「いつか私の大切なものを守るために命をかける時が来る。
今がその時なのです。すべてを背負わせて下さいませ」
「安寧な世をつくりなされ。
兎は狼よりずっと強うございます。あなた様ならきっとできます」
「瀬名はずっと見守っております」
瀬名(有村架純)の家康(松本潤)への言葉である。
死後、評判が「悪辣な妻」になることには、
「本当の私はあなたの心に居ります」
悪妻・築山殿の新解釈だ。
ネットの情報に拠ると、
・五徳(久保史緒里)が信長(岡田准一)に12箇条の手紙を書いたこと。
・酒井忠次(大森南朋)がそれを事実と認めたこと。
・信康(細田佳央太)が別の城へ移されたこと。
・服部半蔵(山田孝之)が信康を介錯したこと。
は史実らしい。
史実の行間を読んでドラマにした上手い解釈だ。
史実と違い過ぎるという声もあるようだが、
フィクションはフィクションとして愉しみたい。
僕はお涙頂戴ドラマはあまり好きではないのだが、たとえばこういうシーンに惹かれる。

瀬名を介錯して地面に突っ伏している大鼠(松本まりか)。
泣き崩れているようにも見えるし、
介錯したことを土下座して謝っているようにも見えるし、
崇高な瀬名に敬意を払って頭を下げているようにも見える。
これが引きの絵であることも美しい。
そう言えば、瀬名が死を主張した時、大鼠は瀬名を下から見上げて真意を確かめようとしていた。
こういうディティルが素晴らしい。
あるいは、武田勝頼(真栄田郷敦)を見限って歩いて行く千代(古川琴音)。
これだけで勝頼の愚かさと千代の静かな怒りが伝わって来る。
崇高な存在は他者の心に何かを残すのだ。
さて、家康。
瀬名と信康の死をどう乗り越えるのか?
予告に拠ると、はつらつとして別人のようになるらしい。
ドラマとして上手い裏切り方だと思う。
その方が家康の哀しみや世の理不尽さへの怒りや世の安寧を目指す秘めた思いが伝わって来る。
瀬名の死は家康を大きく変えるようだ。
今がその時なのです。すべてを背負わせて下さいませ」
「安寧な世をつくりなされ。
兎は狼よりずっと強うございます。あなた様ならきっとできます」
「瀬名はずっと見守っております」
瀬名(有村架純)の家康(松本潤)への言葉である。
死後、評判が「悪辣な妻」になることには、
「本当の私はあなたの心に居ります」
悪妻・築山殿の新解釈だ。
ネットの情報に拠ると、
・五徳(久保史緒里)が信長(岡田准一)に12箇条の手紙を書いたこと。
・酒井忠次(大森南朋)がそれを事実と認めたこと。
・信康(細田佳央太)が別の城へ移されたこと。
・服部半蔵(山田孝之)が信康を介錯したこと。
は史実らしい。
史実の行間を読んでドラマにした上手い解釈だ。
史実と違い過ぎるという声もあるようだが、
フィクションはフィクションとして愉しみたい。
僕はお涙頂戴ドラマはあまり好きではないのだが、たとえばこういうシーンに惹かれる。

瀬名を介錯して地面に突っ伏している大鼠(松本まりか)。
泣き崩れているようにも見えるし、
介錯したことを土下座して謝っているようにも見えるし、
崇高な瀬名に敬意を払って頭を下げているようにも見える。
これが引きの絵であることも美しい。
そう言えば、瀬名が死を主張した時、大鼠は瀬名を下から見上げて真意を確かめようとしていた。
こういうディティルが素晴らしい。
あるいは、武田勝頼(真栄田郷敦)を見限って歩いて行く千代(古川琴音)。
これだけで勝頼の愚かさと千代の静かな怒りが伝わって来る。
崇高な存在は他者の心に何かを残すのだ。
さて、家康。
瀬名と信康の死をどう乗り越えるのか?
予告に拠ると、はつらつとして別人のようになるらしい。
ドラマとして上手い裏切り方だと思う。
その方が家康の哀しみや世の理不尽さへの怒りや世の安寧を目指す秘めた思いが伝わって来る。
瀬名の死は家康を大きく変えるようだ。
番組後の「紀行」で、舞台となった佐鳴湖を訪れた「瀬名」(有村架純さん)・「家康」(松本潤さん)「夫妻」が、築山殿を「悪妻」としているのは皆江戸時代の文献だったと話していました。
無論、五徳の「12箇条の手紙」と酒井忠次がそれを事実と認めたという「史実」はあるわけですが、専門家は忠次が信長に追及されもしないうちからペラペラと認めるなど「不自然さ」が見られたとも指摘していました。
「悪妻・瀬名」像は「信長と世を欺く」ための捏造だったとする解釈は、そうした「史実の行間」に、これまで一貫して描かれてきた「理想的な妻・瀬名」像を折り合わせる上でのアクロバティックではあるが、唯一の「仕掛け」だったと思います。
>武田勝頼を見限って歩いて行く千代。これだけで勝頼の愚かさと千代の静かな怒りが伝わって来る。
ネット上の「史実と違い過ぎるという声」の中には「むしろ勝頼に共感する」とする人もいたようです。
おそらく、瀬名を―EUならぬEJU(East Japanese Union)構想もあったのに―「戦はいやでございます」としか言わないステレオタイプの「感情的な平和論者」と同類と思ったのでしょう。
しかし、本作の世界観では、それはむしろ逆に「戦国のリアリズム」についてのステレオタイプな見方ということになります。
勝頼は「人でなしじゃな、家康は」と嘯いていましたが、これは家康が自分の予想どおりに動かなかったことに対する憤懣でしょう。
瀬名の謀を暴露すれば家康と信長とは必然的に戦いあう筈だという勝頼の戦略的見通しが甘かったわけです。
「理想を裏切る」云々以前に、勝頼は「戦国のリアリズム」の基準に照らしても「愚か」だったことになります。
千代が勝頼を見限るのは「穴山信君よりも先」でした。
ご指摘のように、今回大鼠の動きは素晴らしかったですね。
前回コウジさんが書かれていたように、今後もし千代が家康陣営に加わるとするならば、大鼠との関係がどうなるか、楽しみです。
あと、気になったのは信長。
いつも話題とはなっても掘り下げられることのない「佐久間信盛の追放」をここに結びつけてきました。
今回の出来事を通じて信長は家康に対してどのような思いを持ったのか。
さまざまな読み込みの余地がありそうです。
瀬名と信康の死は家康にとって心を潰されたに等しいでしょう。
何だかんだ言って、家康の事を気に掛ける信長。
空気の読めない佐久間信盛を粛清しましたが、その前に家康たちの状況を配慮すれば築山事件は起きなかったんですよ。
本当に信長が屈折した態度をするから、家康は信長を嫌っているんですよ。
信康が自決を選んだのは信長を欺くなんて不可能ですし、自分の為に家臣や領民に苦難の道を歩まさせるなんて出来ないのでしょう。
恐らく信康は徳川家が曽祖父清康の死から長い苦闘の時代と家康が信長を恐れる理由を知った気がします。
次回から本能寺の変が近い証拠ですね。
いつもありがとうございます。
>築山殿を「悪妻」としているのは皆江戸時代の文献だった
そうなんですよね。
人の記憶ってすぐに薄れ、時が経てば歴史は簡単に書き換えられてしまうんですよね。
太平洋戦争の日本の加害についても30年後には変わっているかもしれません。
>「むしろ勝頼に共感する」
そういう声もあるんですね。面白いですね。
別に家康は見殺しにしたわけではなく、最後まで抗ったので「人でなし」ではないんですけどね。
瀬名の「慈愛の国」という思想が、お花畑の思想ということで、右寄りな人たちには面白くなかったのかもしれません。
ただ瀬名の構想は単なる理想論ではなく、ベースには「経済」の発想(=つまりEU)があって、決してお花畑ではないんですどね。
千代と大鼠は「瀬名」という点で結びつくんでしょうね。
ふたりは瀬名の思いを実現するために力を合わせて戦う。
大鼠といえば、前回、半蔵が「おなごは家にいるものだ」と言って花を差し出した時、それを食べて半蔵に「死ね」と突き放したことが印象的でした。
最終回の半蔵は「武士になった」ことを大喜びするのでしょうが、大鼠の物語にも注目ですね。
信長は複雑な人物で、いろいろ深読みできそうですね。
その真意は本能寺の時に語れるのでしょうが、作家はどんな言葉を用意しているのでしょう?
今回のことで言えば、家康が必死に頼めば、信長は瀬名たちを出家させるなどして許した気もします。
いつもありがとうございます。
>家康たちの状況を配慮すれば築山事件は起きなかったんですよ。
おっしゃるとおり佐久間信盛がしっかり徳川を監視していれば防げたかもしれませんね。
今回のことで家康の心は自分から離れてしまった……。
信長はそれを認識して、信盛を追放したんでしょうね。
>信長が屈折した態度をするから、家康は信長を嫌っているんですよ。
TEPOさんの所でも書きましたが、信長の家康に対する屈折した思いは何なんでしょうね。
・やさしさなど、自分にないものを持っている。
・一方、欠けているのは非情さ。信長としてはこれを教えたい。
・自分に感情剥き出しで直言してくる存在。
・いっしょにいると心穏やかになる。孤独を忘れられる。
こんな所でしょうか。
そして、それは本能寺で語られるんでしょうね。