『小心者的幸福論』(雨宮処凛・著 ポプラ社刊)にこんな文章がある。
私は「ダメ」な自分も「ダメ」な他者も心の底から肯定したいと思っている。
なぜなら、今の世の中は「とにかく常に競争に勝ち抜いた上に生産性が高く、いつもスキルを磨く努力を怠らずに即戦力になれる人間であれ」的な市場原理に過剰に適応しろというメッセージを発しているわけで、そんな圧力こそがいわゆる「生きづらさ」のひとつの原因になっているからだ。
誰も「常に生産性が高い」状態なんかで生きられない。
というか、競争に勝ち抜いて勝ち抜いて勝ち続けないと「生きる」ことさえ認められないなんてこと自体がおかしい。
「生きること」とか「ここにいること」は条件つきで誰かに認められたりする種類のものではない。
なのになんとなく「ダメ」だったり「役に立っていない」と思うと「こんな自分が生きてちゃいけないのでは?」なんて思いが頭をもたげてしまう。
しかし、当たり前だが、生きることは無条件に肯定されるべきものだ。
「生存」は「褒美」であってはならないし、「許可制」であってもいけない。
生産性の高い人間は素晴らしい。
社会のお荷物は要らない。
そんな風潮が世間に蔓延している。
市場原理主義。
これが「生きづらさ」の原因だと雨宮さんは語る。
「生きることは無条件に肯定されるべきものだ」
「許可制であってはいけない」
そのとおりだと思う。
雨宮処凛さんはこの本の中でこんなことも語っている。
優しさを見せることは「つけ込まれる」ことと同義とされ、子供の頃から「そんなに優しかったら社会に出てからやっていけないぞ!」などと恫喝される。
そんなふうに、人間本来が持っている当たり前の「優しさ」や他者に対する「思いやり」が奪われてきたことと、「生きづらさ」のようなものには深い関係があると思うのだ。
優しくない社会は、誰にとってもつらい。
優しさを見せることはつけ込まれること。
確かにそうなんだよな……。
・優しい人間は食いものにされる。
・正直者はバカをみる。
これは真実だ。
でも……。
僕は基本、合理主義者で、時折、他人に新自由主義的発言をしてしまうのだが、
その後で反省する。
自分自身も生きづらさを感じているのに。
他人に無限に優しくなれれば、心の凝りがほぐれて楽になれるのに。
「生きることは無条件に肯定されるべきものだ」
「許可制であってはいけない」
この言葉を噛みしめたい。
私は「ダメ」な自分も「ダメ」な他者も心の底から肯定したいと思っている。
なぜなら、今の世の中は「とにかく常に競争に勝ち抜いた上に生産性が高く、いつもスキルを磨く努力を怠らずに即戦力になれる人間であれ」的な市場原理に過剰に適応しろというメッセージを発しているわけで、そんな圧力こそがいわゆる「生きづらさ」のひとつの原因になっているからだ。
誰も「常に生産性が高い」状態なんかで生きられない。
というか、競争に勝ち抜いて勝ち抜いて勝ち続けないと「生きる」ことさえ認められないなんてこと自体がおかしい。
「生きること」とか「ここにいること」は条件つきで誰かに認められたりする種類のものではない。
なのになんとなく「ダメ」だったり「役に立っていない」と思うと「こんな自分が生きてちゃいけないのでは?」なんて思いが頭をもたげてしまう。
しかし、当たり前だが、生きることは無条件に肯定されるべきものだ。
「生存」は「褒美」であってはならないし、「許可制」であってもいけない。
生産性の高い人間は素晴らしい。
社会のお荷物は要らない。
そんな風潮が世間に蔓延している。
市場原理主義。
これが「生きづらさ」の原因だと雨宮さんは語る。
「生きることは無条件に肯定されるべきものだ」
「許可制であってはいけない」
そのとおりだと思う。
雨宮処凛さんはこの本の中でこんなことも語っている。
優しさを見せることは「つけ込まれる」ことと同義とされ、子供の頃から「そんなに優しかったら社会に出てからやっていけないぞ!」などと恫喝される。
そんなふうに、人間本来が持っている当たり前の「優しさ」や他者に対する「思いやり」が奪われてきたことと、「生きづらさ」のようなものには深い関係があると思うのだ。
優しくない社会は、誰にとってもつらい。
優しさを見せることはつけ込まれること。
確かにそうなんだよな……。
・優しい人間は食いものにされる。
・正直者はバカをみる。
これは真実だ。
でも……。
僕は基本、合理主義者で、時折、他人に新自由主義的発言をしてしまうのだが、
その後で反省する。
自分自身も生きづらさを感じているのに。
他人に無限に優しくなれれば、心の凝りがほぐれて楽になれるのに。
「生きることは無条件に肯定されるべきものだ」
「許可制であってはいけない」
この言葉を噛みしめたい。
新自由的な経済理論って、宣伝の効果もあって、合理主義的と思わされていますが、合理的ではないんです。
というのも、新自由主義的な社会体制になると、いずれは人口の1%が社会の富の99%を占有することになりますが、そうなると、社会が分裂して社会として形をなさなくなるからです。
