平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

半分、青い。~ゼロか、100かの生き方の主人公たち。妥協して折り合いをつけた50の生き方もあるのに

2018年08月02日 | その他ドラマ
「半分、青い。」なんですが、半分、共感できなくて困っています。

 どうして、この作品の登場人物はゼロか100なんだろう?

 映画監督か? 家族か?
 家族を捨てて映画監督になるか、映画をあきらめて家族をとるか。
 涼次(間宮祥太朗)には、このふたつの選択肢しかない。

 でもね、両方とればいいじゃん?
 映画監督をやりつつ、家族も持つ。
 そりゃあ、映画の仕事は不安定で家計が苦しくなるかもしれないよ。
 でも、そんな苦労を分かち合うのが家族であり夫婦……と考えるのは理想なのだろうか?

 まあ、今の涼次は創作のイメージがいっぱいで、作品しか見えない一種の狂気にとらわれているんでしょうけどね。
 才能の開花とは、こういうことかもしれないし。
 ………………

 鈴愛(永野芽郁)もゼロか100かの人なんだよな。

 漫画家か? そうでないか?

 仮に才能が枯れて自分の作品が描けなくなったとしても、秋風先生のアシスタントをして秋風作品に携わったり、イラストやデザインの道に方向転換したりすればいいのに。
 多くの人はそうやって妥協し、折り合いをつけて生きているんだけどなあ。
 ゼロか100でなく、50の生き方。
 白か黒でなく、グレーの生き方。

 まあ、ゼロの生き方も自分がそれで幸せならいいんですけどね。
 でも漫画家をやめてからの鈴愛はどうも幸せそうに見えない。
 秋風塾にいた時のような目の輝きがない。
 まあ、あの目の輝きこそが〝青春〟っていうことなのかもしれないけど。

 というわけで、どこか迷走している「半分、青い。」
 北川悦吏子先生も何か書き散らかしているような気がします。
 小さな盛り上がりはあるんだけど、漫画家を目指していた時のような大きなウェーブがなかなか起こらない。

 さて、北川先生はこの作品にどう決着をつけるのか?

コメント
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