平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

麒麟がくる 第24回「将軍の器」~「わしは死にとうない。いくさは嫌いじゃ」 このせりふを光秀はどう捉えたか?

2020年09月21日 | 大河ドラマ・時代劇
 覚慶(滝藤賢一)は将軍の器なのか?

「わしは死にとうない。いくさは嫌いじゃ」

 およそ武士らしくない言葉だ。
 武士の頭領が口にしてはいけない言葉だ。
 なぜなら武士は、命を捨てることを怖れず、いくさをする存在だからだ。

 では光秀(長谷川博己)はどう思ったか?
 以前、「いくさは嫌いです」と言っていたし、共感するものがあったのではないか?
「死にたくない」「いくさは嫌い」
 こういう人は無闇にいくさをしないし、人の命を大事にする。
 光秀と相通じるものがあったのではないか?

 では、なぜ光秀は朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)に「(覚慶は)将軍の器ではない」と答えたのだろう?
 義景ではダメだ、と考えたからではないか?
 自分の国が大事で、内向きの義景に庇護されても、庇護されるだけでそれ以上は何も生まない。
 光秀の頭の中には、義景でなく、現在、勢いのある信長(染谷将太)があったのではないか?

 この答え合わせは次週。
 ………………

 覚慶の件といい、今回は武士を否定した回だった。

 伊呂波太夫(尾野真千子)は関白に「次の将軍は誰がいいか?」と問われて、
「誰が将軍でもいいじゃないか。あたしたちには関係ない」
「(将軍の跡目争いで)いくさが起こり、共倒れで武士などいなくなってしまえばいい」

 これは当時の庶民の誰もが思ってたことじゃないのかな?
 武士が権力争い、覇権争いで勝手にいくさをして、自分たちはその被害に遭っている。
 武士さえいなくなれば、いくさはなくなる。
 武士になんか何も期待しない。自分たちの命と生活は自分で守る。
 そんなクールでシラケた感じ。

 これは現代にも言えて、
 自民党総裁選で何か盛り上がってるみたいだけど、総理が、菅・岸田・石破の誰がなってもそんなに変わらない。
 野党がなっても変わらない。
 政治や政治家には何も期待しない。
 政治家は勝手に権力闘争をやってろ。ただし、こちらに迷惑をかけるなよ。
 みたいな感じ。

 大河ドラマなのに「武士を否定する」せりふが出て来たこの作品、なかなかすごい。
 この時代、庶民にしてみれば、武士は迷惑なだけの存在だったんでしょうね。
 光秀はそんな武士の現実を見て、何とか将軍の権威を取り戻し、「麒麟がくる」国をつくろうとしている。
 武士という存在を光秀はまだ信じている。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする