一君に仕えた三淵藤英(谷原章介)。
土岐頼芸、道三、高政、竜興と主君を渡り歩いた稲葉一鉄(村田雄浩)。
光秀が共感するのは三淵藤英の方だ。
だから、稲葉の下ではやって行けないと訪ねてきた斎藤利三(須賀貴匡)のために助力した。
次々と主君を変えた稲葉の生き方は戦国の古い武将にとっては当たり前のことだったのだろう。
しかし、理想を追い求める光秀は一君に仕えることを是とする。
信長(染谷将太)は理想など追い求めない現実主義者だ。
斎藤利三を美濃に戻せという。
稲葉がヘソを曲げれば、美濃が安定しなくなるからだ。
斎藤利三の命より美濃の安定が大事。
大のためには小は犠牲にしていい、と考えている。
理想主義と現実主義。
光秀と信長の間には亀裂がある。
………………
信長は「力」で世の中を治めようとする。
力こそすべて。力で敵をねじ伏せる。
自分の力が足りなければ、将軍の名前を借り、帝の威光を利用する。
そんなふうだから部下は怖れ、信長に直言できるのは光秀のみ。
信長に関する頼み事がある時は、皆、光秀を頼って来る。
一方、光秀は「仁」で世の中を治めようとする。
愛情をもって事にあたれば、相手は心を開き、問題は解決する。
斎藤利三を美濃に帰して見殺しにすれば部下は恐れおののくが、利三を救えば部下は「仁愛溢れるこの人のためなら」とついて来る。
光秀はこう考えている。
恐怖と仁愛。
北風と太陽。
信長と光秀の間には亀裂がある。
まあ、信長の方が事を誤れば滅びに繋がるシビアな世界に生きてるから、現実主義者になるのは仕方がないのかな?
理想主義の光秀はまだまだ甘い? 光秀の理想主義は平和な時代のもの?
いずれにしても、信長と光秀の亀裂は水面下で進行している。
木下藤吉郎(佐々木蔵之介)は、ひたすら信長の意に従い、現在ナンバー2の光秀の地位を狙っている感じ。
正親町天皇(坂東玉三郎)は、状況の推移を見守っている感じ。
見かけたネット記事に拠ると、本能寺の黒幕は正親町天皇になるのではないか、と書かれていたが、果たして?
物語は「本能寺」に向かって進行していますね。
この大河ドラマが始まった頃は、光秀が主人公だとネタ切れになるのではないかと言われていたが、なるほど、この手があったか!
都に上洛した後の信長や本能寺に至る過程がていねいに描かれている。
フツーの大河だと、頭を小突か、罵倒され、領地替えを命じられた光秀が恨み骨髄で「本能寺」を起こすというだけで終わるのだが、今作はその行間をしっかり描いている。
さて、本能寺に至るまでにどんなドラマが描かれるのか?
土岐頼芸、道三、高政、竜興と主君を渡り歩いた稲葉一鉄(村田雄浩)。
光秀が共感するのは三淵藤英の方だ。
だから、稲葉の下ではやって行けないと訪ねてきた斎藤利三(須賀貴匡)のために助力した。
次々と主君を変えた稲葉の生き方は戦国の古い武将にとっては当たり前のことだったのだろう。
しかし、理想を追い求める光秀は一君に仕えることを是とする。
信長(染谷将太)は理想など追い求めない現実主義者だ。
斎藤利三を美濃に戻せという。
稲葉がヘソを曲げれば、美濃が安定しなくなるからだ。
斎藤利三の命より美濃の安定が大事。
大のためには小は犠牲にしていい、と考えている。
理想主義と現実主義。
光秀と信長の間には亀裂がある。
………………
信長は「力」で世の中を治めようとする。
力こそすべて。力で敵をねじ伏せる。
自分の力が足りなければ、将軍の名前を借り、帝の威光を利用する。
そんなふうだから部下は怖れ、信長に直言できるのは光秀のみ。
信長に関する頼み事がある時は、皆、光秀を頼って来る。
一方、光秀は「仁」で世の中を治めようとする。
愛情をもって事にあたれば、相手は心を開き、問題は解決する。
斎藤利三を美濃に帰して見殺しにすれば部下は恐れおののくが、利三を救えば部下は「仁愛溢れるこの人のためなら」とついて来る。
光秀はこう考えている。
恐怖と仁愛。
北風と太陽。
信長と光秀の間には亀裂がある。
まあ、信長の方が事を誤れば滅びに繋がるシビアな世界に生きてるから、現実主義者になるのは仕方がないのかな?
理想主義の光秀はまだまだ甘い? 光秀の理想主義は平和な時代のもの?
いずれにしても、信長と光秀の亀裂は水面下で進行している。
木下藤吉郎(佐々木蔵之介)は、ひたすら信長の意に従い、現在ナンバー2の光秀の地位を狙っている感じ。
正親町天皇(坂東玉三郎)は、状況の推移を見守っている感じ。
見かけたネット記事に拠ると、本能寺の黒幕は正親町天皇になるのではないか、と書かれていたが、果たして?
物語は「本能寺」に向かって進行していますね。
この大河ドラマが始まった頃は、光秀が主人公だとネタ切れになるのではないかと言われていたが、なるほど、この手があったか!
都に上洛した後の信長や本能寺に至る過程がていねいに描かれている。
フツーの大河だと、頭を小突か、罵倒され、領地替えを命じられた光秀が恨み骨髄で「本能寺」を起こすというだけで終わるのだが、今作はその行間をしっかり描いている。
さて、本能寺に至るまでにどんなドラマが描かれるのか?
義理の伯父になる筈だった人との絆ということでしょうか。
その玉や岸、左馬助、さらには侍女たち―城持ち大名に出世した光秀の身分を示している―までが笑っていた光秀の「南蛮装束」姿を、しっかりと褒めていた熙子さん、やはり良い奥さんだなあ。
こうした和やかな家族愛の世界の描写も、やがて訪れる悲劇に向けての伏線なのでしょうね。
>見かけたネット記事に拠ると、本能寺の黒幕は正親町天皇になるのではないか、と書かれていた
なるほど!です。
「正親町天皇黒幕説」は「古風な良識人」である光秀の人物像にもしっくりきます。
たびたび引き合いに出しますが、池端版の「太平記」でも後醍醐天皇が積極的に描かれていました。
鎌倉幕府打倒の時期には味方として、また、足利幕府樹立の時期には離反の対象として、「一方の極をなすキャラ」として存在感を示していたのが印象的でした。
演じられたのは片岡孝夫さんで、やはり「美しい」イメージでしたが。
通常、天皇は御簾越しにほとんど姿も見せないくらいの登場の仕方しかしないので、タブー視せずに天皇の姿、それも政治的な動きを描く姿勢は随分と大胆なものだったと思います。
いつもありがとうございます。
「太平記」でも帝が積極的に描かれているんですね。
これが脚本・池端さんのこだわり。
やはり作家性ってあるんですね。
そして、前回足利幕府の終焉を描いて、足利幕府の始まりと終わりを描いた。
逆に家族描写が少ないのも池端さんの作家性なのかもしれませんね。
実際、熙子さんなどはもっと積極的に描かれていいくらい。
帰蝶様も登場しなくなりましたし、秀吉と言えば寧々さんですが、登場する気配がない。
浅井のお市様も描かれなかった。
池端さん、家族描写・女性描写は苦手という感じでしょうか。
この点で、玉には注目です。
でも藤孝との恋愛話などは描かれないでしょうね(笑)