平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

深夜特急 賽は踊る

2009年09月09日 | エッセイ・評論
 深夜特急 「賽の踊り」

 マカオで大小というギャンブルにのめりこむ沢木さん。
 このマカオでの圧巻は次のシーンだ。
 博打で失敗すれば持っているお金をすべて失ってしまう。旅が続けられなくなる。
 そこで沢木さんはこう思う。

「やめて帰ろうという判断は確かに懸命だ。しかし、その懸命さにいったいどんな意味があるというのだろう。大敗すれば金がなくなる。金がなくなれば旅を続けられなくなる。だが、それなら旅をやめればいいのではないか? 私が望んだのは賢明な旅ではなかったはずだ。むしろ、中途半端な賢明さから脱して、徹底した酔狂の側に身を委ねようとしたはずなのだ。ところが、博打という酔狂に手を出しながら、中途半端にのまま賢明にもやめてしまおうとしている。賽は死、というのに死は疎か、金を失う危険すらもおかさず、わかったような顔をして帰ろうとしている。どうして行くところまで行かないのか。博才の有無などどうでもよいことだ。心が騒ぐのなら、それが鎮まるまでやり続ければいい。賢明さなど犬に喰わせろ」

 身につまされる文章だ。
 日常生活を送っていると保身というものがあって、どうしても安心、安全な方に走ってしまう。
 しかし、そこから一歩踏み出すことで新しい世界が見えてくる。
 徹底してやり切ることで見えてくるものがある。
 この文章の博打を自分の夢とか他のことに置き換えてみてもいい。
 夢を追いかけて、思うようにうまくいかなくて、貯金も底をついて撤退を考える。
 実に<賢明>だ。
 でもまだ心が騒ぐのなら……。
 
 沢木さんはこうも書いている。
「恐らく、私は小さな仮の戦場の中に身を委ねることで、危険が放射する光を浴び、自分の背丈がどれほどのものか確認してみたかったのだと思う」
 <仮の戦場>とは博打場のこと。
 賢明さを選ぶということは、安全安心な市民としての生き方を選ぶこと。
 その生き様が問われているというのだ。

 その是非は別として、沢木さんの他の著作を読むとそうした市民の生き方を否定していないことがわかるが、沢木さんは自分自身に言い聞かせると共に読者を挑発している。
 あなたはどちらの生き方を選びますか?あなたはどちらの人間ですか?と。

 「深夜特急」は特に若い人に読んでもらいたい。
 ある意味、青春のバイブルだ。
 僕が若い頃にこれを読んでいたら、別の生き方をしていたかもしれない。
 あるいは再びこれを読んで、沢木さんに挑発されたと感じた僕はまだ十分に若い?


 深夜特急 黄金宮殿はこちら



コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 官僚たちの夏 第8話 | トップ | 自民党の宣伝戦略 »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
思い立ったが吉日 (Nolly Chang)
2009-09-09 22:19:19
ぜひぜひご旅行ください。

私は香港に行く前に「恋する惑星」をみてからいきました。

本や映画に影響うけて、旅に出るのは素敵なことです。

返信する
自分と向かい合う旅 (コウジ)
2009-09-10 10:35:19
Nolly Changさん

いつもコメントありがとうございます。
そうですね、せっかく本に触発されたのですから旅に出ます。

出来れば自分と向かい合える旅に出たいですね。
ギャンブルをして沢木さんのように大金を賭けられなくて帰ってくる小市民の自分を実感するのも意味のあることでしょうし。
あるいは自分の新しい一面が見えてくるかもしれない。
そんな旅をしてみたいです。

返信する
dvdshop@idvd.co (深夜特急 DVD)
2011-11-04 13:32:19
小説で読み、テレビで見て、数え切れない回数ビデオをレンタルし、繰り返し繰り返し見た作品。ついにDVDも買ってしまいました。
ドキュメンタリータッチなのでドラマらしいドラマないのにまったく飽きません。
返信する
ドキュメンタリータッチ (コウジ)
2011-11-05 08:58:19
僕は、沢木さんの原作のファンで、映像化されたものはどうなんだろう? 原作の良さが失われているんじゃないか、と思って見ていないのですが、面白そうですね。
原作がある分、完全なドキュメンタリーではありませんし、かと言って、ドラマのような作り物、フィクションでもない様子。
どういう作りをしているのか、興味があります。
機会を見つけて見てみます。
返信する

コメントを投稿

エッセイ・評論」カテゴリの最新記事