ポスト道兼(玉置玲央)をめぐって蠢く人々。
伊周(三浦翔平)、公卿を集めて接待。
詮子(吉田羊)「道長を関白に!」「伊周が関白になったらわたしたちは終わりよ。うつけ者!」
定子(高畑充希)は兄と帝の間で葛藤。
斉信(金田哲) 「道長が関白になったら取り入るぞ」←アピールキャラ!笑
公任(町田啓太)「道長に関白になる気があるのか?」
行政(渡辺大知)「はい! 私は道長様びいきでございます」←道長大好きキャラ!笑
実資(秋山竜次)「よろしくない流れであるな……」←クソ真面目キャラ!笑
そして道長(柄本佑)、関白になる気などなくて、「伊周が関白になるのは仕方のないこと」
こんな道長に対して清少納言(ファーストサマーウィカ)は、
「公卿の間でも女官の間でも人気はありませんし、そもそも偉くなる気もないし、権勢欲もまるでないようですのであり得ませんわね」
さまざまな人物がそれぞれに自己主張する。
これぞ大河ドラマである。
しかし、よくもまあ、これだけ描き分けられるな。
これまでの人物描写がしっかり描かれて来た結果だろう。
清少納言の道長の人物評を聞いたまひろ(吉高由里子)は「あの人、人気ないんだ」笑
この元カノ感!
おそらく「でもわたしだけがあの人のいい所を知っているのよ」と思っていたことだろう。
……………………………………………………
道兼は壮絶な退場。
疫病が道長にうつることを懸念して、
「お前が倒れたらわが家は終わる! 出て行け!」
死に際しては罪を犯して来た自分の人生を振り返って、
「俺は…浄土に行こうとしているのか? 無様だ。こんな悪人が……」
やはり道兼は血まみれの自分の人生を悔いていた。
ただ父親に認めてもらいたいだけだった。
だから関白になった時はこんな言葉。
「父上を驚かせるような政(まつりごと)をしたいものだ」
道兼の人生は起伏の多い人生だった。
悪に振れ善に振れ、どん底に落ち政治の頂に立ち、
欲望に囚われ無欲になり、自分中心から他人を思うようになり、
周囲が自分から離れていき道長というかけがえのない存在を得た。
「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」
仏教は道兼みたいな人が好きなんだよなぁ。
囚われや執着を捨て去った時、人は仏になる。
「皇子を生め」と定子に迫った伊周は『関白』に執着しているが、解放される時は来るのか?
兼家(段田安則)、道隆(井浦新)、源雅信(益岡徹)──人の死に方もさまざまだ。
個人的には雅信の亡くなり方や人生に共感する。
足るを知る。
権力や欲望に精神をすり減らしても、きついだけだ。
でも欲望に囚われてしまうのも人間。
……………………………………………………
ラストは視聴者に行間を読ませる内容だった。
道長はまひろに会って何を期待していたのだろう?
「昔のおのれに会いに来たのね」
まひろとの恋愛を確認することで、昔の自分を取り戻したかったのだろう。
それは政治や権力とはまったく関係のない世界。
だが、まひろは突っぱねた。
「でも、今語る言葉は何もない」
すでに、まひろは語るべき言葉を語っているからだ。
それは──
「道長様は偉い人になって直秀のような理不尽に殺される人が出ないような、より良き政をする使命があるのよ」
「誰よりも愛しい道長様が政に拠ってこの国を換えていく様を死ぬまで見つめ続けます」
道長もそれがわかっている。
まひろと会って、その覚悟を決めたのだろう。
文学的ですね。
「この前は徹夜で看病してくれてありがとう」
「それより俺、政治の頂点に立ってしまったんだけど、どう思う?」
「決まってるじゃない。民のためにより良き政治をしなさいよ」
というやりとりをしたらダサくなってしまう。笑
伊周(三浦翔平)、公卿を集めて接待。
詮子(吉田羊)「道長を関白に!」「伊周が関白になったらわたしたちは終わりよ。うつけ者!」
定子(高畑充希)は兄と帝の間で葛藤。
斉信(金田哲) 「道長が関白になったら取り入るぞ」←アピールキャラ!笑
公任(町田啓太)「道長に関白になる気があるのか?」
行政(渡辺大知)「はい! 私は道長様びいきでございます」←道長大好きキャラ!笑
実資(秋山竜次)「よろしくない流れであるな……」←クソ真面目キャラ!笑
そして道長(柄本佑)、関白になる気などなくて、「伊周が関白になるのは仕方のないこと」
こんな道長に対して清少納言(ファーストサマーウィカ)は、
「公卿の間でも女官の間でも人気はありませんし、そもそも偉くなる気もないし、権勢欲もまるでないようですのであり得ませんわね」
さまざまな人物がそれぞれに自己主張する。
これぞ大河ドラマである。
しかし、よくもまあ、これだけ描き分けられるな。
これまでの人物描写がしっかり描かれて来た結果だろう。
清少納言の道長の人物評を聞いたまひろ(吉高由里子)は「あの人、人気ないんだ」笑
この元カノ感!
おそらく「でもわたしだけがあの人のいい所を知っているのよ」と思っていたことだろう。
……………………………………………………
道兼は壮絶な退場。
疫病が道長にうつることを懸念して、
「お前が倒れたらわが家は終わる! 出て行け!」
死に際しては罪を犯して来た自分の人生を振り返って、
「俺は…浄土に行こうとしているのか? 無様だ。こんな悪人が……」
やはり道兼は血まみれの自分の人生を悔いていた。
ただ父親に認めてもらいたいだけだった。
だから関白になった時はこんな言葉。
「父上を驚かせるような政(まつりごと)をしたいものだ」
道兼の人生は起伏の多い人生だった。
悪に振れ善に振れ、どん底に落ち政治の頂に立ち、
欲望に囚われ無欲になり、自分中心から他人を思うようになり、
周囲が自分から離れていき道長というかけがえのない存在を得た。
「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」
仏教は道兼みたいな人が好きなんだよなぁ。
囚われや執着を捨て去った時、人は仏になる。
「皇子を生め」と定子に迫った伊周は『関白』に執着しているが、解放される時は来るのか?
兼家(段田安則)、道隆(井浦新)、源雅信(益岡徹)──人の死に方もさまざまだ。
個人的には雅信の亡くなり方や人生に共感する。
足るを知る。
権力や欲望に精神をすり減らしても、きついだけだ。
でも欲望に囚われてしまうのも人間。
……………………………………………………
ラストは視聴者に行間を読ませる内容だった。
道長はまひろに会って何を期待していたのだろう?
「昔のおのれに会いに来たのね」
まひろとの恋愛を確認することで、昔の自分を取り戻したかったのだろう。
それは政治や権力とはまったく関係のない世界。
だが、まひろは突っぱねた。
「でも、今語る言葉は何もない」
すでに、まひろは語るべき言葉を語っているからだ。
それは──
「道長様は偉い人になって直秀のような理不尽に殺される人が出ないような、より良き政をする使命があるのよ」
「誰よりも愛しい道長様が政に拠ってこの国を換えていく様を死ぬまで見つめ続けます」
道長もそれがわかっている。
まひろと会って、その覚悟を決めたのだろう。
文学的ですね。
「この前は徹夜で看病してくれてありがとう」
「それより俺、政治の頂点に立ってしまったんだけど、どう思う?」
「決まってるじゃない。民のためにより良き政治をしなさいよ」
というやりとりをしたらダサくなってしまう。笑