平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「生い立ちの歌」 中原中也~私の上に降る雪はいとしめやかになりました

2022年01月07日 | 
 昨日、こちらは大雪でした。
 なので、この詩を──
 作品はⅠとⅡの2部構成になっています。


 生い立ちの歌
           中原中也
     Ⅰ

     幼年時
 私の上に降る雪は
 真綿(まわた)のようでありました

     少年時
 私の上に降る雪は
 霙(みぞれ)のようでありました

     十七〜十九
 私の上に降る雪は
 霰(あられ)のように散りました

     二十〜二十二
 私の上に降る雪は
 雹(ひょう)であるかと思われた

     二十三
 私の上に降る雪は
 ひどい吹雪とみえました

     二十四
 私の上に降る雪は
 いとしめやかになりました……

     Ⅱ

 私の上に降る雪は
 花びらのように降ってきます
 薪(たきぎ)の燃える音もして
 凍るみ空の黝(くろ)む頃

 私の上に降る雪は
 いとなよびかになつかしく
 手を差し伸べて降りました

 私の上に降る雪は
 熱い額(ひたい)に落ちもくる
 涙のようでありました

 私の上に降る雪に
 いとねんごろに感謝して、神様に
 長生(ちょうせい)したいと祈りました

 私の上に降る雪は
 いと貞潔(ていけつ)でありました


                   ※黝(くろ)む~黒ずむ
                   ※なよびか~ものやわらか
 ………………………………………

   Ⅰ

 年齢を経るに従って、雪に対するとらえ方が違って来るのが面白いですね。
 真綿のようにやさしかった雪が、霙になり、霰になり、雹になり、吹雪になり……。
 生きることがどんどんつらく、厄介になっていくんですね。
 子供の時のように世界と調和しなくなった。

 ところが二十四歳になって、これが大きく変わる。

 私の上に降る雪は
 いとしめやかになりました……

 これは何だろう?
「しめやか」 穏やかで哀しいこと
 人生とたたかうことをやめて諦めの境地に達したのか?
 抗うことに疲れ果ててしまったのか?
 少なくとも中也の心の中で嵐は吹かなくなった。
 生きるとは哀しいことだと知った。

 この詩を読んで、僕はクィーンの『ボヘミアン・ラプソディ』を思い出した。
『ボヘミアン・ラプソディ』の主人公も生きることに脅え、不安におののき、時にたたかい、抗い、
 ラストで、『たいしたことないさ。ただ風が吹くだけ』という穏やかな境地で終わる。

   Ⅱ

 あれま、ここでも大きく変わりましたね~。
 雪がすごくやさしくなっている。
『いとねんごろに感謝して、神様に
 長生(ちょうせい)したいと祈りました』
 とまで書いている。
 これの前段の『涙』は嬉し涙だろう。

 この時、中也は愛する人に出会ったらしい。
 なるほど、だからこういう表現になったのか。
 愛する人に出会って、ふたたび世界と調和した。

『生い立ちの歌』は人生のさまざまな様相を表現した美しい詩である。
 今、僕の上に降っている雪はどんな雪だろう?

コメント (2)
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