「俺たち日本人は面白いことをやらなきゃいけないんだ!」
嘉納治五郎(役所広司)の思いはしっかり田畑政治(阿部サダヲ)に引き継がれていたんですね。
では、面白いこととは何か?
・世界中の人が集まったお祭り騒ぎ!
・ワクワクする競技!
・試合が終わればお互いを讃え合う!
・国、人種、民族を越えて世界中の人が交流する平和の祭典!
戦争や国家主義とは対極にあるものだ。
フィリピンでの怨嗟の体験を経て、田畑は考える。
「われわれはペ(paix)のためにやっている」
↓
「アジア各地でひどいことやむごいことをしてきた」日本だからこそ『平和』を語らなければならない。
「お前たちが泳がなくても何も変らないが、泳げば何かが変るかもしれない」
↓
「われわれに世界平和などおこがましい」のかもしれないが、1964年に『平和の素晴らしさ』を表現してみたい。
ここには平沢和重(星野源)がこだわった5つの問題など関係ない。
あるのは、5つの問題など吹き飛ばしてしまう『面白いことをやりたい』『平和の素晴らしさを語りたい』という熱い思いだ。
田畑政治や嘉納治五郎は『子供』なんですね。
『オトナ』だと、予算、国のメンツ、国威発揚、経済効果とか周辺のことを考えてしまう。
平沢が小学校6年生の娘の教科書を引用してスピーチをおこなったのも『子供』の思いという原点に戻ったから。
子供のようにオリンピックを捉える。
オトナのようにオリンピックを捉える。
ここには大きな違いがある。
で、この視点に立って2020年の東京オリンピックを見ると──
どうなんでしょうね?
経済効果とか、競技場の規模とか、どう問題なく運営するかとか、日本すごいとか、いきなり札幌と言われメンツが立たないとか、そんなことばかりに神経が行っているような気がする。
まあ、オリンピック自体が商業主義で巨大化しているから仕方ないのだが、現在のオリンピックに関わっている人たちの中に、
「面白いことをやろうぜ!」
と無邪気に叫んでいる人はいるのだろうか?
オトナばかりのオリンピックじゃ、きっと楽しくないじゃんねえ!
嘉納治五郎(役所広司)の思いはしっかり田畑政治(阿部サダヲ)に引き継がれていたんですね。
では、面白いこととは何か?
・世界中の人が集まったお祭り騒ぎ!
・ワクワクする競技!
・試合が終わればお互いを讃え合う!
・国、人種、民族を越えて世界中の人が交流する平和の祭典!
戦争や国家主義とは対極にあるものだ。
フィリピンでの怨嗟の体験を経て、田畑は考える。
「われわれはペ(paix)のためにやっている」
↓
「アジア各地でひどいことやむごいことをしてきた」日本だからこそ『平和』を語らなければならない。
「お前たちが泳がなくても何も変らないが、泳げば何かが変るかもしれない」
↓
「われわれに世界平和などおこがましい」のかもしれないが、1964年に『平和の素晴らしさ』を表現してみたい。
ここには平沢和重(星野源)がこだわった5つの問題など関係ない。
あるのは、5つの問題など吹き飛ばしてしまう『面白いことをやりたい』『平和の素晴らしさを語りたい』という熱い思いだ。
田畑政治や嘉納治五郎は『子供』なんですね。
『オトナ』だと、予算、国のメンツ、国威発揚、経済効果とか周辺のことを考えてしまう。
平沢が小学校6年生の娘の教科書を引用してスピーチをおこなったのも『子供』の思いという原点に戻ったから。
子供のようにオリンピックを捉える。
オトナのようにオリンピックを捉える。
ここには大きな違いがある。
で、この視点に立って2020年の東京オリンピックを見ると──
どうなんでしょうね?
経済効果とか、競技場の規模とか、どう問題なく運営するかとか、日本すごいとか、いきなり札幌と言われメンツが立たないとか、そんなことばかりに神経が行っているような気がする。
まあ、オリンピック自体が商業主義で巨大化しているから仕方ないのだが、現在のオリンピックに関わっている人たちの中に、
「面白いことをやろうぜ!」
と無邪気に叫んでいる人はいるのだろうか?
オトナばかりのオリンピックじゃ、きっと楽しくないじゃんねえ!
明確に「見たくない」と思っている人が多いのでしょうね。
ことによると、「右からは左」「左からは右」と見られてしまっているのかもしれません。たとえば今回の
>フィリピンでの怨嗟の体験を経て、田畑は考える。
他にも、関東大震災での自警団の横暴、朝鮮出身のマラソン「日本」選手の思いなど。
こうしたことに言及すること自体、本作を「左」(「反日」)だと主張する右派の人もいるでしょう。
しかし、左派リベラルの人から見ると今ひとつ具体的な突っ込みが足りない点が不満かもしれません。
2020年東京五輪を礼讃する人たちからは「なぜオリンピックムードをもっと盛り上げてくれないのか」と不満があることでしょう。
他方、アンチオリンピックの立場からすると、1964年五輪の賛美―招致の立役者田畑政治を主人公とする以上、結末はそうならざるを得ない―は結局2020年東京五輪協力に取り込まれているということになります。
私自身の感じ方は明確に最後の部類です。
先週本作は休みで、ラグビー日本代表の試合が放送されましたが、私は見ませんでした。
他にやるべき仕事があったせいもありますが、もともとスポーツに無関心な上に、「ナショナリズム」高揚の仕掛けに乗りたくないからです。
私のような臍曲がりでも、見れば日本チームを応援してしまうことになるでしょうから。
別に「反日」ではありませんので。
いつもありがとうございます。
視聴率低迷の背景には、おっしゃるとおり右からも左からも違和感をもって見られているということがあるのかもしれませんね。
現にリベラル系の方のツイッターでは「オリンピック礼賛ドラマだから見ない」と、作品を見ずにつぶやいている方がいらっしゃいましたし。
作品というのは本来、右の要素も左の要素も含有しているものなんですけどね。
それが豊かな作品。
そもそも社会や人間には右も左も混在しているわけですし。
それと、わかりやすさ。
今、放送されているテレビ朝日の『ドクターX』は視聴率20%の作品ですが、善悪ははっきりしていますし、手術は必ず成功しますし、見た後にスッキリする。
一方、『いだてん』はわかりやすさやスッキリとは違う作品。
わかりやすさやスッキリはラグビーにも言えて、勝てば気持ちいいですからね。
人々は疲労困憊していて、複雑なものよりは、わかりやすさとスッキリを求めているのでしょうね。