大政奉還の時の龍馬(福山雅治)って、実はもう何もすることがないんですよね。
なので、そこをどう描くか?
・永井玄蕃頭(石橋蓮司)に直談判
・勝先生の(武田鉄矢)の来訪
・弥太郎(香川照之)の商売の話
・藤吉に六分儀を見せて世界を往く話
弥太郎のエピソードは龍馬への愛憎が描かれていて面白かった。
藤吉に夢を語る話も龍馬らしい。星や空や海、これらは龍馬によく似合う。
永井玄蕃頭(石橋蓮司)に直談判は唐突かな? 今まで描かれて来なかった人だし。
勝先生の来訪は<勝が新選組から身を挺して守る>というエピソードに集約させて描かれたが、もっと師弟の情みたいなものが描かれてもよかった。
個人的には勝が「顔を洗って来いや」と言うシーンが好き。同じ<師弟の情>を描くのでもこういう何気ない日常のやりとりの方がスッと伝わってくる。<新選組から身を挺して守る>というのは時代劇的ですからね。
あるいは龍馬が弱さを見せてもよかったかもしれない。
ハードな交渉の日々、師である勝に出会い、張りつめていた糸が切れて思わず弱音を吐くみたいな。
テーマとしては<個人>の力。
組織の中にいると、組織に縛られてなかなか自由な発想が出来ない。
しがらみなく行動できるのは個人。
しかし個人の力には限界がある。お金もないし兵も動かせない。発言力も弱い。
その個人の限界を越えて<大仕事>を成し遂げた所に龍馬の凄さがあるのだが、現代の日本に<坂本龍馬>は現れないだろうか。
勝は幕府をなくすことは「二万人の幕臣が役目を失うことだ」と言う。
現在で言えば、公務員二万人をクビにすることだ。
それが正しいことかどうかは議論の分かれる所だが、現在にも龍馬のような<理想の社会のために孤軍奮闘する個人>は必要。
もっとも何が<善>で何か<悪>かはわかりづらいんですけどね。
司馬遼太郎は、明治の世を<善>とした。
山田風太郎は、明治の世を<悪>とした。何しろ明治はこの国を太平洋戦争まで至らしめた出発点なのだから。
となると、明治を作る一翼を担った龍馬は<善>であるか<悪>であるか。
先程の「二万人が役目を失うこと」だって失う側にしてみれば<悪>ですからね。
<善>や<悪>という世の中の価値観などこんなもの。
ここに現在の<政治の混迷>や<物語が成立しにくい>要因がある。
結局、人は世の中の流れに身を任せて、自分の正しいと思うことを半分疑いながら生きていくしかないのですが。
最後はテツガクや人生論の話になってしまいました……!
なので、そこをどう描くか?
・永井玄蕃頭(石橋蓮司)に直談判
・勝先生の(武田鉄矢)の来訪
・弥太郎(香川照之)の商売の話
・藤吉に六分儀を見せて世界を往く話
弥太郎のエピソードは龍馬への愛憎が描かれていて面白かった。
藤吉に夢を語る話も龍馬らしい。星や空や海、これらは龍馬によく似合う。
永井玄蕃頭(石橋蓮司)に直談判は唐突かな? 今まで描かれて来なかった人だし。
勝先生の来訪は<勝が新選組から身を挺して守る>というエピソードに集約させて描かれたが、もっと師弟の情みたいなものが描かれてもよかった。
個人的には勝が「顔を洗って来いや」と言うシーンが好き。同じ<師弟の情>を描くのでもこういう何気ない日常のやりとりの方がスッと伝わってくる。<新選組から身を挺して守る>というのは時代劇的ですからね。
あるいは龍馬が弱さを見せてもよかったかもしれない。
ハードな交渉の日々、師である勝に出会い、張りつめていた糸が切れて思わず弱音を吐くみたいな。
テーマとしては<個人>の力。
組織の中にいると、組織に縛られてなかなか自由な発想が出来ない。
しがらみなく行動できるのは個人。
しかし個人の力には限界がある。お金もないし兵も動かせない。発言力も弱い。
その個人の限界を越えて<大仕事>を成し遂げた所に龍馬の凄さがあるのだが、現代の日本に<坂本龍馬>は現れないだろうか。
