本日8月5日は、「ドラコニア忌」。
澁澤龍彦大人の命日らしい。
澁澤龍彦の本は結構読んだなあ。
僕の本棚には大人の本がこんな感じで並んでいる。
どりゃっ!
そんな澁澤大人の著作に「快楽主義の哲学」(文春文庫)がある。
「快楽」とは何か?
「幸福」とは何か?
その違いについて、大人はこう書いている。
絶世の美女を手に入れたいと思うのは、歴史はじまって以来、すべての世の男性の、永遠の夢であります。
そして、事実、うまいものを食えば、「ああ、うまかった!」と思わないわけにはいかないし、思いかなって美女の肌に触れれば、たちまちにして、口では言えない快美の極、陶酔境に運ばれます。
たとえ一瞬の陶酔であっても、その強烈さ、熱度、重量感、恍惚感は、なまぬるい幸福など束にしてもおよばないほどの、めざましい満足を与えます。
こう考えると、快楽とは瞬間的なものであり、幸福とは持続的なものである、といえるかもしれません。
幸福とは、静かな、あいまいな、薄ぼんやりした状態であって、波風のたたない、よどんだ沼のようなものです。
哲学者のスピノザがいったように、せいぜい幸福とは、「人間が自己の存在を維持するしうることに存する」なのかもしれません。
いっぽう、快楽とは、瞬間的にぱっと燃えあがり、おどろくべき熱度に達し、みるみる燃えきってしまう花火のようなものです。
それはたしかに夢のようなものですが、それだけに、はげしい起伏があり、人間を行動に駆り立てる美しさ、力強さがあります。(P25)
大人はこんなふうに「快楽」を論じ、ヒューマニズムを否定し、東洋と西洋の快楽主義の違いを語り、性器だけに頼らない全身の性感帯化を勧め…(笑)、古今東西の快楽主義者の巨人たちを紹介する。
登場する巨人たちは──
「樽の中のディオゲネス」
「酒の詩人李白」
「行動家カサノヴァ」
「サド」
「反逆児ワイルド」
「奇人ジャリ」 らだ。
そして現代日本の小市民たちを挑発する。
小心翼々とした人間や、けちな占有欲のある人間、反抗精神や破壊精神に欠けた、優等生のエリートだけが、家庭だとか、会社だとか、──あるいはもっと広くいって、国家だとか、社会だとかといった欺瞞の秩序に、必死になって、かじりついているわけです。
なんの意味もない、くだらないものでも、しっかり手を握っていないと、不安になるのかもしれません。
そもそも、しあわせな家庭などというものを築いたら、もう若者のエネルギーは、行きどまりだということを知るべきです。
妻子ある家庭を思えば、冒険もなにもできやしません。
大学をうまく卒業し、一流会社に就職し、課長の媒酌できれいな奥さんをもらい、一姫二太郎をこしらえ、モダンなアパートに住み、車を買い、ステレオを買ったら、まあ、せいぜい、女の子のいるバーで、奥さんの目を盗んで、ちょっとした浮気をするぐらいが関の山でしょう。
まことになさけない。(P192)
挑発的な本です。
刺激的な本です。
僕は小心者なので、実践には至りませんでしたが、市民社会を見る時のひとつの指標にはなっています。
もし、心がザワザワした方は「快楽主義の哲学」をぜひ手にとって読んでみて下さい。
今の時代、澁澤龍彦みたいな人がいたら、叩かれたりするんだろうなあ……。
澁澤龍彦大人の命日らしい。
澁澤龍彦の本は結構読んだなあ。
僕の本棚には大人の本がこんな感じで並んでいる。
どりゃっ!
そんな澁澤大人の著作に「快楽主義の哲学」(文春文庫)がある。
「快楽」とは何か?
「幸福」とは何か?
その違いについて、大人はこう書いている。
絶世の美女を手に入れたいと思うのは、歴史はじまって以来、すべての世の男性の、永遠の夢であります。
そして、事実、うまいものを食えば、「ああ、うまかった!」と思わないわけにはいかないし、思いかなって美女の肌に触れれば、たちまちにして、口では言えない快美の極、陶酔境に運ばれます。
たとえ一瞬の陶酔であっても、その強烈さ、熱度、重量感、恍惚感は、なまぬるい幸福など束にしてもおよばないほどの、めざましい満足を与えます。
こう考えると、快楽とは瞬間的なものであり、幸福とは持続的なものである、といえるかもしれません。
幸福とは、静かな、あいまいな、薄ぼんやりした状態であって、波風のたたない、よどんだ沼のようなものです。
哲学者のスピノザがいったように、せいぜい幸福とは、「人間が自己の存在を維持するしうることに存する」なのかもしれません。
いっぽう、快楽とは、瞬間的にぱっと燃えあがり、おどろくべき熱度に達し、みるみる燃えきってしまう花火のようなものです。
それはたしかに夢のようなものですが、それだけに、はげしい起伏があり、人間を行動に駆り立てる美しさ、力強さがあります。(P25)
大人はこんなふうに「快楽」を論じ、ヒューマニズムを否定し、東洋と西洋の快楽主義の違いを語り、性器だけに頼らない全身の性感帯化を勧め…(笑)、古今東西の快楽主義者の巨人たちを紹介する。
登場する巨人たちは──
「樽の中のディオゲネス」
「酒の詩人李白」
「行動家カサノヴァ」
「サド」
「反逆児ワイルド」
「奇人ジャリ」 らだ。
そして現代日本の小市民たちを挑発する。
小心翼々とした人間や、けちな占有欲のある人間、反抗精神や破壊精神に欠けた、優等生のエリートだけが、家庭だとか、会社だとか、──あるいはもっと広くいって、国家だとか、社会だとかといった欺瞞の秩序に、必死になって、かじりついているわけです。
なんの意味もない、くだらないものでも、しっかり手を握っていないと、不安になるのかもしれません。
そもそも、しあわせな家庭などというものを築いたら、もう若者のエネルギーは、行きどまりだということを知るべきです。
妻子ある家庭を思えば、冒険もなにもできやしません。
大学をうまく卒業し、一流会社に就職し、課長の媒酌できれいな奥さんをもらい、一姫二太郎をこしらえ、モダンなアパートに住み、車を買い、ステレオを買ったら、まあ、せいぜい、女の子のいるバーで、奥さんの目を盗んで、ちょっとした浮気をするぐらいが関の山でしょう。
まことになさけない。(P192)
挑発的な本です。
刺激的な本です。
僕は小心者なので、実践には至りませんでしたが、市民社会を見る時のひとつの指標にはなっています。
もし、心がザワザワした方は「快楽主義の哲学」をぜひ手にとって読んでみて下さい。
今の時代、澁澤龍彦みたいな人がいたら、叩かれたりするんだろうなあ……。
おとぎ話は人類共通の潜在意識を具現化したもの、なんて話を思い出しました。
おとぎ話の王子様も最後にお姫様(美人)と結ばれますね。
現代では発言がニュースになって炎上するでしょうね。
いつもありがとうございます。
伴侶を見つけ、子供をもうけ、良き家庭をつくる。
今ではかなり幻想になりましたけど、昭和の高度成長期はこれが人々の物語=行動規範だったんですよね。
戦前、戦中では、天皇・国家・家族という別の物語がありました。
これから逸脱する者は迫害、排除される。
これが人間社会の歴史なんですよね。
一方、現代は人々の規範となる物語のない時代。
さて、今後、どのような物語がうまれて来るんでしょうね。