親と子の物語である。
思春期の子の物語だと言ってもいい。
まずは<いい子>を演じるということ。
藍沢祐介(北村匠海)の兄は、父親に気に入られるために、ジャズやサッカーを好きなふりをする。
本当はアイドルや野球が好きなのに。
<自分>というものを持ち始めた子供にとって、親が自分の価値観を押しつけることは、抑圧以外の何者でもない。
若さというエネルギーは、ひとつの型にはめられることを嫌う。
たとえ押し込めたとしても、やがては溢れ出て、祐介や兄のように、押しつけられた自分ではなく<本当の自分>を取り戻そうとする。
親は、そんな<自分>を持ち始めた子供に、自分の価値観を押しつけてはいけない。
二番目の思春期のテーマは、親ばなれ。
今回の祐介の母親に対する拒絶はまさにそれであろう。
半分子供である祐介は本当は母親に甘えたいのだ。
だが、思春期の自分がそれを許さない。
甘える自分をカッコ悪いと思ってしまう。
僕なども経験がありますが、男の子は特にそう。素直になれない。
しかし、一方で誰かに甘えたくて、中古ジャズレコード店・白石夫妻の所に居場所を見出してしまう。
それが最後に語った右京(水谷豊)の言葉。
「家族だから心を開けなかったのではないですかね」
正確には覚えていないが、こんなことを右京さんは言っていた。
一方、<親ばなれ>を始めた子供を持つ母親はつらく、せつない。
「わたしに心を開いてくれない」と悩み、「子供の笑顔が見たい」という思いから、アニメのグッズがもらえるペットボトルのキャップを集める。
だが、それは、子供がまだ幼くて、おもちゃを与えれば笑顔をむけてくれた時の発想と同じだ。
思春期の子供は日々前進していて、ペットボトルのキャップを集める動機が、とっくに<アニメグッズ>から<エコロジー>に移っている。
母親は、日々前進する子供のスピードについていけない。
ここに今回の悲劇の原因がある。
母親も早く<子ばなれ>をすべきであった。
客観的に書いてしまうと、今回の事件はこのようになってしまうのだけれど、母親の心情を思うと僕はせつなくなる。
・子供の喜ぶ顔が見たくて、必死にペットボトルのキャップを集める母親
・その集めたキャップが簡単に他人に与えられた時の絶望
・祐介の兄の命日に家族で語り合いたくて、4人分の料理を作っても食卓に誰もいない孤独
これらのシーンを見ただけで、うわ~っ! となってしまう。
母親は失われたものを必死に取り戻そうとしていたんでしょうね。
というわけで、今回はミステリーというよりは<家族のドラマ>。
僕は母親を早く亡くしましたので、こういう話には弱いんです。
もし、この記事を読まれた方で、最近母親と話をしていないな~という方がいらっしゃいましたら、ぜひ電話してあげて下さい。
思春期の子の物語だと言ってもいい。
まずは<いい子>を演じるということ。
藍沢祐介(北村匠海)の兄は、父親に気に入られるために、ジャズやサッカーを好きなふりをする。
本当はアイドルや野球が好きなのに。
<自分>というものを持ち始めた子供にとって、親が自分の価値観を押しつけることは、抑圧以外の何者でもない。
若さというエネルギーは、ひとつの型にはめられることを嫌う。
たとえ押し込めたとしても、やがては溢れ出て、祐介や兄のように、押しつけられた自分ではなく<本当の自分>を取り戻そうとする。
親は、そんな<自分>を持ち始めた子供に、自分の価値観を押しつけてはいけない。
二番目の思春期のテーマは、親ばなれ。
今回の祐介の母親に対する拒絶はまさにそれであろう。
半分子供である祐介は本当は母親に甘えたいのだ。
だが、思春期の自分がそれを許さない。
甘える自分をカッコ悪いと思ってしまう。
僕なども経験がありますが、男の子は特にそう。素直になれない。
しかし、一方で誰かに甘えたくて、中古ジャズレコード店・白石夫妻の所に居場所を見出してしまう。
それが最後に語った右京(水谷豊)の言葉。
「家族だから心を開けなかったのではないですかね」
正確には覚えていないが、こんなことを右京さんは言っていた。
一方、<親ばなれ>を始めた子供を持つ母親はつらく、せつない。
