完全な投げやりである。
完全な絶望である。
今更だが、欅坂46の『エキセントリック』が凄い。
内容は、みんなと違っていてもいい、などといった甘いメッセージではない。
・みんなと違っていて何が悪い?
・人間同士が理解し合うなんて幻想。愛も幻想。
・だから理解されようとは思わない。
といった〝投げやりな絶望〟を歌っている。
パフォーマンスも凄い。
みんなと違っていることを表現するために、フツーの当たり前な振り付けをしない。
・靴を脱いで振りまわして投げる。
・ゆらゆらと手を振って相撲のような四股立ちをする。
・髪を振り乱し、目がイッちゃってる。
以前、欅坂の振り付けは〝ダンス〟ではなく〝舞踏〟だと書いたことがあったが、まさにそれ。
体全体で歌詞の内容を表現している。
同時に一歩間違えば、〝ギャグ〟になってしまう振り付けでもある。
だって靴を振りまわし、四股立ちするのだから。
ギャグと紙一重の振り付けって何か凄い。
……………
てち(平手友梨奈)の表現力も凄い。
目が完全にイッちゃってて、センターでこの曲の内容を見事に表現している。
てちは〝憑依型〟のパフォーマーなのだろう。
俳優やアーティストなど芸能に携わる人は多かれ少なかれ〝憑依〟するものだが、平手友梨奈はそれが徹底している。
乃木坂46の生駒里奈も〝憑依型〟だと思うが、生駒ちゃんの場合はまだ日常がある。
だが、平手友梨奈の場合は、あっちの世界に行ってしまって戻ってこられないのではないか、という危うさがある。
だからこそ、彼女のパフォーマンスは多くの人が魅入られるのだろう。
過去、卑弥呼や出雲阿国の舞踏に人々が熱狂したように。
現在、てちは体調がよくないようだ。
その原因はこんな所にあるのではないか?
憑依の度合いが深すぎて、ひとつのパフォーマンスで身も心も消耗してしまう。
こんなことを書くと、欅坂の楽曲『月曜日の朝、スカートを切られた』の歌詞のように〝あんたがわたしの何を知ってるの?〟と、てちに怒られそうだが。
迫真のパフォーマンスはこちら
欅坂46 エキセントリック(YouTube)
完全な絶望である。
今更だが、欅坂46の『エキセントリック』が凄い。
内容は、みんなと違っていてもいい、などといった甘いメッセージではない。
・みんなと違っていて何が悪い?
・人間同士が理解し合うなんて幻想。愛も幻想。
・だから理解されようとは思わない。
といった〝投げやりな絶望〟を歌っている。
パフォーマンスも凄い。
みんなと違っていることを表現するために、フツーの当たり前な振り付けをしない。
・靴を脱いで振りまわして投げる。
・ゆらゆらと手を振って相撲のような四股立ちをする。
・髪を振り乱し、目がイッちゃってる。
以前、欅坂の振り付けは〝ダンス〟ではなく〝舞踏〟だと書いたことがあったが、まさにそれ。
体全体で歌詞の内容を表現している。
同時に一歩間違えば、〝ギャグ〟になってしまう振り付けでもある。
だって靴を振りまわし、四股立ちするのだから。
ギャグと紙一重の振り付けって何か凄い。
……………
てち(平手友梨奈)の表現力も凄い。
目が完全にイッちゃってて、センターでこの曲の内容を見事に表現している。
てちは〝憑依型〟のパフォーマーなのだろう。
俳優やアーティストなど芸能に携わる人は多かれ少なかれ〝憑依〟するものだが、平手友梨奈はそれが徹底している。
乃木坂46の生駒里奈も〝憑依型〟だと思うが、生駒ちゃんの場合はまだ日常がある。
だが、平手友梨奈の場合は、あっちの世界に行ってしまって戻ってこられないのではないか、という危うさがある。
だからこそ、彼女のパフォーマンスは多くの人が魅入られるのだろう。
過去、卑弥呼や出雲阿国の舞踏に人々が熱狂したように。
現在、てちは体調がよくないようだ。
その原因はこんな所にあるのではないか?
憑依の度合いが深すぎて、ひとつのパフォーマンスで身も心も消耗してしまう。
こんなことを書くと、欅坂の楽曲『月曜日の朝、スカートを切られた』の歌詞のように〝あんたがわたしの何を知ってるの?〟と、てちに怒られそうだが。
迫真のパフォーマンスはこちら
欅坂46 エキセントリック(YouTube)
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