平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

Q10のメッセージと取手バス襲撃事件

2010年12月22日 | 研究レポート
 Q10の最終回で平太の父親がこんなせりふを言った。

 「母ちゃんを愛するがごとく世界を愛しちゃってるんだよ、俺的には。つまり母ちゃんを愛するってことは、母ちゃんが産んだお前たちを愛するってこと。ということは母ちゃんを産んだ父さんと母さんを愛するんだよ、俺は。それに母ちゃんに親切にしてくれた人も愛するし、その母ちゃんに意地悪だった上司もまわりまわって今の母ちゃんの人格を作っていると思えば、それはまた愛するべきなんだよ。母ちゃんを成り立たせているもの、すべてを愛す。そういうことよ」

 ひとりを好きになれば、その人に関わる他の人も好きになる。
 そうなると好きな人がどんどん増えていって世界が愛すべきものになっていく。

 このことはたとえば<嵐>の松本潤さんを好きになったら、嵐の他のメンバーも好きになり、ジャニーズの他のタレントさんも好きになるという感覚、韓流スターやK-POPアーティストを好きになれば韓国を好きになるという感覚に似ていると思う。

 先日、また不幸な事件が起きた。
 取手のバス襲撃事件。
 斎藤容疑者は「自分の人生を終わらせたかった」と供述しているという。
 「自分の人生を終わらせたい」のならひとりで勝手にやってくれ、他人を巻き込まないでくれ、と言いたいが、もうひとつ斎藤容疑者に言いたい。

 「何かを好きになってくれ」

 何かを好きになれば、先程書いたようにどんどん好きなものが増えてくる。
 それだけで世界を肯定できるようになる。
 おそらく斎藤容疑者は<世界に絶望した>のだろう。
 絶望したから、「人生を終わらせたかった」と自分を壊そうと思い、自分だけでなくまわりの人間も巻き込んで、世界を壊そうとした。

 Q10の第2話で言っていたことだったと思うが、人をこの世につなぎ止めておくものなんて些細なものなんですけどね。
 それはタレントさんでもコミックのキャラクターであっても、趣味でもなんでもいい。
 何かを好きになれば、きっと世界を肯定できる。

 あとは、これはある程度歳を取らないと理解できない境地なんですけど、<不幸な自分を楽しむ>ということ。
 ダメで惨めな自分を「まいっか」と言える自分、冬の風に吹かれながら寂しく歩いていく自分、失恋して相手の幸せを願いながら酒場の片隅で飲む自分、そんな自分をカッコイイと思えるようになれば、かなり人生の達人になれる。

 この記事を書いていて、少し前の曲になるが<はねるのトビラ>でブレイクした「悲愴感」を思い出した。

♪女の子にはモテない
 正直ブサイクな 俺
 スポットライトは
 「あ、もったいないから当てないで下さい」

 男である以上 やるぜ
 カッコよく生きたい だけど
 出来ないことは 無理しません
 理想など語れないけど
 今度のデビューは見逃して

 悲愴感 悲愴感 このチャンスだけは
 死ぬ気で掴みたい 放せない
 悲愴感 悲愴感 最低なんて
 もう慣れっこさ

 悲愴感 悲愴感 どんなチャンスでも
 死んだら放しちゃう
 死にたくない    ♪

 こういうふうに悲惨な自分を笑い飛ばすことが出来れば、絶望はなくなる。
 カッコ良くさえある。
 現に「悲愴感」を歌っていたメンバーたちはカッコ良かったし。

 絶望しそうになった時は、「悲愴感」や「男はつらいよ」をお薦めする。
 アイドルやタレントさんを応援することをお薦めする。
 そして、これがエンタテインメントの力だ。
 政治で制度的・経済的に救えても、人の心まではなかなか救えない。
 エンタテインメントの役割はここにある。



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