勝は幕府をなくすことは「二万人の幕臣が役目を失うことだ」と言う。
現在で言えば、公務員二万人をクビにすることだ。
それが正しいことかどうかは議論の分かれる所だが、現在にも龍馬のような<理想の社会のために孤軍奮闘する個人>は必要。
もっとも何が<善>で何か<悪>かはわかりづらいんですけどね。
司馬遼太郎は、明治の世を<善>とした。
山田風太郎は、明治の世を<悪>とした。何しろ明治はこの国を太平洋戦争まで至らしめた出発点なのだから。
となると、明治を作る一翼を担った龍馬は<善>であるか<悪>であるか。
先程の「二万人が役目を失うこと」だって失う側にしてみれば<悪>ですからね。
<善>や<悪>という世の中の価値観などこんなもの。
ここに現在の<政治の混迷>や<物語が成立しにくい>要因がある。
結局、人は世の中の流れに身を任せて、自分の正しいと思うことを半分疑いながら生きていくしかないのですが。
最後はテツガクや人生論の話になってしまいました……!
コウジさんって、テツガクや人生論が好きですよね。
毎回、なるほどと思って読んでいます。
これからもお願いします。
コメントありがとうございます。
>コウジさんって、テツガクや人生論が好きですよね。
はい、好きです!(笑)
そのため、書くものが理屈っぽくなってしまうのが難点なのですが……。
どうしても身近な小さな説を書く<小説>よりも天下国家やテツガクを論じる<大説>になってしまいます。
幕末物の大河ドラマでも、「龍馬がゆく」「花神」「翔ぶが如く」など倒幕側視点の作品、「花の生涯」「徳川慶喜」「新選組!」「篤姫」など幕府側視点の作品、そして「三姉妹」「獅子の時代」のように両側の人間を描いた作品があります。このように対立する両サイドの視点に触れるだけで多面的な見方が養われ「テツガク」の勉強になると思うのですが……。
その意味で先週のコウジさんもおっしゃっていましたが
>次回は慶喜の描かれ方が僕にとってのポイントになりそうです。
この点今回の慶喜の描写はやや残念でした。
慶喜は大政奉還は決意したものの、これまでの流れを作った張本人として龍馬の名を知るや、明らかに敵意を示していました。
これは本作が「龍馬は偉業を成し遂げた代わりに周囲を敵だらけにしてしまった」という図式にこだわった結果でしょうが、結局慶喜は最後まで安仇以上には描かれなかった感じです。
ちなみに「Jin」原作では-ネタバレを極力避けるために詳細は書きませんが-慶喜は大政奉還直後の複雑微妙な状況下で龍馬を助けようとする仁に協力しており、その意味で龍馬の味方なのですが。
慶喜は彼を主人公とする大河ドラマもあった-ただしこれは途中で見るのが辛くなり脱落した覚えがあります-位の人物なので、せめて今回大政奉還を決意するまでの内面をもう少し丁寧に描いて欲しかったと思います。
いつもありがとうございます。
>今回の慶喜の描写はやや残念でした。
深い作品というのは、おそらく慶喜を描き切るということなんでしょうね。
読んでいないのですが(すみません!)「JIN」のような描かれ方もあるでしょうし、<朝敵>となって足利尊氏のような悪役として歴史に名前を刻まれたくなかったという慶喜の描かれ方もあったでしょう。
おっしゃるとおり、今回の形だとなぜ大政奉還をしたのかが今ひとつ伝わってきませんよね。
薩長、土佐の連合軍にかなわないからといった描かれ方をしていましたが。
後は歴史解釈の立場の問題。
基本的には主人公の立場を<正しい>とするのが、物語だとは思うのですが、<正しい>が行きすぎると「水戸黄門」になり、安っぽくなってしまう。
「龍馬伝」では西郷や木戸、弥太郎らが龍馬と意見を異にする立場になっていて、何とか安っぽさを免れていますね。