平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

鎌倉殿の13人 第25回「天が望んだ男」~時政、政子、義時、藤九郎、ひとりひとりに別れの挨拶をする頼朝

2022年06月27日 | 大河ドラマ・時代劇
 頼朝(大泉洋)の死。
 前半はコメディタッチ。
 相性のよくない色・赤を避けていたらホオズキが。
 赤ん坊は命を吸い取るので抱きたがらない。
 恨みを持つ者の縁者を遠ざける←たくさんいすぎる!
 比企尼(草笛光子)、頼朝は幻影を見ているのかと思ったら寝ていただけだった。
 餅を喉につまらせて、義時(小栗旬)が背中に強烈パンチ!
 餅が喉から飛び出て「あ~死ぬかと思った!」
 死を喜劇にする。
 こういうセンス好きだな。
 ウディ・アレンの映画のよう。

 サスペンスもある。
 災いの予感がして頼朝は橋供養に行きたがらない。
 方違えをするが、途中の道が工事中で通れない。
 歴史に詳しい視聴者は、落馬が原因で頼朝が亡くなることを知っているから、いつ落馬するんだ? と思って見ている。
 ………………………

 後半は、縁のある人との最後の時間。

 りく(宮沢りえ)は、近くにいたが、今まで話したことのない縁のなかった人として登場。
「都人はおどしだけで動かぬ。そなたも知っておるだろう」と都談義。
 都人としての頼朝と共に、都で権勢をふるうことをあきらめた頼朝を描いた。
 これは少し後の「どこかの入道のように唐にでも行くか」という言葉に繋がる。

 時政(坂東彌十郎)とは昔話。
 旗揚の頃から支えて来たのは時政だった。
 そんな時政は現状を有り難く思い、満足していると言う。
 酒をくみかわし餅を食べる義理の親子。
 頼朝にとって楽しい時間であったことだろう。

 政子(小池栄子)とは夫婦談義。
 政子は、おなご好きも含めて頼朝との生活は「退屈しなかった」と語った。
 死を怖れている頼朝は「しんみりするな」と諫め、夫婦で笑う。

 義時とは信じ合える友としての会話。
 今後の政権構想を義時と政子に語り、支えるように指示を出し、義時には素直な胸の内を明かす。
「人の命は定められているもの。抗ってどうする?
 受け入れようではないか。受け入れて好きなように生きるのだ」

 そして最後は藤九郎・安達盛長(野添義弘)。
 頼朝の馬のくつわをとり、しみじみと「いろいろありましたなあ」
 しかし、昔を思い出すことが死に繋がることを思い出して「はっ!」
 頼朝は「もうよい」と言って昔話をするように言うが、盛長は思い出せない。笑
 いいシーンですね。
 権勢をふるった頼朝が最後に行き着いた所は、盛長とふたりで歩むことだった。
 頼朝は原点に戻った。
 そんな頼朝が倒れた時に盛長が叫んだ言葉は「鎌倉殿!」ではなくて「佐殿!」。
 頼朝の人生、ほんとうは盛長と歩むだけで十分だったのかもしれない。

 頼朝は縁のあるひとりひとりに挨拶をして旅立っていった。


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2 コメント

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大泉頼朝の一人芝居 (TEPO)
2022-06-27 15:18:09
公式HPの次回「登場人物」欄の「頼朝」に「故人」マークが付いていないので、頼朝の正式な死は次回のようですが、実質的には今回が頼朝の退場劇でしょう。

>前半はコメディタッチ。死を喜劇にする。

今回は、大泉頼朝の「一人芝居」の観がありました。
「フラグ」を立てまくっておいて、登場人物である頼朝自身が必死になってその「フラグ」に抗う様子をコメディに仕立てる。
大泉さんだからこその持ち味を計算し尽くした脚本・演出だったと思います。

>後半は、縁のある人との最後の時間。

私にとって印象的だったのは巴との面会でした。
義仲のことを涙を流して巴に詫びたのは、おそらく偽りのない真心からだったと思います。
挙兵時に坂東武者たちに示したように、たしかに頼朝は「演技の涙」を流すことができる人でした。
しかし、巴は和田義盛に半ば「匿われて」いる愛妾であって、殊更に懐柔や籠絡を必要とすることもない無力な存在に過ぎません。
先週の大姫に対する言葉からも窺われるように、巴は単に戦場で強いばかりでなく、聡明な女性でもあったようです。
おそらく、頼朝の言葉が真心からのものであることを感じ取った上で、当惑して―ことによると「フラグ」を感じ取って―いたように見えました。
もっとも、頼朝は自分が自分で「フラグ」を立ててしまったことに気づいて慌てて退散していましたが。(笑)

さて、今回でちょうど前半終了ということで「折り返し地点」。
次回から、いよいよ頼朝死後の「サバイバル・ゲーム」が開幕です。
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適当な情報にふりまわされて右往左往する人間 (コウジ)
2022-06-28 08:57:00
TEPOさん

いつもありがとうございます。

その頼朝のひとり芝居のフラグの発端が阿野全成の適当な言葉というのも象徴的ですよね。
つまり、適当な情報に振りまわされて右往左往する人間たち。
人は頼朝が最後にたどりついた境地(「人の命は定められているもの。抗ってどうする? 受け入れようではないか。受け入れて好きなように生きるのだ」)で生きるくらいがいいのでしょうね。
とは言え、「悟る」というのは現世の欲望から解き放たれた境地。
現世に生きるとは「振りまわされる」ということなのでしょう。

巴と頼朝。
作家が敢えてこのシーンを書いたのは何なんでしょうね?
頼朝は義仲への謝罪の気持ちを巴を通して伝えたかったのか?
あるいは、今後の物語に巴が絡んで来るための布石か?
いずれにして、人はギラギラした欲望がなくなると、自分を省みたり、人にやさしくなったりしますね。
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