「わたしに心を開いてくれない」と悩み、「子供の笑顔が見たい」という思いから、アニメのグッズがもらえるペットボトルのキャップを集める。
だが、それは、子供がまだ幼くて、おもちゃを与えれば笑顔をむけてくれた時の発想と同じだ。
思春期の子供は日々前進していて、ペットボトルのキャップを集める動機が、とっくに<アニメグッズ>から<エコロジー>に移っている。
母親は、日々前進する子供のスピードについていけない。
ここに今回の悲劇の原因がある。
母親も早く<子ばなれ>をすべきであった。
客観的に書いてしまうと、今回の事件はこのようになってしまうのだけれど、母親の心情を思うと僕はせつなくなる。
・子供の喜ぶ顔が見たくて、必死にペットボトルのキャップを集める母親
・その集めたキャップが簡単に他人に与えられた時の絶望
・祐介の兄の命日に家族で語り合いたくて、4人分の料理を作っても食卓に誰もいない孤独
これらのシーンを見ただけで、うわ~っ! となってしまう。
母親は失われたものを必死に取り戻そうとしていたんでしょうね。
というわけで、今回はミステリーというよりは<家族のドラマ>。
僕は母親を早く亡くしましたので、こういう話には弱いんです。
もし、この記事を読まれた方で、最近母親と話をしていないな~という方がいらっしゃいましたら、ぜひ電話してあげて下さい。
コウジさんがタイトルに入れられた言葉「切なさ」がキーワードでしたね。
誰もが一生懸命幸せな家族関係を求めているし、
頑張っているのに...
「家族だからこそ」だっかた「親子だからこそ」だったか
あの言葉は享にも向けられていた、
右京さんの真実を見抜く目が
たくまずして、享の親子関係の何かを
言い当ててしまったのかもしれませんが。
享にもこうした問題を乗り越えて
人の真情を包んで上がられる刑事になってほしいです。
事件が事件としてだけ終わらず、それがめぐって
相棒2人の心の襞におりこまれてゆく、
「相棒」の魅力ですね
バレンタイン、母にもなにか伝えないと、
とコウジさんの記事を読んで思いました。
いつもありがとうございます。
>たくまずして、享の親子関係の何かを
言い当ててしまったのかもしれませんが。
祐介親子の関係は、享の親子関係でもあったわけですね。
気がつきませんでした。
もしかしたら享は父親を求めているのかもしれませんね。
今回の事件は、登場人物たちが明確な悪意を抱くことなく、起こってしまった事件。
それゆえにせつなく、哀しいですね。
でも、きっとここから新しい親子関係が始まるのでしょうね。
>親と子の物語である。
> 思春期の子の物語だと言ってもいい。
確かにコウジさんの言う通りだと思います。
しかし、この話をわざわざ「相棒」でやる必要があったのかが気になります。
結局、私が感じたのは、家族とレコード屋の夫婦の間でお話が完結しているということで、右京さんも享くんも活躍の場がほとんど与えられず、いてもいなくてもいい存在になっているということでした。
脚本の酒井雅秋さんは「家族のうた」や「絶対零度」の人で「相棒」は初めてという話ですが、内容が暗く、キャラ設定もあまり活かされていない。
家族とレコード屋の夫婦の回想シーンに時間をさくあまり、右京さんや享くんの活躍部分の尺がなくなってしまったのでしょうか。
ところで、中古レコードの高額買取りって、中学生だけで出来るものなんでしょうか?普通はどの店も保護者同伴でないと無理だと思いますよ。
いつもありがとうございます。
確かに今回は、脚本・酒井雅秋さんの作家性が出た作品でしたね。
酒井さんが温めていた家族のテーマを、『相棒』の世界に当てはめて描いてみたという感じ。
なので、僕は今回を家族の物語として見ましたし、その部分ではいいドラマだなと思いました。
犯人が殺すという行動に出てしまったことには、ちょっと強引さを感じましたが。
>中古レコードの高額買取りって、中学生だけで出来るものなんでしょうか?普通はどの店も保護者同伴でないと無理だと思いますよ。
よしぼうさんは、右京さん同様、「細かいことが気になる」んですね(笑)
刑事・探偵の素質ありです!