなるかもしれないよ。
でも、そんな苦労を分かち合うのが家族であり夫婦……と考えるのは理想なのだろうか?
まあ、今の涼次は創作のイメージがいっぱいで、作品しか見えない一種の狂気にとらわれているんでしょうけどね。
才能の開花とは、こういうことかもしれないし。
………………
鈴愛(永野芽郁)もゼロか100かの人なんだよな。
漫画家か? そうでないか?
仮に才能が枯れて自分の作品が描けなくなったとしても、秋風先生のアシスタントをして秋風作品に携わったり、イラストやデザインの道に方向転換したりすればいいのに。
多くの人はそうやって妥協し、折り合いをつけて生きているんだけどなあ。
ゼロか100でなく、50の生き方。
白か黒でなく、グレーの生き方。
まあ、ゼロの生き方も自分がそれで幸せならいいんですけどね。
でも漫画家をやめてからの鈴愛はどうも幸せそうに見えない。
秋風塾にいた時のような目の輝きがない。
まあ、あの目の輝きこそが〝青春〟っていうことなのかもしれないけど。
というわけで、どこか迷走している「半分、青い。」
北川悦吏子先生も何か書き散らかしているような気がします。
小さな盛り上がりはあるんだけど、漫画家を目指していた時のような大きなウェーブがなかなか起こらない。
さて、北川先生はこの作品にどう決着をつけるのか?
どうして、この作品の登場人物はゼロか100なんだろう?
映画監督か? 家族か?
家族を捨てて映画監督になるか、映画をあきらめて家族をとるか。
涼次(間宮祥太朗)には、このふたつの選択肢しかない。
でもね、両方とればいいじゃん?
映画監督をやりつつ、家族も持つ。
そりゃあ、映画の仕事は不安定で家計が苦しくなるかもしれないよ。
でも、そんな苦労を分かち合うのが家族であり夫婦……と考えるのは理想なのだろうか?
まあ、今の涼次は創作のイメージがいっぱいで、作品しか見えない一種の狂気にとらわれているんでしょうけどね。
才能の開花とは、こういうことかもしれないし。
………………
鈴愛(永野芽郁)もゼロか100かの人なんだよな。
漫画家か? そうでないか?
仮に才能が枯れて自分の作品が描けなくなったとしても、秋風先生のアシスタントをして秋風作品に携わったり、イラストやデザインの道に方向転換したりすればいいのに。
多くの人はそうやって妥協し、折り合いをつけて生きているんだけどなあ。
ゼロか100でなく、50の生き方。
白か黒でなく、グレーの生き方。
まあ、ゼロの生き方も自分がそれで幸せならいいんですけどね。
でも漫画家をやめてからの鈴愛はどうも幸せそうに見えない。
秋風塾にいた時のような目の輝きがない。
まあ、あの目の輝きこそが〝青春〟っていうことなのかもしれないけど。
というわけで、どこか迷走している「半分、青い。」
北川悦吏子先生も何か書き散らかしているような気がします。
小さな盛り上がりはあるんだけど、漫画家を目指していた時のような大きなウェーブがなかなか起こらない。
さて、北川先生はこの作品にどう決着をつけるのか?