極端な話に思うかもしれませんが、1%の人と99%の人で、話す言葉が違ってきてしまう可能性もあるんですね。最近ネットで言われる「偏差値が20違うと話が通じない」というのは、一面の真実です。
ちなみに、こういう社会の分裂や崩壊の予兆をヤバいと感じている1%の人もいるようで、
「私たち金持ちに今すぐ課税して」
というキーワードで検索すると、いろいろ出てきます。
いつもありがとうございます。
>「私たち金持ちに今すぐ課税して」
それは海外の超大富豪の話ですよね。
少なくとも経団連は格差拡大を容認していると思います。
何しろ「消費税をあげて法人税をもっと下げろ」というのが彼らの主張ですから。
自分たちが生き残るためには仕方ないと思っている。
そんな経団連の意向を汲んで政治をしているのが自民党。
ただ一方で、格差拡大は結果として、大企業の首を絞めることでもあるんですよね。
何しろ国内市場で自分たちの商品が売れなくなってしまうのですから。
おっしゃるとおり、治安も悪くなる。
長期的な視点で見れば、まったく合理的ではありません。
でも、それがわからないのが今の大企業の経営者。
自分たちの保身と株主の方ばかりを向いています。
「今だけカネだけ自分だけ」
将来世代のために今の自分は多少損をしてもいい、と考える経営者や政治家はほとんどいないようです。
それと、
「新自由主義=生産性のないものを徹底的に排除する合理主義」
と僕は捉えています。
おっしゃるとおりです。
また、海外の超大富豪でも「オレたちに税金をかけてくれ」と主張するのは、まだまだ少数派で例外のようです。
それでも、そういう動きが見えているだけ、まだマシなのかもしれません。
ピケティの21世紀の資本が話題になりかけたとき、日本のマスコミや文化人は、ニュースや情報番組で、「これは格差が大きい欧米の話で、日本には当てはまらない」といった論調で矮小化して「火消し」してしまいましたから。
>自分たちが生き残るためには仕方ないと思っている。
その「生き残る自分たち」として想定されているのがエリートばかり、庶民が視野に入っていないのが、やはり問題なんですね。
もし庶民が滅びても、移民を海外から引っ張ってくればOK、そういう考えのようです。
このあたりも「新自由主義的な合理性」なんでしょうけど、ネイティブの庶民が生きていけないような社会に、外国から移民が来るとは思えない、という視点がすっぽり抜け落ちているあたり、合理的なようでいて、合理的ではないんでしょう。
>長期的な視点で見れば、まったく合理的ではありません。
そうなんですよね。
新自由主義の非合理性は、短期の視点をたくさん組み合わせることで、長期の展望が得られると勘違いする錯覚(合成の誤謬)なのかもしれません。
>「これは格差が大きい欧米の話で、日本には当てはまらない」
そうそう。
日本の有識者は都合のいい所だけ、海外の例を持って来るんですよね。
一方、オーストラリアなどの海外の時給が3000円であることは積極的に語らない。
>移民を海外から引っ張ってくればOK
おそらくそう考えているんでしょうね。
ただし、それだと保守層が反発するので「技能実習生」なる制度でお茶を濁している。
ところが、日本の労働環境は劣悪で給料も安いので、海外の人は誰も日本に来たいと思っていない。
完全な悪循環です。
今、この国が目指すべきは「分厚い中間層」の復活なんですけどね。
そのためは「減税」で庶民の可処分所得を増やすことが一番効果的だと思うのですが、それをやろうとしないどころか、さらなる増税を考えている。
企業も政府も一時的には損をするが、10年後、30年後には実を結ぶという発想や施策がないんですよね。
なので既得権でがんじがらめの自民党ではおそらく無理でしょう。
維新は自民党以上に新自由主義の傾向が高い政党ですし、万博などの例が示すように行政担当能力に疑問が残るので、却って悲惨なことになりそうです。
維新の言う行政改革って要は「行政サービスの低下」「公に頼るな。自分で何とかしろ」ですからね。
”今だけカネだけ、そして明日は見えず”という超短期的な視野で成功を考えてる様に思います。
勿論、過ぎた生産主義も同じ事が言えますが
つまり、長期的に見た成功とは
”小心者的幸福論=優雅な貧乏論”にあると思いたいですね。
いつもありがとうございます。
>今だけカネだけ、そして明日は見えず
そうなんですよね。
たとえば原発。
今、原発ゼロにすると、廃炉費用など経営的にマイナスになるから少しでも長く使用しようとする。
結果、核廃棄物は貯まり、再生エネルギーの技術から日本は大きく遅れを取ることになる。
長期的な視野に立てば、原発ゼロ→再生エネルギーなんですけどね。
優雅な貧乏。
僕は豊かではありませんが、映像と本とアイドルで結構楽しく暮らしています。
象転さんがブログで書かれている数学の世界や数学者の生き様も豊かですよね。
数学者の生涯は狂気の生涯でもありますが。
僕は半分世捨て人ですが、世捨て人の立場で見ると、現実世界は愚かに見えて仕方がありません。